本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

雑記、夏を喪くした、知ったことか

 

どうもこんにちは。

 

芥川賞が発表されて、掲載月の文藝春秋を買ってはいるものの読んでいないことを思い出した。ひとまず、一番手前の今年の3月号から宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」を読み始める。純文学と大衆文学の間を探しながら読んでいるような気になる。これが読めたら次は遠野遙さんの「破局」を読む。

 

夜の海なんて青春ぽくて、私だけの煌めいた思い出だと思い込んでいた。そう、思い込んでいたのだ。茅ヶ崎の海岸沿いに暮らして知った。茅ヶ崎の海では毎晩誰かが花火をあげている。毎晩花火をあげている音がする。予算のある人たちがあげる花火は我が家のベランダからも見える。自分だけの思い出だと思っていた夜の海は毎日の風景として溶け込んでいく。私の思い出はどこかへ行ってしまった。

 

オリンピックが本当に始まるらしい。江ノ島界隈はガヤガヤしている。夜のコンビニをフラフラしている外国人は関係者なのだろうか。関係者は軟禁状態なのではなかったか。

おそらく幼い頃からはじめて、部活や友達と遊ぶことを捨てて人生を一つの競技にかけてきた選手の晴れ舞台が灼熱の江ノ島に軟禁とは、誰もつゆにも考えなかったろう。

コロナがどうのこうのいう前から私はオリンピックに反対だった。厳密に言えば、賛成も反対もない、無関心だった。多数決になった時に一番肩身が狭いのは、多数派や少数派に参加しない、対立しない派閥、無関心だ。関心がないということ自体が批判の的になる。知ったことか。興味のない競技で興味のない国の興味のない選手が興味のない色のメダルを取ったところで、知ったことか。

そんなことを熱弁するくらいなら、そんなに眠そうな目を擦るのやめて、寝たらいい。巻き込まないでくれ。私は寝るから。

 

こんなことをたらたら話すだけのyoutubeでもやろうかと思う。

誰が見るかそんなもん。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。