下北散歩と妄想の螺旋
どうもこんにちは。
斉藤和義さんの「ずっと好きだった」という曲はちょっと染み入るような始まり方をする。
この街を歩けば 蘇る16才
この曲の冒頭は私の中の下北沢の街に重なる。
私の記憶の中だと下北沢によく通ったのは高校卒業して大学入学以降だから、16才でなく、19,20才の頃なんだけど、その辺りの時期は、何かをやりたいがどうしていいか分からず悶々としていた私と重ねてもいいんだと思う。
あの街は不思議なごった感がなんとも言えず心地いい。
タイヤをパンクさせそうなくらいトゲトゲのパンクお兄さん、草間彌生の崇拝者だろうなと思わせる色と水玉の服に包まれた前衛お姉さん、いつでも口が「あめんぼ赤いなあいうえお」って言ってそうなジャージ姿の劇団員さん。
とにかく、色んな世界観で生きている人たちがグッと集まって生きている。
喫茶店の窓際に座って窓の外を眺めていると人生観の博物館になる。ひょっとすると、ムンクの作品が並ぶよりも醍醐寺の仏像が並ぶよりも面白いかもしれない。
その中でも意外と目を引いたのが、髪は真っピンク、スカートは膝丈の真紫、上着はカブトムシを凌駕する光沢を放つ真っ黒。ブーツは真緑のゴツゴツ。コンセプトも何もわかったもんじゃないお姉さん。アリスも驚くだろう世界観。自転車にまたがって踏切を待っている。
そんな彼女の自転車のカゴには2ℓの水のペットボトルと葉物野菜が入ったオオゼキの袋。きっとここ下北沢に生息…って言い方は失礼だけど、まあ、生活しているわけだ。
彼女の顔にはちょと誇らしいような自信が溢れている。
サブカルの巣窟に暮らすことに憧れる人は割合いるだろうし、きっと数年前の彼女の姿なんだろう。
それを叶えた彼女は、今下北にいる人間全員がそこで暮らしたくてウズウズしている頃の自分にしか見えないんだろう。
彼女の脳内の私(を私の脳内で妄想するややこしい状況だ)は「うわ、下北に暮らす人はやっぱりオオゼキユーザーなんだ!僕もここに暮らすことにしたらやっぱり オオゼキのポイントカード作ろう!」と下北住まいにオオゼキ通いを重ねて思い馳せていることだろう。(と、私の脳内で妄想しているだけ、再三言うが念のため)
かつての自分の夢だった下北暮らしを下北中の人間を羨んでいるように見えて仕方ないのだろう。
かく言う私もそんな茅ヶ崎市民だ。
憧れの海沿い、サザンビーチまで徒歩3分。
海水浴シーズンに134号線に並ぶ他県ナンバーの車を自転車で追い越し、海に向かえばこう思う。
「きっと車の人たちは自転車で来れるこの地に住んでる私が羨ましいんだろう。どうでぇい!毎日サザンビーチだ!」って。(こう妄想する私を車の中で妄想しているかは知らんが)
越してくる1年半前まで茅ヶ崎の海沿いに住むことに焦がれたし、出かけ時にラフな格好でフラフラする茅ヶ崎原住民が羨ましかった。
きっとさっきの下北ピンク人も私もさほど変わらない。
プライドではないが、ちょっとした誇りというか夢叶えた自信が体の内に収まらずに、溢れてしまう。
住む場所にそんなちょっとした夢があるのは素敵なことだ。
そんな素敵な下北に免じて、踏切が開いてから2ℓの水の重さによろけて私にぶつかってきたことを許すことにする。
では、こりゃまた失礼いたしました。