本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

2022年 年頭言

 

どうも、あけましておめでとうございます。

 

って言っても街はもうバレンタインに傾いている。遅ればせながらもいいところ。

 

昨年末に環境が大きく変わって、年の瀬にようやっと慣れてきたようなところでした。

海から歩いて3分の茅ヶ崎は、ゴミの分別にやかまし大和市の住宅地へ。海岸沿いを自転車で走る通勤は、40分揺られる小田急通勤に。

味気がなくなったようにも思えるが、それでも、仕事帰りにご飯を食べて帰るのか気にかけてくれる人がいる生活を得る代償としては、ちっとも惜しくないような気もする。

変わっていく環境の中で、自分のやりたいことがまだあるのか。いよいよ問い詰めないと。

 

さて、今年はどんな年にしようか。

「しよう」という言い方、あたかも私の思い通りの一年になるかなような言い方だ。驕ってる。久しからず。

 

やるかやるのかわからないけど、その気になったものは声を大きくして周りに伝えた方がいい、と改めて学習した昨年だった。

自転車屋さんでギター買った話をしたら、そのまま自転車屋さんが先生になってくれたり、間借りでカフェをやっている人にコーヒー好きな話をしたら、私が焙煎したコーヒー豆を買ってもらえたり、と話してみるもんだと、転がることを経験した。

この前もなんの気無しにアルバイトの子に仏像を掘ってみたい、という話をしたら、おじいちゃんがやっているという。話を聞いてもらと、もう高齢でやっていないそうなので、道具から一式譲ってくれて、先生も紹介してもらえるという。やっぱり話してみるもんだ。

ラジオをやりたいという話をしていたら、どうしてこの子は放送局に勤めてないのかしら、ってくらい面白い子からラジオをやりましょうと言ってもらえて、企画が進んでいく。やっぱり話してみるもんだ。

 

別の人の影響でここのところ経済学についても興味が出てきた。

というよりも、今まで経済学がわたしの興味範囲の蚊帳の外に居たのに、彼と話をしている間に、わたしの興味範疇とどんどん繋がってくるのだ。どうも別物だと思っていたことが、経済学を学ぶ事で理解に繋がりそうだ。こうなると、勉強したいという思いが強くなる。早速いくつか小難しい本を買って読んでみる。

 

仕事とも直結しない、いくらになるわけでもない、こんな生産性のない勉強をいつまでやるのか。そんな趣旨の質問をよくされる。

何になりたいわけでも、何かをやりたいわけでもないと思う。ただ、自分がそれに変わっていくことに満たされているのだろう。

 

そういうことがまだまだたくさんある。わたしの知らない世界が恐ろしくたくさんある。

しかし、動くことが億劫になってきているのも感じている。自分が変わるのを面白がっている一方で、変わること自体が面倒でもあるのだ。どうしようか。つまり、誰に強制されるわけでもない変化なのだから、する必要もないのだ。もちろん、変化を怠ったからと言って、テメェ、この野郎、怠けてやがんな、と声を荒げる人もいない。じゃあ、しなきゃいいかというと、それはそれで、変化を楽しむ自分の中でフラストレーションが起こる。知りたいこと、やりたいことがまだまだあるじゃないか、好奇心が満たされないよ、と胸のうちから突き動かされる。

 

非常にややこしい二人の自分を抱えてしまっているものだ。

で、先の「どうしようか」はこの二人にどうやって折り合いをつけていこうか、という「どうしようか」だったわけだ。

 

そんなことをこれを読んでいる人に聞かれたって、知るわけもない。そんなことを私と一緒に考えるくらいなら、考えたほうがいいことは生きてれば、山ほどある。

 

今年はそんなことをぼちぼち考えようかと思う。

というよりも、結局、この一年、私が変わっていってみるのか、みないのか、過ごしていれば、自然と、あぁそういうことだったのね、と答えになっているもんでもありそうだ。

やりたいと思えばやるし、今日はやめだよってなればやらない、それで一年過ごして、どれだけやって、どれだけやらなかったのか、その結果私はどうれくらい今と変わってみたのか、その比率というか幅というか、それが「どうしようか」問答の答えなんじゃないだろうか。

 

今年はそういうつもりで色々やってみますよ。

例年に比べて消極的な年頭言な気もしますが、当人の私がそういうんだから、そういうことなんですよ。

いいね、それで今年は。そう言うこった。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。