洋上生活、人生観なんか変えてたまるか
どうもこんにちは。
私が仲良くなれそうもないと思う人間のなかに、「たった3ヶ月の語学留学と題した長期海外旅行で人生観を変える人間」というのがある。
よく20代そこそこの大学生が、就活直前にエントリーシートの自己PR欄を埋めるために行くアレである。
曲がりなりにも20年生きた人間の人生観がたった3ヵ月で変わることはおそらくない。
むしろ、そんなことがあるなら、そんな軽々しい人生観、無いほうがいいとすら思っている。
人生観の形成とは、その経験の新鮮さや大きさに関わらず、経験一つ毎に少しづつ行われていて、アンミカの言う白ぐらい微妙な変化しか起きていないものだと思う。
その小さな変化の積み重ねで、私が私を生きていくための道標を作っているに違いないと思う。
仕事の研修で1週間、洋上で生活することがあった。
奄美大島から屋久島、種子島、土佐清水、大分とほとんど陸を踏むことなく、船の上で寝起きをした。
こんな経験はおそらく、私の人生の中でも滅多にない、というか、こんな経験をする人がいないと思う。
周りを見渡しても当たり一面の水平線。陸も島も山も360度見えない。こんな状況になってみると、意外と孤独なもんだと思う。その孤独が不安で、少しづつ恐ろしくすらなってくるのだ。
そんな海上で向こうから飛んでくる鳥がある。ずっと先の漂流物に留まって、羽根を休めた。
少し休んで、また見えないはるか先の陸に飛んでいく。
こんな時に見えない陸に飛んでいけるなんて、よっぽど鳥の方が強い。
私はきっと漂流物からは離れられない。
こっちは人間だなんて言っても陸が見えないだけで、こんなに不安でいっぱいだ。
海の上で朝を迎えると、目を開けた瞬間にこんな朝日が目一杯に広がっている。
人生でこんな朝を迎えることはもうないだろう。
しかし、こんな朝を迎えても私の人生観が何か変わったような心持ちはない。
なんせ、圧倒的な景色と波に差し込む朝日を前に、私なんかのことを考えている隙がない。
こんなところでは私の存在なんかは何でもないのだ。
私の存在が何でもなくなったのに、そんな存在の人生観なんぞ、どんなもんでもない。
それほど圧倒的すぎる経験があった。
人生観が変わったことを自覚することなんか出来ないのだと思う。
じゃあ、海外行って、人生観が変わりましたって言う人はどんな変化を実感しているのだろう。
自分の変化なんて、自分の存在を越えたときに少し起こるくらいで、自覚が出来る変化に大したものなどない。
少し揺れるデッキでそんなことを考えた。
せっかくの景色でもっと楽しみ方もあったろうに…
では、こりゃまた失礼いたしました。