本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

信玄餅詰め放題 #2

 

どうもこんにちは。

 

前回、信玄餅の詰め放題をしたという大したことのない話をタラタラと書いた。

信玄餅詰め放題 #1 - AM1:00-3:00

 

あんなに書いておいて、最後には本当に書きたいのはこんなことじゃない、となんとも無責任なことを書いて文章を締めた。

では、お前が本当に書きたいことはなんだ、という話になるわけで、なんだか大層なことを書きそうな雰囲気だけを作ってしまった。

 

期待する分だけ、叶わないときの怒りは大きい。

 

そんな大したことを書きませんから、期待しないでください。読み終わって怒らないでください。

 

ギリギリで整理券をもらった私たちの後ろにはまだ長い列がある。一時間前に私たちが並び始めた辺りに並んでいる人もいる。

私たちが120枚中の107枚目を手にしているのだから、あと13人しかもらえない。

当然、朝早くから並んだのに整理券がもらえない人が未だに並んでいる。

配布を担当するおじさんが、その日配布分の整理券の終了を叫ぶ。すると、今しがたまで綺麗に並んでいた列はどっと崩れて、塊になって配布場所に押し寄せる。

整理券がもらえないと分かった人たちが、不満や文句の形をしない不満や文句をおじさんにぶつける。

「朝早くから並んだのにもうないんですか」

「枚数がわかってるなら、貰えない人に先に声かけてくれてもいいんじゃないですか」

どれもこれも質問の形をしていて、その質問に乗せて、ここぞとばかりに非難を浴びせる。

中には当たり前のように「ただ並んだだけですか?何か景品とかないんですか?」という人までいた。

非難の気持ちをもつことが必ずしも悪いとは思わないが、それをぶつけるなら、堂々とそのままぶつければいいではないか。ポチ袋にゴミを入れて渡すかのように、非難の気持ちを形を変えて投げつけるのは卑怯な気がしないでもない。

 

何時に何枚の配布があるかわからない整理券。そのために早朝6時から並ぶ人たち。この人たちは並んだとて、必ず整理券がもらえるとは限らないわけだ。それを承知の上でみんな並んでいるはずなのに、いざ自分が貰えないとわかると、やっぱり怒りが湧いてくる。ましてや怒りのやり場がないとなると、どういうわけだか膨張してくる怒り。

それをぶつける矛先は何も悪くない整理券を配布していたおじさんへ。語気を強めて、攻撃的に発声された、質問の形をした非難をなんの言われもないのに浴びている。

 

せっかくの旅行で、やっとのことで手にした信玄餅詰め放題の整理券になんだか少しだけ嫌気がさす光景だった。

大の大人の大の大人への八つ当たり。見るに耐えないものがある。

 

じゃあ、どうしたらいいのかとか、八つ当たりする人たちはどうだとか、なんてことは私が言えた義理ではない。

そんなことを言ってしまうと、まるで整理券をもらえた私は偉いかのような、もらえなかった人たちよりも有能であるかのように受け取られかねない。

私はたまたま列に間に合ったから、整理券をもらえ、たまたま八つ当たりすることがなかっただけなのだ。

 

なんだかんだ自分の置かれる状況の偶然性を考えた。

しかし、あそこで八つ当たりした人たちが、仮に整理券をもらえたとして、もらえなかった人の八つ当たりを目の当たりにしたら、なんと思うのだろうか。その時は、自分がもらえたことは棚に上げて、八つ当たりをした人を兎角いうのではないかと思う。自分がもらえないという想像力があれば、配布のおじさんへの想像力も働くのではないかと思うからだ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。