人類みな兄弟が本当なら、私にも姪っ子が産まれました
どうもこんばんは。
私は母親が21歳の時に産まれた。
今、私が28歳なので、小学校2年生の息子がいることになる。考えただけで身震いする。
当時、母親の同級生はほとんどが学生だった。
きっとまわりでも子どものいる人は珍しかっただろうこともあって、物心ついた頃から、かなり可愛がってもらった記憶がある。
両親は共働きだったから、学校の帰り、鍵を忘れると決まってお邪魔するキヨさんもいたし、毎週末うちに遊びに来て遊んでくれるミエコさんもいた。郵便局に勤めていたのは、オリカサさんと言ったと思う。
みんな、どこかに遊びに行くとなると必ずお土産を買ってきてくれるし、小さい頃の思い出にあるおもちゃのほとんどは母親の同級生からもらったものだったと大人になってから知った。
中で一番記憶に残っているのは、ムラサキ色のふわふわの操り人形だった。セサミストーリーに出てきそうな四肢生物の頭と両足、お尻から糸が伸びていて、その糸は操り用の十字架に繋がっていた。
これが小学校に上がる前の私にはとにかく怖かった。操り人形でドカドカと追いかけては、怖がる私をみんなが楽しんでいた。
「怖い」という語彙を知らなかったはずはないのだが、ずっとこの人形を私は「キライ」と表現していた。
「怖い」という表現なら、子どもらしさがあって可愛げかあるものの、「キライ」と表現してしまうと、そこに完全な拒絶を表してしまう。
幼い私には悪気なんか全くないのだが、ミエコさんがフランス旅行のお土産にくれた人形を、くれた当人の前でも完全拒絶してしまっていた。
だいぶ大人になってから、久しぶりに会ったミエコさんとフランス由来のムラサキ四肢生物の話になった。
「キライ」という単語を選んでいたことをすっかり忘れていた私は、「あの人形、怖かったんだよね」と呟くと、「怖かったの?キライだって言ってたよね」と言われた。
怖かったには違いないのだが、それでも幼い頃の記憶に割と深く残っているおもちゃだった。
そんな話がなんなのかと言うと、つい先日、高校の同級生夫妻に女の子が産まれた。
名前も一緒に考えたし、お母さんのお腹の中にいるその子に名前を呼びかけて、私の声も認識させてみたりもした。私は産まれてくることをとてつもなく楽しみにしていた。
出産祝いに何が欲しいか聞くと、ベビーモニターが欲しいと言うので、時間をかけていろんなメーカーのものを性能を精査して、一番使い勝手が良さそうなやつを送った。
出産の報告と一緒に送られてきた、母子共に健康な写真をみて、何故だか、ムラサキの操り人形を思い出した。
そしたら、ベビーモニターじゃ、この子の記憶には残らないんじゃないだろうか、と急にちょっと切なくなってしまった。
人様の子どものおもちゃのことで切なくなるなんて、土台、何様だよって話でもある気がする。
でもライナスの毛布とまではいかないまでも、大人になっても記憶の隅にちょっと残るような、例えば、その子に子どもが産まれて、つまり、友達夫妻にしてみたら孫が産まれた時に、その子のために、おもちゃのパンフレットとかを眺めていて、あ、これ懐かしい、私も持ってたよね、と懐かしんで思い出してくれるようなものを送ってあげたいな、なんて思ってしまった。
いずれにせよ、その子の誕生が私はとても嬉しいのだ。
おめでとうございます。今度、会えるのを楽しみにしてるよ。
では、こりゃまた失礼いたしました。