本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

桜桃忌2022

 

どうもこんにちは。

 

毎年の恒例となった小説家、太宰治の命日である桜桃忌のお参りに三鷹禅林寺まで行ってきました。

桜桃忌2021 - AM1:00-3:00

 

三鷹で傘をさした。それは初めての日傘だった。

もうかれこれ8度目になる三鷹の駅前。いつもは雨だったのに、今日に限っては珍しく陽が高く登っている。

大学生に入ったばかりの頃。有名な作家の命日に名前がついて、毎年その作家の愛好家たちによって弔われていることを知ったとき、急いで太宰治の命日を調べた。

玉川上水に身投げしたのが6月13日、その6日後に死体が見つかった。そのことにちなんで19日が桜桃忌と名付けられているらしい。8年も前のことになるとこれを調べたのがいつだったのか、これを知ったときが桜桃忌の近辺だったのか、よく覚えていないが、次の桜桃忌から毎年、墓にいくことにしている。

墓前でテレビのインタビューを受けたこともあったし、太宰を主演にした映画が公開された頃には例年以上に人が溢れていることもあった。生前の太宰と話したことがあると自称する人にも会ったこともある。

 

8回目にもなれば、禅林寺までの道のりも勝って知ったるもの。下連雀という街の名前にも親しみしら湧いてくる。

一年の間に新しくできたラーメン屋があり、無くなっているパン屋があり、三鷹の街は少しづつ様変わりしている。

昼下がりの住宅地、日傘では遮れない、アスファルトからの照り返しの熱線に辟易しながら、いつもは小雨の三鷹を懐かしんだ。太宰が土左衛門になったのが梅雨だったおかげで、8年もの間、こんなに暑い三鷹を知らずにいられたのだ。

木造の古いアパートの隣には、高級外車の停められた大きな家が並んでいる。蔦が生え、ところどころヒビが入り、欠けている塗りの外壁の隣には、人が育てた花が咲いたプランターが掛けられた鮮やかな淡い緑がキレイに塗られた外壁が少し隙間を空けて並んでいる。

 

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禅林寺に入ると立派な山門が構えている。山門を抜けると直線的な聖観音のおいでたちが美しい。軽く手を合わせて後にする。本堂にも手を合わせて、地下道をくぐる。迷うことなく、真っ直ぐ太宰のお墓へ。

19日の当日には溢れんばかりのカップ酒とタバコ、それからさくらんぼが墓前に備えられているのだが、仕事の関係で一日遅れた今年はがらんとし墓前だった。

毎年、太宰のお墓を前にして思う。ここにきても対してやることなんかないのだ。手を合わせて、線香を上げて、少しぼぅーっとして、それからすることは何もない。タバコも酒もやらない私が、赤の他人の墓前に備えるのもなんだか変な気がするので、毎年、やらないことにしている。さくらんぼを持っていく人も多いのだが、食べ物は墓の管理人さんの片付けが大変だ。

 

死んだ人間よりも生きた人間が大事、と思いたい。

 

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振り返って、ついで程度の会釈を一応、森鴎外にもしておく。

太宰の墓石は「太宰治」とあって、森鴎外の墓跡には「森林太郎」としてある。太宰も「津島修二」として欲しかったのではなかろうか。二人の墓を後にしながら、そんなことを思った。

 

禅林寺を出てから左手へ太宰が入水した玉川上水の方へ向かう。

玉川上水を沿うように井の頭公園まで、ほとんど意味をなさなくなってきた日傘を差しながら歩いた。

 

どうして、太宰は死んだのか。そんなことを毎年考えて、毎年検討もつかなくて、毎年同じところを繰り返している。

その入水自殺のせいで、暗くて重い、今でいえばメンヘラ文豪の代表格にされてしまったが、もっと色々読めば、いかにユーモアに溢れて、楽しい人なのだ。実際はどうだか知らない。少なくても、私が読んで私の中の太宰はそういう人なのだ。

 

井の頭公園から毎年いく喫茶店でアイスコーヒーを飲んで、吉祥寺界隈の古本屋や古レコード屋を巡ったり、なんだかんだをしながら、平日休みの後半を過ごしたのだが、それはもう太宰さんが関係ないので、この日の話はここまでにしておく。

そんなことはないとは思うのだが、万が一にも太宰さんがこれを読んでいて、自分の話が途中で終わっていると、なんだかヘソを曲げそうだからである。太宰さんとはそんなようなかわいらしい人なんじゃないかと思う。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。