本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

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茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

私の好きなもの100のルーツ #4「立ち食いそば」

 

どうもこんにちは。

 

私は出かけ先で、何を食べるか迷ったら、大抵立ち食いそばを食べることにしている。

早くて、安価で、それなりに腹も満たせる。それに季節を問うこともないし、日本全国どこに行っても立ち食いそば屋がないなんてことがない。食べることが好きな私だが、時と場合によっては、食事に時間をかけたくない時もあって、そんな時にはとても便利でいい。

 

立ち食いそばに行きつけるようになったのは学生の頃だったと思う。

私は世田谷の高級住宅地にキャンパスを構える大学の学生だった。駅の改札を抜けると、周りはリッチなマダムばかり、コーヒーが一杯220円で飲めるチェーンのカフェにいるのは学生ばかりで、マダムたちは560円のコーヒーを駅ビルの6階ですすっていたような街だった。コーヒーが560円もするんだから、当然、駅ビルのレストランでランチを食べようと思うと、1500円はくだらない。最低時給が900円にも満たないアルバイトをしていた、当時の私がそんな昼食にありつけるはずもない。

 

もちろん、大学のキャンパス内には学食があった。コストパフォーマンスに優れていて、価格と量の反比例が創りだす曲線美は素晴らしい。しかし、ここはいかんせん混む。キャンパス中の学生が目がけて押し寄せる昼時の学食において、席に着くだけで一苦労。ゆっくりと食事をしようなんて、夢のまた夢である。

第一、そんなに学生が押し寄せるんだから、いくら知り合いの少ない私でも、どうしたって知り合いに会ってしまう。知ってる顔と目があったら、最後、奴は必ず来る。必ず。奴らは私に会いに来るのではない。奴らの狙いは私の隣のポッカリと空いた一席だ。

大学の学食には2、3人で連れ立ってくる学生が多い。そんな学生たちが食事を済ませて、席を立つと、当然そこには2、3の空席ができるのだ。今、私はそこに一人で座ろうとしている。そして、私と同じく、席を探す奴。私と目が合う。私の隣の席が空いているのを見つける。

こうして、私は何の業か贖罪か。知り合いに隣を占拠され、落ち着いた昼食を取ることすら許されない。

 

昼食ぐらいゆっくり食べたい。

学生時代の私はどうしてもそれを譲れなかった。

そこで、私はとうとう大学の敷地を飛び出したのである。

前述の通り、学校から一歩出れば、そこは高級住宅街。道行く車は外車ばかり。日産のロゴを見つけたときに、どれだけ安心することか。そんな街で安価なお店が見つかるわけもなく、昼食にありつけない「昼食氷河期」に突入するのである。

そんな時に普段と反対の改札に見つけたのが、小田急線ならどこにでもある立ち食いそば屋だった。初めて入った時に、中に椅子があったのに偉く驚いた記憶がある。

駅構内の立ち食いそば屋に椅子がある。椅子に座ってしまってどこが立ち食いだ。さすがは高級住宅街。立ち食いそば屋でも座るのかと、偉く驚いた。

 

それ以来、時間をずらし、知り合いのいない時間の学食か改札の反対側の立ち食いそばに通うようになった。出先での手短な食事に立ち食いそば屋を利用する習慣は、大学を中退しても続いた。

 

大学を辞めて、しばらくしてから、私はある人のところに通うようになった。一日中、ある人について、身の回りの世話をしながら、仕事を覚える生活をしていた時期があったのだ。しばらく通っていると、後輩ができた。

 

ある冬の晩、ある人が何人かの知り合いと遅くまで飲んで帰ることがあった。当然、私と後輩もそれについて行く。お店を出て、ある人の家に着く頃には夜中の1時を回っていた。田園都市線の端にある我が家からほぼ端にある人のお宅まで通っていた私には、当然、帰りの手段がない時間だった。私たちは、ある人からタクシー代をもらい、帰ることになった。

 

深夜の大通りを赤い空車の文字を探しながらとぼとぼと車に追い抜かれる。目上の人が集まった飲みの席で、周りに気を遣い、ほとんど食べることの出来なかった私たちは小腹を空かせていた。赤い空車は反対車線は通るのに私たちの横は全く通らない。

反対車線に24時間の立ち食いそば屋があるのを思い出した私は、後輩に提案して、反対側に渡った。

深夜でも大通りは、街灯に、ヘッドライトに、信号に明るい。

それでも、蛍光灯が所狭しと天井に並ぶ立ち食いそば屋の店内の明るさはそれ以上だ。

券売機の前で、少し目が眩む。

 

券売機に千円札を挿入して、いつも通り、天玉そばの券を買う。520円。

 

出汁を吸ったかき揚げに卵の黄身を絡めるのをこやなく愛している。そして、出汁の熱さで白んだ白身と蕎麦を一緒に啜るのがこの世で一番美味しい蕎麦だ。

 

次に券を買おうと財布を出した後輩を私が制した。

いいよ、何食べる?、と聞く。

気を遣ったのか、同じものをお願いします、と答えた。

しかし、そのすぐ後で、いや、やっぱりかき揚げ蕎麦がいいです、という後輩。

 

私に天玉そばを売った券売機には残高が480円しか入っていない。

気を遣った後輩は60円安い卵を抜いたかき揚げそばのボタンを押した。

 

時々さ、私何してるんだろうって思わない?

私が聞いてみる。

 

いや、ならないですよ。楽しいですもん、今。

後輩の視線は蕎麦から離れなかった。

 

私はこの仕事合ってないのかな、と思った。

 

温かい天玉そばの食券が冷たいたぬきそばになった頃、私は仕事をやめた。

結局、私が後輩にしてあげた先輩らしいことといえば、この時の60円分の気を遣わせたかき揚げそばぐらいなものだった。

 

あの当時のことを消化しきれないまま、今でも寒い季節が来ると駅のホームの立ち食い蕎麦屋で天玉そばをすすっている。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。