本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

気分転換に犠牲者を

 

どうもこんにちは。

 

何か物事が多い通りにならなかった時の気持ちの切り替え方がいまだに分からない。

大抵のことは大まかにある程度の順序を立てている。

 

休みの日、その日にやっておきたいこと、やらなくてはいけないこと、食べたいもの、行きたいところ、リストアップして、時系列ごとに効率よくこなせるように並べ替える。大体それが、前の日の夜か朝一にコーヒーを淹れる時間の日課になっている。どこかに出かけるということになると、電車の時間を調べて、目的地近くでコーヒーが飲めないか、ジャズ喫茶はないか、単館の映画館で見逃した映画をやっていたりはしないか、最近ハマって巡っている家系ラーメンはないか、行ったことないサウナがあるんじゃないかと、ついでに他の趣味をリサーチしてメインの予定に組み込んでいく。結構忙しく、気がつくと精密な予定になっていることも少なくない。

しかし、実際当日になると、雨が降ったりなんだりで、予定の一つが崩れてしまう。手の込んだ予定ほど、脆いものはない。たった一本の電車の乗り過ごしに大きな予定の変更を余儀なくされる。そうなると、もう予定の全てを投げ打ってしまう。もともとメインだった予定さえも投げ出して、家にこもって不毛な1日にしてしまう。1日が不毛だったことに余計に嫌気がさして、そのまま夜まで鬱屈とした気持ちを持ち越してしまう。

 

今、やっている勉強に関しても同じだ。

新しいテキストを終わらせたい日数や週数で割って、大まかに予定を作る。

しかし、思いの外、レベルの高いテキストであったり、急な予定が立て込んだりすると、予定から大きく外れていくことがある。それが最初の方だと予定を組み直したりするのだが、なまじっかテキストが進んでいたりすると、予定を組み直すことも嫌になってしまう。

全然予定通りになっていないと、鉛筆を投げ出して、勉強をやめてしまう。

勉強をやめたからといって、何かをするかというと、そんなことはなく、ただ、見ても見なくてもいいような動画をベッドの上でゴロゴロしながら観て、食べなくてもいいようなスナック菓子をコーラで流し込む。こんな風に1日を無駄にする。

 

かくいう、これを書いている今も予定が崩れてしまって、気分が変えられていないのだ。

車は持っているのに、免許は持っていないという3年間も続いた不可解な現状を脱するために通い始めた教習所もなかなか思い通りにならない。今日、進める予定だったところまで進まず、もう免許なんか要らねぇやなとやけになっている。

週に二日の休みと決められた学科の時間割はなかなか合わない。技能の予約も思い通りに取れないので、朝一に教習所に行って、キャンセル待ちを予約するしかない。これだって、必ず乗れるわけではない。もう免許が取れていてもいい時期なのに、まだまだ先が長い。そうなると、もう通うこと自体が嫌になってくる。思い通りにいかなくて、何に対しても気分が乗らない。

 

こういう時、どうしたら気分を変えて、次に気持ちを向けられるのだろうか。

 

もう私という人間を27年間もやっているのだから、どういうときに気分が落ちて、その気分で1日を過ごしたり、人と会えば、その後どうなるかなんてのはわかっているのだ。1日を無駄にすることもせっかく会ってくれた人とも気まずい感じにさせてしまう。それがわかっているならば、気分を変えられればと思うのだが、その方法が未だに見つからない。

 

ネットで調べてみると、「ポジティブなことを考える」だとか「運動する」だとか。いや、それすらもやろうという気分にならないから、君を読んでいるんだよ、分かってないな。終いには、「ポジティブな気分になる」とか言い出す。美味しいコーヒーが飲みたいという人に「美味しいコーヒー飲んだらいいじゃん」と返すのだろうか、君は。何にもわかってないよ、おい。私に答えを教えてくれよ。

 

なんていうふうにネットの浅はかな記事に悪態をついていたら、いつのまにか少し気分が上向いてきた。

もしかすると、不機嫌な私は悪態をつくことが一番の気分転換なのかもしれない。27年目の新事実。ちょっと嫌なやつじゃないか、私。

普段から悪態をつきたいやつをストックしておこうかしら。いよいよ、嫌なやつだな。

 

でもさ、自分勝手に何かを切り捨てないと、生きていけないよね。全てにいい顔なんてできないよ。

とか言って、身勝手に自己肯定。不機嫌は人を身勝手にするね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

桜桃忌2021

 

どうもこんにちは。

 

先月の第3土曜日、6月19日は太宰治の誕生日であり、玉川上水で心中した死体が引き上がった日であり、一般に彼の作品に由来して、「桜桃忌」と呼ばれている。6月に旬を迎えるさくらんぼの一粒一粒が燃えるように紅く実る様が、太宰の短編作家として生涯と重なるとして、彼の晩年の名短編をして、太宰と同郷で三鷹在住だった今官一によって命名されたらしい。

 

太宰治の作品を愛読している者として、毎年、桜桃忌には三鷹禅林寺の墓前に手を合わせに行くことにしている。

からしきりに小雨の降る今年の桜桃忌は、太宰の生きた38年にぴったりな肌寒い朝から始まった。

 

この日は私の大切な友人の結婚式もあり、11時には横浜に着いていないといけないので、朝は5時58分に茅ヶ崎を出発する電車で三鷹へ向った。この結婚式のために新しく新調したスーツや靴やら、太宰の墓前に向かうには似つかわしくない荷物を抱えて、東海道線の1号車のボックス席に座った。

土曜の深夜ラジオ、「東京ポッド許可局」で紹介していたファミリーマートのアイスコーヒーを窓枠に置いて、太宰の全集の一冊のページをめくる。読む作品を決めていたわけではないので、10冊ある全集のうちで一番綺麗な8巻がカバンに入れてあった。収録されている作品の中で一番好きだったのは「トカトントン」だったが、知っているものを読んでも仕方がない気がしたので、「庭」という短い短編を初めて読んでみた。

疎開中の曰く付きの長兄との庭を手入れしたというだけの他愛もないエピソードだった。

 

それから、1994年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲「饗応夫人」をYouTubeで探して聞いてみる。太宰の短編をモチーフに作曲されたこの曲は、私の生まれた年の課題曲で、発表された当時はとんでもない衝撃作だったんだと思う。なんせ難しいし、長い。課題曲、自由曲合わせて12分間の持ち時間の中で、7分という時間は自由曲を5分で演奏しなくてはならないということだ。どうでもいいが、この年、関東第一高等学校がこの曲と「カンタベリーコラール」で見事な金賞を受賞している。久しぶりに吹奏楽作品を聞いてみようなんて思ったのは、おそらく太宰がきっかけではなく、この後の結婚式の主役が吹奏楽で出会った友人だというのがあったのかもしれない。関東第一の課題曲、自由曲と続けて聞いたところで東海道線新宿駅に着いた。

 

新宿で中央線に乗り換えて、そこからは15分。久しぶりの都会の車窓を眺めているうちに三鷹に到着。7時20分。

 

太宰が眠る禅林寺三鷹の駅から歩いて15分くらい。墓地の開門は8時なので流石に早く着きすぎたことを少し後悔しながら、お寺まで歩く。傘を差すほどではないが、閉じてある傘を持ち歩くのも邪魔くさいので、差してあることにした。

門の前は工事中で、フラフラしている私に交通整備の人が「太宰のお墓ですか?」と声かけてくれる。さすがに今年で六回目くらいになるので奥の地下道みたいなところを通らないと行けないことを知っているのだけど、せっかく声をかけてもらったのに悪い気がして、知らないフリして教えてもらった。

墓地が開門するまでの間、山門を行ったり来たり、境内をフラフラしていると、禅林寺黄檗宗のお寺であることなどを知る。

 

山門の外の駐輪場に一台の自転車が止まる。ヨレヨレの黒いスエットとトレーナーを着た初老を過ぎた頃と思う男性が、右の後ろポケットにカップ酒を入れてやってきた。私が本堂を覗いている束の間に墓地が開門していたようで、初老の男性の背中を追うように太宰の墓前へ。

先に墓前へ着いていた男性はカップ酒の半分を太宰の墓石にかけると、手を合わせ、取り出したタバコ二本に火をつけると、一本は墓前の香炉へ、もう一本を咥えながら、残った半分のカップ酒をあおった。

前日供えられたらしい桜桃が数パック並んでいた。

 

一服終えた男性が降りてくると、私に譲ってくれた。

下戸で喫煙習慣もない私は男性のように供えるものも持っていないので、とりあえず手を合わせて、墓を眺めた。お墓参りの時間というよりは小雨に濡れる時間だったという方が似つかわしい長い3分だった。

お墓を降りると、さっきの男性の手にするカップ酒はもう一口二口ほどしか残っていなかった。

 

「去年はね、土砂降りだったんですよ」その男性は唐突に私に話しかけてきた。

「私ね、この裏あたりに住んでて、もう10年くらいかな、一番ノリなんですよ」と二本目に火をつけて、「ここ15年くらいかな、三鷹が太宰のことを言うようになったのは。まあね、死に方が死に方だからね、三鷹の人たちも『太宰なんてけしからん』ていう感じだったんじゃないですかね」

それから、その男性が生前の太宰の関係者と酒を酌み交わしたことがあることなんかを話してくれた。

雨が強くなってきて、私は先に太宰のお墓を後にした。

 

それから、横浜に向かうまで、少し時間があったので、三鷹の駅前の喫茶店リスボン」で朝食をとって、結婚式へ向かった。

雨は少し強くなっていたので、スーツを持つ肩が濡れていた。

 

三鷹駅に帰る途中、玉川上水のほとりを歩いてみるが、草が生い茂っていて、戦後最も尊敬している文士を飲み込んだ水の流れは見れなかった。ただ、とても二人の人間を飲み込めるほどの水の勢いがあるようには思えない。穏やかさのような気がした。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

現状整理のための覚書

 

どうもこんばんは。

 

どう表現したらいいのか分からないのだけども、とりあえずキーボードを叩いてみることにしよう。

 

日を追うごとに、私はどうしたらいいのか、分からなくなるのだ。

正直言って、仕事は不思議なくらいうまく行っている。上の人間からはそれなりに信頼されているし、徐々に増えていく仕事もこなしている。そこに対してのある程度の充足感は感じている。いや、感じてしまっているというべきかもしれない。

ただ、やりたいことが本当にそこにあるかといえば、身体全部がそれを強く拒否しているのだ。

 

でも、何がやりたいことで、何をしたらいいのか、皆目見当がつかない。

いや、やっぱり嘘はやめよう。

 

今の私はやりたいことと遥かかけ離れたところにいるのだ。その距離に嫌気がさして、いつのまにか、その遠くなっていくやりたいことに追いつこうとする努力をやめてしまっているのだ。こんな言い方をすると、何か今までは大層な努力をしてきたかのような口ぶりだが、思えば、全くそんなことはなかった。大した苦労もしていない。申し訳程度の努力で何かが叶うはずもなく、そんな当たり前のことで嫌になって、していないも同然の努力をやめてしまう。

 

なんとなく気づいている現状を受け入れたくないので、何がやりたいか分からないことにして、何をしたらいいのか分からないことにしている。とりあえず、そんな小賢しいことはやめよう。分からないフリをやめて、今の現状を考えて、整理して、言葉にしてみるしかない。

 

私は間違いなく、今、ここではないどこかで、私を充足させる何かに向かいたい。

普通、27歳になるような人間が考えることじゃないだろうに。しかし、今ある仕事がうまく行っていたって、私は満足しないし、違うところに行きたい。

それを分からないフリするのはやめよう。

 

とはいえ、うまく行っている仕事に甘んじてしまう時もある。それが努力を足踏みしてしまう理由にもなっている。

 

とりあえず、言葉にした。

現状を可視化することができた。こうすると、後は逃げることができないから、もう、私がやるかやらないかの問題に換言される。努力することは難しいことだ。

20代後半にもなって考えることじゃない。きっと他の同世代はもうこんなことにとっくに答えを出しているんだろうに。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

私はまだ汚いヘリコプターを探すのか…

 

どうもこんにちは。

 

「とりあえず後でやろう」という私の悪い癖のせいで、危うく配信期間に間に合わないところだった「明日のたりないふたり」のライブ配信をギリギリのところで見終えた。と思ったら、配信が延長になったのでもう一回でも二回でも観れることにため息をついて、「とりあえず後で見返そう」といことで、久しぶりに筆を取る気になった。なんか忘れちゃいけないと思って、なんでもいいから残しておかなくちゃと、手帳に殴り書いて、ここで整理しておかなくちゃと急き立てられた。

 

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人見知りで、妬み嫉妬が深くて、必要以上に他人と見比べて卑下して、人が楽しそうにしているものに共感できない二人。自分たちのそんな「たりない」ものを求めて、12年前にセンターマイクの前に立ったのは南海キャンディーズの山ちゃんとオードリーの若様だった。

水曜と土曜の深夜にたりないものを並べて、私たちリスナーを慰めてくれていた二人は、たりないものを並べたてたエッセイでその発行部数を伸ばし、そのたりなさを武器に下から関節技を決めていたのに、気づけば女優と結婚してグリーンカレーを堪能したり、見えない嫁が見えてゼクシィなんか買っていた。テレビで見ないことは無くなって、MCとしてはもう追随を許さぬ最前線にいて、武道館に立てば2万人が集まるような、もうすっかり芸能人になっていた。

たりないものを追っかけていた二人にたりないものはもう無い。誰だってそう思っていた。

 

でも、二人が求めていた「たりなさ」は満たされていなかった。

 

一年前のみなとみらいで開催された「さよならたりないふたり」で若様は必死に汚いヘリコプターに乗って「たりてる」側に昇ろうとするも、それは山ちゃんに爆破される。 

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この時まで二人は「たりている」側に行くことが目標だった。山ちゃんは「自虐の竹槍」を捨て、次の自分に変わろうとしていた。結婚もして、今までのような妬み嫉みは届かなくなってきた。次の若手世代がどんどん迫ってくる。そんな中で戦うには、当たり前のように「アップデート」が必要だ、と思い込んでいた。

 

でも、中学生の頃から手にしていた武器はそうそう手放せるものではない。

若様はそのことに12年経って、やっと気づいたのだ。

 

大切だったのは「たりない」人間が「たりてる」側にもがき昇ることじゃない。

「たりない」ことを受け入れて、「たりない」からこそ見れる景色を、たとえそれが低い場所からでの景色だって、楽しんだっていいんだって甘んじられることだったのだ。

なりたい自分になるための努力は苦しくて、精神的にも辛いことだと思う。でも、なれないという事実を受け入れて、なれない自分でいることを認めなくてはいけないことは、努力以上に苦しくて、辛いことだと思う。

 

これは逃げることじゃない。

 

これ以上登れないところまで、もがき昇ったからこそ、目の前の景色は変わったのだ。

12年前とは景色の変わった北沢タウンホールの客席を見て二人が吐き出した「あーたりなくてよかった」という最後の一言は、12年の間、「たりる」ためにもがき昇った苦しみからのやっとの解放だったのだと思う。

 

今、私が現状を変えるための努力をやめて、目の前の景色を受け入れることは、ただの「逃げ」になってしまう。

まだ、もがき昇る努力の最中なのだ。やめてはいけない。

 

努力することをやめた二人の背中を見て、私は自分の努力をやめてはいけない、と心に強く思った。

 

汚いヘリコプターを探し続けなくては。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

私の好きなもの100のルーツ#3「サウナ」

 

どうもこんにちは。

 

私が好きなものをあげ連ねてなんで好きになったかを思い出す企画。

初回、前回でサザンとコーラについて書いてみたら、思った以上に長くて、次を書く気になれなかった。誰に頼まれたわけでもないのだから、書く気にならないならば書く必要もないんだろうけど、自分で決めたことほど、人に言われたことよりもやらなければいけない気がする。

 

手帳に箇条書きで並べた私の好きなもののうち、すんなりかけそうなものを選んで見た結果、今日はサウナについて思い出すことにしていみた。

最近、サウナがちょっとしたブームらしく、専用のグッズが出ていたり、雑誌やテレビで特集されている。去年だかはドラマにまでなっていた。こんなこというと、後出しでずるいのだろうけど、私はこのブームの前からサウナに通っている。それだけは最初に言っておきましょう。

 

週二回、休みの日の朝5時過ぎに生島さんを聞きながら、うちを出る。いつもいくスーパー銭湯までは自転車で15分くらい。

こんな時勢になる前は休みの前日の夜、仕事終わりに通っていたのだが、どこも早い時間に閉まってしまうので、思い切って早い時間から通うことにしたら、これが非常にいい。

朝から二時間たっぷり入っても8時前には出ることが出来て、帰りに喫茶店のモーニングを食べて、本読んで帰ってきても、まだラジオは伊集院さんの時間なのだ。

 

大学に入学して、入ったサークルはオチケン、落語研究会

自分で言うのもなんだけど、学生の割には落語に詳しかったし、何よりも上手かった。本当に自分で言うもんじゃないね。

見学の時に4年生に「どの話が好きなの?」と聞かれて「三木助の芝浜です」と答えた私は相当尖っていたことでしょう。「芝浜は知ってるけど、その話は初めて聞いた」と答えた先輩の落語を面白いと思ったことは、一回もない。「いや、芝浜です。先代の三木助の演る芝浜が好きなんです」と補足した私。今でいえば、落語マウントで先輩を大きく引き離したが、それと同じだけ、その時部室にいた全部員との距離も引き離した。

いつのまにかテーマがサウナから三木助に変わったんじゃないかと思われた方は、ちょっとはやとちり。その勇足をもう一度土俵の中へ。

落語は知っていて、上手いのに、先輩に可愛がられない。それでも、変わらない私の態度。当然、部内で浮く私。それはそれで別によかったんだけど、気にかけてくれた先輩が一人だけいた。早い話がその先輩がお風呂が好きだったのだ。

 

授業の合間なんかに、もっともその先輩にとって合間なだけで私にしてみれば最中であったわけだけれども、よく一駅先にある銭湯に連れて行ってもらった。

「次の寄席でこの噺をやろうと思う」

と相談をされれば、

「それなら先代の文楽師匠の十八番ですよ」

とアドバイスしたり、

「最近、誰の落語見に行ったの?」

と聞かれるので、

「何某師匠の独演会で、あの噺をかけてるの聞きました」

と最初は私の昨今の落語の話から始めて、次第に、最近私が読んだ本、観た映画や舞台、受けた授業の話なんかに広がっていく。アメリカンミュージカルをテーマにした授業で聞いた「ウエストサイドストーリー」の音楽の素晴らしさの話を始める頃になると、私たちはお湯に浸かってられなくなって、湯船の縁に座って足首だけをつけておく。その足首が赤い分だけ、私の話がその先輩にハマった証拠だった。

先輩は私の話を聞くのが好きだったらしい。次第に、その先輩が興味を持ちそうな話題にアンテナを張るようになり、芸人さんのネタ番組は落とすことなく観るようになった。その習慣は今もなんとなく続いている。

毎週のように銭湯で足首を赤くしても、飽きることなく私の話を聞いて、質問を投げかけてきた。

「お前、しゃべるとそんなにいろんなことに興味があって面白いのに、他のやつと話さないよな。もったいない。」

このセリフが湯ぶねから上がって、サウナに向かう合図だった。

 

そもそも下戸であるし、大勢が集まっての飲み会や合宿には興味がなかったが、その先輩に誘われてしまえばいくしかない。

参加の意思を示すと、同期の人間すら驚くくらい私の参加は稀有だった。半年以上所属していたサークルなのに、半分以上の人間と口を聞いたことがなかった。落語を演る時以外、このサークルに私の居場所はなかった。

そんな具合だから、飲み会が始まっても、特に誰と話すわけでもない。そんなことよりも、ここに来る前に買った小林賢太郎さんの本が早く読みたくて仕方がない。

少し経つと、ビールのジョッキを持った例の先輩が隣に来るように私を呼んだ。

「なんだっけ、お前がこの間言ってた『あまちゃん』のジオラマの話」と、前に銭湯で話したドラマの話を振ってきた。

前にしたのと同じように、観光協会の会長が仕事をサボって作っていたジオラマが震災を表現するシーンで巧みに使われていたことに感動した話をした。

熱量は銭湯の時の方があったと思う。私の周りを囲んだのは先輩以外は全く話したことがない人たちだった。そんな人たちが私の話をえらく楽しそうに聞いている。そして、関心している。

話をしていく中で、その中のある人はテレビ業界を志望しているらしく、テレビ局や制作会社を中心に面接を受けている就活生だった。そう言う人からすると、私の観ているもの、読んでいるものの幅が広いらしく、また、それに対しての感想だったりが面白かったらしい。その後も最近見たバラエティの話や、映画の話を矢継ぎ早にあれは見たか、これは見たかと質問された。そして、私が感想を答えるたびに深くうなづいた。

 

それから、浮いていた存在感はだんだん地に着いてきて、いつの頃からか私はご意見番みたいな立ち位置にいた。私に落語の稽古をつけてほしいと言いにくる先輩もいたし、次に演る根多の相談に来る人もいた。落語をやらずに漫才やコントを中心にやっているような人からもネタを観てほしいと呼ばれた。

あの頃は忖度なんて言葉は知らなかったが、忖度せずに面白くないと言った。今思えば、生意気だった。それでも私が言うならば、と言う空気があったのだ。今でいえば、フワちゃんのタメ口みたいなものだろう。

新ドラマの頃になると、テレビ業界を志望している人からドトールに呼ばれて、今期は何が注目なのかとあれこれ話したりした。

 

テーマがサウナから落研時代になったのか?と思われても仕方ない。今回はあなたの勇足じゃなさそうだ。

サウナの話に戻ろう。

要するに、そうやってサークル内で、居場所を作るきっかけになった先輩に連れらたことが私がサウナに通い始めるきっかけになったと言うことなのだ。

 

そんなことをきっかけに足繁くサウナに通うようになった。

噂に聞く聖地、静岡の「サウナしきじ」に二時間以上電車を乗り継いで行ってみたり、どこか旅行に行こうものなら、その土地でサウナを探す。深夜バスで京都に向かった時も朝一番にサウナに入った。思いつきで行ったUSJの前にも何はともあれサウナを探した。

 

気持ちのいいサウナは美味しい唐揚げの火入れ加減と同じだ。

高温でカラッと揚げた方が油の切れもよく、美味しく揚がる。しかし、表面と中では火が入るのに時間差がある。中まで火が入るときには表面はカチカチになってしまう。

なので、表面に火が入った頃に油から一度上げて、余熱で中に火を入れていく。少し置いたところで、もう一度油の中へ。こうして、表面と中とバランスよく火を入れると最高の火入れ具合の唐揚げが仕上がる。

 

まずは体を洗って、炭酸泉に浸かる。温度が低めだが、炭酸の効能で15分も入っているとうっすら汗をかいてくる。いきなりサウナに入るとその高温のせいで、体の中まで温まらずに我慢できなくなる。体が芯まで温まらないと、この後の水風呂が気持ち良くない。だから、まず炭酸泉で余熱を入れていく。

炭酸泉の効能で血流の巡りをよくして、ポカポカしてきたとこでようやく一セット目。

一セット目は大体サウナに10分前後入る。短い時間でも汗がガンガンに溢れてくる。

スマホが見れるわけでもない、本が読めるわけでもない。ただ、熱さとだけ向き合う時間はサウナでしか経験できない。こんなときに熱さから逃げて、備え付けのテレビを見ている人の気がしれない。

一セット目はそんなに負荷をかけずにサウナをでて、水風呂に入る。その前にマナーとして、汗を流すのは当然として、私は必ず頭から水を浴びる。サウナから出ては、なるべく早く、急いで、頭から一気に水を、そのことしか考えない。

汗を流したところで、水風呂に思いっきりに肩まで浸かる。決して、潜ったりはしない。たまに隣で潜っているおじさんがいると信じられない。

身動きせずにじっとしていると、いわゆる「羽衣」と言われる温かい水の層に包まれる。私は羽衣を感じたら、思いきっり体を振ってこれを破る。そして、もう一度、羽衣ができた頃に水風呂を後にして、体をよく拭いて外気浴に。

待ってました、外気浴。この時間が一番気持ちいい。頭が空っぽになって、何も考えられない。東海道線をいく電車のガタゴトを聞きながら、体に当たる風が気持ちいい。この状態を「整う」と最初に表現した人は本当に上手いこと言う。私から私が飛んでいって、体だけの状態になる。何も考えられない。デカルトはサウナの後の外気浴で例の口説き文句を思いついたんじゃないかろうか。別に誰も口説いてないよ。

そうしているうちに、どこかに行ってしまった我が帰ってきたら、水分をしっかり摂ってから二セット目に。もちろん、二セット目のサウナの前にはまた炭酸泉で一度揚げしておく。

1時間前後の時間をかけて、二セットか三セット繰り返して入る。

 

以上が私の好きなサウナの話。

 

これを書き出す前の私よ、何がすんなり書けそうだ。結構な量を書いたじゃないか。

ここまで読んだ人なんかいなんだろうな。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

「俺の家の話」最終回 ー対置される不在と存在ー

 

どうもこんばんは。

 

気がつくと3月が終わって、それと心中するように今クールのドラマも最終回を迎えていく。

とうとう終わってしまった「俺の家の話」も例外ではない。

 

クドカン作品として、今までを凌ぐ傑作だったために考察や論考が色々と出回っている。とても素晴らしいものもあったので、今更私が書くこともあるのだろうかなんて思うのだが、一応、誰も手をつけていないだろうと思われるところを掘り下げてみるつもりでいます。うまいこといくものかしら。素人の駄文ですから、拙さには目を瞑ってください。

 

クドカン作品は相容れない二つものを組み合わせるところから物語が始まり、それを超えたところに物語の結末があるんだ、ということは前に述べていると思います。

2021年1月クールのドラマ、クドカン多め - AM1:00-3:00

今作の「能」と「プロレス」という相容れない組み合わせについても、方々で私なんかよりもずっと立派な方がおっしゃっているので、とかく申しません。言いませんけど、「能」と「プロレス」の相反する側面のうち、私が大きいと思うところで、まだ、どこでも読んでいないものだけ、一つ紹介させてください。

出典が不確かなところも、習っていないから致し方ないと、門前の小僧同然の素人ですから、許していただきたいと、前置きをして。

 

昔、鷲田清一さんだったか和辻哲郎さんだったか、或いは全然違う方だったかが、能の能面について言及していて、面白いと思った考察がありました。

簡単にいうと、能面の大きな役割は表情を奪うことである。人間が言葉の次に他者との伝達において依拠している表情を能楽師から奪うことで、観客は能楽師の「身体」から必要な情報を得なくてはならない。そのために、能において、身体が表している「型」はその重要度を増すことになる、という趣旨のものでした。

一方、今作で「能」の対局に置かれていた「プロレス」。このプロレスのシンボルとして登場していたのが本人役の長州力さんでした。「飛ぶぞ」などのキラーフレーズを持つらしい(というのも、私はプロレスに疎いので調べただけなのですが)長州さんですが、そんな長州さんが放ったキラーフレーズの中で、最近話題になったのが「形変えてしまうぞ、この野郎」です。詳しくは割愛しますが、「相席食堂」という千鳥さんがメインMCの番組内での発言でした。このシーンは私にも記憶があります。なんせこの番組のファンなものですから。この発言をモチーフしたパロディは最終回の葬儀のシーンで「車の形が変わってる」という形でも登場します。

おそらく、偶然でしょうが、「型」を重要視する「能」の対局に「形を変えてしまう」長州力さんをシンボルとする「プロレス」が対置しているのは私には何かあるような気がします。

 

なんていうのは、結構こじつけですし、強引なので、余談です。

 

しかし、鷲田さんか和辻さんかがいう「能面」を通して次のようなキーワードが浮かび上がるような気がします。それは表情を失うことによる能楽師の「不在」です。

能楽師はその存在を能面の裏に隠します。だからこその「型」への依存なのです。

 

それが何かというと、今作「俺の家の話」というのは主人公観山寿一(長瀬智也)の「不在」の物語でもあったのではないかと思うのです。

寿一の「不在」を物語るシーンはいくらか例を挙げることができます。

幼少期の回想で、寿限無とふざけ合う寿一。門弟が叱りにくるのはいつも寿限無ばかりで、寿一は叱られたことがない。あのシーンでは寿一は叱られないどころか門弟に見えていない、つまり寿一が「不在」であるかのような印象を受けます。

そして、寿一は父親と唯一言葉を交えることができたプロレスの道へ進み、自分から観山家を離れます。父親に近づこうとするがために、父親の元から「不在」の状態となったわけです。

このドラマはそんな寿一が帰ってきたところからを描いたものでした。しかし、帰ってきたからといって、寿一は存在したかというと言い切れませんでした。

その理由はさくらをして言わしめた寿一の「自分のなさ」です。家族のために、オヤジのために、とさくらに頭を下げる寿一にさくらが言うのです。

この「自分のなさ」は各エピソードのきっかけになっていたような気がします。つまり、寿一の「不在」が物語の通奏低音として、物語を進めていたのです。

寿一の「自分のなさ」はさくら(戸田恵梨香)とユカ(平岩紙)とが直接的に「寿一くんには自分がない」というやり取りをするシーンも見られます。それにその二人は「観山寿一」を好きになったのではなく、「ブリザード寿」と「世阿弥スーパーマシン」を好きになったのです。そこからして、さくらと寿一、ユカと寿一の関係において、本来の寿一の「不在」から始まった関係と言えます。

そして最終回。信号に引っかからずに、藤田ニコルと遭遇して、死を直感した寿三郎(寿三郎)はエンディングノートに並べた「数の子一本食い」を寿一に譲ります。寿三郎は自分が数の子を譲ったことで、死まで忌避して、寿一が代わりを被ったと考えます。人の死を引き受けるということも寿一の「不在」故のことだったと思えます。

 

そんな「観山寿一の不在」が最終回でいきなり物語の前面にわかりやすく出てきます。それが寿一の「死」です。大晦日の試合にて、物理的に寿一は「不在」となります。

しかし、死んだはずの寿一が、「隅田川」の本番中の寿三郎の前に現れる。これは認知症の寿三郎の幻覚だったとも言えるし、世阿弥と元雅との議論を引っ張り出した時の「会いたいから会いにくる」と意思表示をした寿一の思いの強さだったとも言えるでしょう。どちらにしろ、本番中の寿三郎を通して、寿一が存在している。

つまり、最終回に来て、物語の基礎にあった「寿一の不在」が寿三郎を通しての「寿一の存在」と対置されるのです。クドカンの伝家の宝刀です。

そして、「不在ー存在」の相反するものを寿三郎の「人間家宝」という言葉によって超えていくのです。

この物語は「能ープロレス」という表題的な相反する対置を超えるのではなく、もっと普遍的な「不在ー存在」と言う対置を超えていく物語だったのではないかと思うのです。だから、過去作にないほどの考察が論考が溢れるほどの素晴らしい作品だったと思うのです。

 

「人間家宝」という言葉によって、ずっと褒められずにいた寿一は初めて寿三郎に褒められます。褒められて浮かない顔をする寿一。褒めるということは終わるということだったのです。これはしょうがないのです。何故なら、「そういうことだから」

 

物語は寿一が語る「俺のいない俺の家の話」で幕を閉めます。寿一の不在でドラマはエンドロールへ向かいました。

 

こんなに長々と本当に読み切った人がいるのかしらというくらい書いてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。

でも、好きなドラマだったので、誰に笑われようが書きたいことが書けて、私は満足です。

私の満足のためにすいませんね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

未鑑賞映画「花束みたいな恋をした」

 

どうもこんばんは。

 

今週、やっと坂元裕二脚本、土井裕康監督映画「花束みたいな恋をした」(以下、略称「花恋」)を鑑賞に行きます。

大好きな坂元裕二作品で、今からワクワクしてます。楽しみすぎて、まだ見てないのに映画のことを考えて、少し文章にしてみました。

 

今のところ、キャスト、スタッフ、タイトル、PR用に公開された数分の映像、それから映画を見る前にフライングして買ってしまったシナリオブックの脚本家のあと書きだけが入ってきている情報で、これしかないのですが、これだけで、この映画について考えてみました。

再三、言いますが、まだみてない映画について考えてます。

 

まず最初の取っ掛かりとして、ヒロインの有村架純さん。

坂本裕二×有村架純というと、真っ先に思い出されるのが、フジテレビのドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(以下、略称「いつ恋」)でしょう。田舎から出てきた高良健吾さん演じる練と有村架純さん演じる音の二人を中心に、六人の若者が東京で暮らし、夢を追い、それに破れ、恋をしていく物語でした。

有村さん繋がりで「いつ恋」と比較してみると、いくつか共通点を見つけました。まずはタイトルです。

今回の映画は「花束みたいな恋をした」で、ドラマの方が「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」です。どちらにも共通するのは過去形である点です。

しかし、「いつ恋」は、終わった過去の恋を指し示しているようなタイトルなのに最終話では二人の関係にピリオドが打たれることがない。練と音の関係に希望を持たせて、トラックは遠回りをして、筆が置かれています。

まだ見ていない映画なので、なんとも言えませんが、「花恋」も過去を指し示しているていとるですが、必ずしも切ない終わり方をしているとは限らないんじゃないかと。坂元裕二作品の中は希望の見える終わり方をしているものがかなり多くあります。

「問題の多いレストラン」ではビルの屋上でのレストランを閉めて、海辺の廃屋に向かって走り出すシーンで終わっているし、「Mother」でも20歳になったつぐみと奈緒がクリームソーダを挟んで手を取り合って再会のシーンで終わります。

作品では書かれていないその先で登場人物たちは生きている。坂元裕二という脚本家は、私たちが知ることの出来ない彼らのその先の人生を少しだけ明るく照らしてくれるのです。だから、きっと彼らと街ですれ違うんじゃないかという予感が私はいつもしている。

タイトルからだけで、見ていない映画についてこんなふうに考えてしまっています。

 

「花恋」と「いつ恋」の共通点としてもう一つ、ファミレスの印象的なシーンがある。

https://youtu.be/cFrBhxMpMwk

公開されている「花恋」の予告0‘44あたり。ファミレスで二人が向き合う印象的なシーンが公開されている。

ファミレスといえば、「いつ恋」だ。第一話で音は練と一緒に初めてファミレスに入る。そこで、違うハンバーグを頼んでシェアする練の提案にいたく感心する音。ファミレスのシーンは最後にも、もう一度。練と音が再開する場面がファミレスでした。

予告を見る限り「花恋」でもファミレスが象徴的なシーンであることは間違いなさそうです。

 

タイトルと予告だけで考えられることをタラタラと書き連ねてみました。

さて、実際に映画を観てみると、どうでしょうね。楽しみでしょうがないですね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。