気分転換に犠牲者を
どうもこんにちは。
何か物事が多い通りにならなかった時の気持ちの切り替え方がいまだに分からない。
大抵のことは大まかにある程度の順序を立てている。
休みの日、その日にやっておきたいこと、やらなくてはいけないこと、食べたいもの、行きたいところ、リストアップして、時系列ごとに効率よくこなせるように並べ替える。大体それが、前の日の夜か朝一にコーヒーを淹れる時間の日課になっている。どこかに出かけるということになると、電車の時間を調べて、目的地近くでコーヒーが飲めないか、ジャズ喫茶はないか、単館の映画館で見逃した映画をやっていたりはしないか、最近ハマって巡っている家系ラーメンはないか、行ったことないサウナがあるんじゃないかと、ついでに他の趣味をリサーチしてメインの予定に組み込んでいく。結構忙しく、気がつくと精密な予定になっていることも少なくない。
しかし、実際当日になると、雨が降ったりなんだりで、予定の一つが崩れてしまう。手の込んだ予定ほど、脆いものはない。たった一本の電車の乗り過ごしに大きな予定の変更を余儀なくされる。そうなると、もう予定の全てを投げ打ってしまう。もともとメインだった予定さえも投げ出して、家にこもって不毛な1日にしてしまう。1日が不毛だったことに余計に嫌気がさして、そのまま夜まで鬱屈とした気持ちを持ち越してしまう。
今、やっている勉強に関しても同じだ。
新しいテキストを終わらせたい日数や週数で割って、大まかに予定を作る。
しかし、思いの外、レベルの高いテキストであったり、急な予定が立て込んだりすると、予定から大きく外れていくことがある。それが最初の方だと予定を組み直したりするのだが、なまじっかテキストが進んでいたりすると、予定を組み直すことも嫌になってしまう。
全然予定通りになっていないと、鉛筆を投げ出して、勉強をやめてしまう。
勉強をやめたからといって、何かをするかというと、そんなことはなく、ただ、見ても見なくてもいいような動画をベッドの上でゴロゴロしながら観て、食べなくてもいいようなスナック菓子をコーラで流し込む。こんな風に1日を無駄にする。
かくいう、これを書いている今も予定が崩れてしまって、気分が変えられていないのだ。
車は持っているのに、免許は持っていないという3年間も続いた不可解な現状を脱するために通い始めた教習所もなかなか思い通りにならない。今日、進める予定だったところまで進まず、もう免許なんか要らねぇやなとやけになっている。
週に二日の休みと決められた学科の時間割はなかなか合わない。技能の予約も思い通りに取れないので、朝一に教習所に行って、キャンセル待ちを予約するしかない。これだって、必ず乗れるわけではない。もう免許が取れていてもいい時期なのに、まだまだ先が長い。そうなると、もう通うこと自体が嫌になってくる。思い通りにいかなくて、何に対しても気分が乗らない。
こういう時、どうしたら気分を変えて、次に気持ちを向けられるのだろうか。
もう私という人間を27年間もやっているのだから、どういうときに気分が落ちて、その気分で1日を過ごしたり、人と会えば、その後どうなるかなんてのはわかっているのだ。1日を無駄にすることもせっかく会ってくれた人とも気まずい感じにさせてしまう。それがわかっているならば、気分を変えられればと思うのだが、その方法が未だに見つからない。
ネットで調べてみると、「ポジティブなことを考える」だとか「運動する」だとか。いや、それすらもやろうという気分にならないから、君を読んでいるんだよ、分かってないな。終いには、「ポジティブな気分になる」とか言い出す。美味しいコーヒーが飲みたいという人に「美味しいコーヒー飲んだらいいじゃん」と返すのだろうか、君は。何にもわかってないよ、おい。私に答えを教えてくれよ。
なんていうふうにネットの浅はかな記事に悪態をついていたら、いつのまにか少し気分が上向いてきた。
もしかすると、不機嫌な私は悪態をつくことが一番の気分転換なのかもしれない。27年目の新事実。ちょっと嫌なやつじゃないか、私。
普段から悪態をつきたいやつをストックしておこうかしら。いよいよ、嫌なやつだな。
でもさ、自分勝手に何かを切り捨てないと、生きていけないよね。全てにいい顔なんてできないよ。
とか言って、身勝手に自己肯定。不機嫌は人を身勝手にするね。
では、こりゃまた失礼いたしました。