桜桃忌2023
どうもこんにちは。
梅雨の合間の6月19日は今年も性懲りもなくやってきた桜桃忌。
数えてみたら、私は今年で9回目の墓参りだった。 21歳の時から通っているらしい。
9時頃、うちを出て、電車に乗る。
新宿で乗り継いで、中央線は三鷹駅で下車する。
車中はずっと「斜陽」を読んでいた。
毎年6月半ばには、その時読んでる本をしばし閉じて、太宰作品を読むことにしている。
今年は久しぶりに「斜陽」を読み返していた。
もうすぐ電車が吉祥寺に停車しようという頃、隣に座っていた女性二人が慌て出した。
年のころなら60代後半から70前後、いかにも歩くための格好をしていた。
どうやら、吉祥寺駅は目的地よりも行き過ぎてしまっているらしく、急いで降りて折り返そうと話しているらしかった。
手には太宰の名跡を辿る散歩コースが記されたパンフレット。歩こうという格好から、禅林寺にお参りに行くのだろうと想像ついた。
「桜桃忌ですか?」
普段、そんなことはしないのだが、きっと太宰に親近感がわいたのか、声をかけていた。
「あら、お兄さんもですか?」
「そしたら、三鷹駅は次ですよ、行きすぎてないですよ」
そのあと、電車が三鷹に着くまでの間、少し話をした。
「田舎から出てきてね、一度は行ってみたかったのよ」
というお二人はよくよく聞いてみると横浜からだった。
どこかでお会いできたら、といって三鷹駅のホームで別れた。
禅林寺に向かう途中、「go café and coffee roastery」で深煎りのブレンドで小休憩。
続きの「斜陽」を読む。
太田静子の日記をモデルにしたと言われている、貴族の没落の記録が太宰らしい文体で書かれている。
描写が丁寧で、滑稽なユーモラスな言い回し、それでいて、そっぽを向いたような熱を帯びている。
私のなかで太宰の文章とはそんな印象だ。
戦後という、突然やってきた社会変革に理不尽に振り回されて、そこから這い上がった日本人は東京オリンピック、高度経済成長と、見事に日本を再起させた、という前向きな物語が日本史の中心に鎮座している。
この物語は嘘ではないだろうが、この時代の全てではない。
ここからこぼれ落ちた人間に光を当てて、丁寧に書き上げる太宰に太宰らしい、弱さのようなものが垣間見れる気がする。
決して、優しさではない。
捨て置くことで、自分が苦しむことから逃げたいという、弱さのような気がする。
深煎りの、しかし、甘味を感じる珈琲で一息ついたあと、禅林寺の太宰の墓前へ。
毎年、墓の前に来ると思うのだが、人様の墓の前ですることなんかないのだ。
私は酒を飲むわけでもない、タバコをやるわけではない。そんな私が酒やタバコを赤の他人の墓の前でやるなんて、厚かましいにも程がある気がしてしまう。
かといって、桜桃忌にかこつけて、さくらんぼを供るのも、あとで片付けるお寺さんのことを思うと、食べ物を持参するのは忍びない。
結局、毎年、遠路はるばる電車を乗り継ぐ割に、墓前ですることは何もない。少し手を合わせて、周りに集まる太宰が好きだということしか知らない人に、会釈して、なぜか毎年いる、生前の太宰にあったことがあるというおじさんの話を上の空で聞いて帰ってくる。
帰りに事務所に貼ってあるポスターで黄檗宗という文字を見て、黄檗宗ってなんだったかしらと、調べながら、山門をくぐって帰る。
お寺の目の前の道はここ数年、ずっと工事している。
「三鷹の下北沢かよ」と思ったけど、こんな場合の「下北沢」は「サクラダファミリア」と同じくらい使い古させれている。
今、ここでいう「サクラダファミリア」は使い古されているものの例えであって、完成しないものの例えではない。
M・C、マイ・コメディアン
では、こりゃまた失礼いたしました。