本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

板橋は特に何もなかった

 

どうもこんにちは。

どう考えても暑すぎる。

そりゃ、暑い方がコーラが美味しいには間違いないのだが、こう暑くては辟易する。

 

少し前のことになるが、中学の頃からの付き合いの親友が結婚したというので、新居にお邪魔することになった。

別にこんなことは書いても書かなくてもいいんだけど、「ブログに書いてもいいよ」という「ブログに書けよ」という同じ意味の圧力をかけられたので、一応書いておきます。

とは言っても、書き手がこんなに消極的な文章なんだから、読む人には退屈極まりないかもしれません。

 

そもそもちょっと前まで、彼女は結婚しない、子供は作りたくない、というスタンスを割と前から高々と掲げていた。

その頃の私にしてみれば、結婚も子供もまだまだ自分の選択肢の中に登場すらしていなかったので、彼女の中でその選択肢がすでにあって、しかも、それを切り捨てるという形で、すでに選択している、ということは、なんだか先をいかれているような気がしないでもなかった。

彼女が早くからその選択をしてきたのには、彼女なりの理由があって、私もよく愚痴を聞かさせられたり、相談されたりしていたので、よく知っている。

それでも、結婚とか出産とかずいぶん先にある大人のイベントをこうも固い決意で持って決めるということは私にはまだまだ他人事だった。

 

そんな彼女が急に結婚をしてもいいと思うようになったのが、今の旦那さんの前の恋人の時だった。(旦那さんもそのことを、一応、知ってるみたいだったから、公にしてます)

年齢のこともあるだろうし、その前後で6歳下の妹が結婚したこともあるだろうと思う。

しかし、一番大きいのは彼女が自分の境遇と彼女自身のこれからを切り離して考えるようになったことなんじゃないかと思う。

 

それまでの彼女の恋愛はかなり尖った(と言って本人も怒らないでしょう)ものが多かったし、話を聞いていて、私はその間接的な体験にワクワクすら覚えていた。ただ、私が経験したいとは決して思わない。

何かあると連絡をよこし、取り止めもないことをダラダラと話して、どこにたどり着くでもなく、気を晴らして終わることがほとんどだった。

それが前述の前の恋人の頃から、落ち着いてきたような感じだった。それに加えて、ただの愚痴だった彼女の話は、少しづつ論理立てて考えられた解決策を含むようになってきていた。

 

前の恋人と別れることを決めた時にとても顕著だった。

将来を考えたときに、自分の理想と彼の語る理想とを比較して、互いに譲れる部分と譲れない部分を仕分けして、整理していた。

その結果出した彼女の別れるという結論は、正直、異論の余地がなかった。

 

彼女がどこでこんなにも落ち着いて物事を整理する能力を身に付けてきたのか、私には分からない。

もしかしたら、私と話をしていたのが大きな要因かもしれない。そうなると、この結婚の遠因は私のおかげになるけど。

こうして、いつの間にか身につけていた物事を整理して考える能力が、彼女の過去とこれからを整理して考えることに応用される形で、彼女の結婚観そのものを変えることになったんじゃないだろうか。

 

なんとなく遠回しにあなたは成長して大人になったね、と彼女に伝えようと思って、こんなことを長々と書いてみた。

 

おそらく私と彼女にとって互いは、身長を測って跡を残した古い柱みたいな存在なのだと、こうやって書きながら考えていた。

何かあると彼女は私に愚痴ったり、相談したりしに来る。そうやって私という柱に跡を付ける。また何かあったときに、ふと前に付けた跡を見てみると、意外と下にあったりする。そうやって悩んでいることで、でもさ、こんな話してた頃に比べたら成長したよね、という具合に成長を感じたりすることがある。

逆もしかり。私も何かあったときに、話を聞いてもらい、その柱に跡を残す。そして、また何かあったときに柱を見てみると、段々と付けた跡が高い位置に登っているのだ。

あんなこともあった、そんな話もした、と思い出すことで少しづつ自分が成長していることに互いに気付かされる。

 

付き合いが長い分だけ、私の跡をこんなに詳細に残した柱はない。たぶん、これは彼女も同じではないだろうか。

そんなわけで、腐れ縁が長らく続いて、互いの柱には誰よりもいろんな跡を残している。そして、その跡の懐かしさだけ、互いによくもまあ、これだけまともな大人になれたもんだ、と感心したりする。

縁は腐れても互いの柱は腐ることはこれからもないだろうと思う。

 

最初に結婚の報告が来たとき、私は家で恋人が作った美味しそうな夕飯を、さあ食べよう、というところだった。この報告のせいでせっかくの夕飯の湯気も消えていく。私はこのことを許さない。そういうわけで、もう少しおめでとうとは言わないことにしている。

 

集合場所の板橋駅は何にもないところだった。何にもなさすぎて、帰りは新宿からロマンスカーに乗った。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。