本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

ファミレス原風景

どうもこんにちは。

一つの作品を長いこと書いていると、あ、次これ書きたいな、みたいなものを思いつくのだが、そんなことばかりで進まない時がある。 今月末が公募の締め切りで、今一番書きたいはずのシーンを書いてるのに、いざ書き出すと、ここ最近で一番進まない。 まず、前に反省したように、主人公に言わせたいことを言わせるための状況がうまく作れてない気がしてならない。 そんなことを考えながら、今日1日は公募用のシナリオを離れて、次に書きたいことを書いてみる。

この間、やっとファミレスで朝を迎えることができた。 学生の頃みたいに、なんの話をするわけでもない時間をドリンクバーだけで過ごした。 どうでもいい話こそ、熱を帯びて、議論が白熱する。

このことを軸に、学生時代にファミレスで朝を迎えていた時を回想しながら、今と昔のファミレスを行ったり来たりしながら、学生時代の頃のなんかしらの誤解かトラブルを解決する、という流れにしよう。

この間のダウ90000の「また点滅に戻るだけ」や東京03の「何かありそうな日」、ドラマ「ブラッシュアップライフ」みたいなものをイメージしている。

伏線と回収かぁ…。 気持ちのいい回収出来るかなぁ…。

伏線と回収には気持ちのいい回収と、スッキリしない回収とがある。 前者は伏線だと気付かずに張られていて、回収された時に、あ、あれかぁ!と一本取られた気になる。 逆に後者は伏線の段階で、あ、これは張ってんなぁ…と気付いてしまう。だから、回収の時に、でしょうね、というため息が出る。

そりゃ観る側に回れば、こんなことはいくらでも言える。それを逆手に取って、伏線張りまくり系考察ドラマみたいなジャンルすら確立されつつある。 そういうドラマってみんな見返すのだろうか。結末を知っても、ネタバレされていても観るのだろうか。

ファミレスで迎える朝、にどれだけの共感があるのだろうか。 もし、共感されないならば、何か共感してもらえるような工夫が必要だ。逆に具体的にしすぎず、広く捨象していく必要があるかもしれない。

こうして、この二人はこの後どうなるのだろうか。関係を続けるのか、破綻するのか、もしくは変容させるのか。 いや、変容しそうで、やっぱりしないのがいいかもしれない。なにも変わらずに、出勤するサラリーマンたちに混じって寝床に帰る、というのが好きそうだ。

では、こりゃまた失礼致しました。