本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

鑑賞ノート「さかなのこ」

 

どうもこんばんは。

 

今日は観てきた映画について、くだくだと鑑賞ノートです。

 

今回はのんさん主演の「さかなのこ(映画『さかなのこ』公式サイト)」を観てきました。

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未だに何者なんだかよく分かっていない、さかなクンの半生をあまちゃんでお馴染みののんさんが演じたこの作品。

ちなみに私はのんさんのことが好きで、彼女の創作に対する推進力や周りを巻き込んでいく行動力をとても尊敬しています。そのパワーをもって臨んだ本作においても、彼女の表現力は爆発していました。

前にのんさんについて長々と書いた文章がありますので、よければこの先を読む前にどうぞ。

観劇ノート「愛が世界を救います(ただし、屁が出ます)」と、いうよりも私にとって「のん」という人は的な話 - AM1:00-3:00

 

制作はテアトル、監督は沖田修一さん、脚本は前田司郎さん。テアトルで前田司郎さんというと「ふきげんな過去」を思い出す。この時の主演が小泉今日子さんで、のんさんと強い繋がりの女優さんと言うのが、オタク気質に響いてくる。

まあ、これはとてつもなくどうでもいい話です。

 

まず、素晴らしのは主演がのんさんであるということだ。

男性であるさかなクン(さんをつけるべきか?)を女性であるのんさんが演じると言うことが、話題性を優先させたネタのように思えるかもしれません。私ものんさん主演が気になっていたものの、公開当初はこの理由でちょっと躊躇していました。

しかし、さかなクンが男性であるとか、のんさんが女性であるとか言うことは映画が始まった瞬間に一瞬で吹き飛びます。

のんさんがここで演じるのは一人の「魚好きな人間」であって、男であるか、女であるかなんてことを超えてしまったからです。演技をするのんさんは「男性役を演じている女優さん」なんて考えが観ている人間に浮かぶ隙すら与えない、圧倒的な表現力で魅了してきます。

 

のんさんの演技力に加えて、前田司郎さんによる脚本にも妙理があるような気がします。ミー坊は「タコさん」「お魚さん」「お刺身さん」と人間以外ものものにも「さん」をつけて話す癖があります。そこには人間を男女に分ける括りよりももっと大きな括り、人間と魚という括りで物事を捉え、魚に敬意をもって、憧れてやまないミー坊の姿がありました。

前田さんの脚本に描かれたこうしたミー坊像がのんさんの表現力をもってした結果、女優さんが男性主人公を演じることへの色眼鏡がどこかへ吹き飛んでしまったのではと思う。

 

ミー坊は小学生の頃から魚が好きで周りからは「変わってんな」と揶揄されます。高校生になると、勉強がからっきしだった為か、不良たちが集まる学校で、「総長」と呼ばれるその中でも特段のワルにまで「魚」と呼び捨てにされて、変わり者扱いをされます。

のちにみんなといろんな形で再開した時、ミー坊は決まってみんなから「お前は変わんねぇな」と言われます。そこには昔のように揶揄する様子はなく、変わらないミー坊に対する安心感みたいなものまであります。そう言われるミー坊だってどこか誇らしげです。

 

大人になるときに、子供の頃とは大きくはなくたって、どこか変わってしまうのが人間です。好きなものが好きでなくなったり、好きだと言えなくなっていたり。そうやって、子供の頃の何かを切り捨てることを成長だ、と自分に錯覚させて、諦めさせることが大人になることだと思って多くの人は大人になります。

ヒヨ(柳楽優弥)もモモ(夏帆)も剃刀籾(岡山天音)も総長(磯村勇斗)もみんな映画では描かれていない部分でそうだったと思うのです。

そんなみんなが、何も変わっていない、何も切り捨て諦めていないミー坊と再会するのです。

何かを捨てて大人になった人間ほど、何も捨てずに子供のままでいる人間を妬み、嘲笑するものだと思います。

私は、再会したミー坊が変わらずに魚好きであることをみんなが嘲笑するのではないか、そんな周りの嘲笑を乗り越えて自分を貫いた人間の物語なのではないか、と思っていました。

しかし、この中にはミー坊を嘲笑う人間はいませんでした。みんな、自分と違って何も切り捨てずに子供のままのミー坊が好きなのです。

いや、ミー坊が魚が好きなことが、そのこと自体が好きなのです。

 

逆風を乗り越えて、自分の信念を貫く主人公は映画にも小説にも幾らも出てきます。
しかし、ミー坊はそんな主人公たちとは違います。ミー坊は魚へのその熱い情熱をもってして、周りに逆風すらも吹かせないのです。

その結果、ミー坊も魚好きはいろんな方向へと萌芽していきます。

 

好きでありつづけるというのは、これが意外と難しいことだったりします。

私は中学生の頃から、赤いコーラが大好きです。自分で言うのも変な話ですが、この赤いコーラ好きには結構疲れさせられました。

好きな人とファミレスに行く際、近くのファミレスのドリンクバーのコーラが青いからと言う理由でわざわざ遠くのファミレスまで付き合わせたもありました。いい顔はしてなかったですよね、あの子。

飲み会でみんなが生ビールと言う中、一人空気を読まずに「コーラで」と言うのも結構疲れるものです。気を利かせたつもりで人数分の生ビールを注文した幹事、オーダーを打ち直さなきゃいけない店員さん、決まって嫌な顔をするものです。

それを好きだと言う理由、これだけで好きでありつづけるのは結構大変なことです。

まして、その好きを周りに好きでいてもらうなんて言わずもがなが過ぎます。

 

この映画の主人公、ミー坊はちょっと抜けてて、周りに無頓着です。でも、人には絶対に真似できない情熱で、周りの人を巻き込んで、自分の好きだけを貫いて、それすらも周りに好きになってもらう、そんな人間の物語でした。

それは簡単なようにみえる「好き」が意外と難しいんだな、でもその好きのおかげで、物事は大きく自分の方に開いてくれるな、と観終えた私は自分の好きなものを数えて観てみました。

 

それが思ったよりも多くてびっくり。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。