本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

民主主義が本当に分からないのよ #2

 

どうもこんばんは。

 

承前。

民主主義が本当に分からないのよ #1 - AM1:00-3:00

 

国葬の契機となった銃撃事件の直後、まだ、イデオロギーの対立によって前首相が暗殺されたと思われていた時、私はとうとうこの国で生きていくのが、恐ろしくなりました。

それは暴力によって意見を通すという民主主義におけるタブーがまかり通る世の中になってしまうような不穏な予感がしたからです。

 

この恐怖からの逃げ場を探すべく、私は著書をいくつも拝読している思想家の内田樹さんにメールをすることにしてみました。

 

内田樹 様

いきなりのご無礼をお許しください。

今日はどうしても内田さんに教えていただきたいことがあるのです。

 


私は神奈川県の飲食店で働く28歳の独身の男です。

 


先日の安倍元首相の事件から、私は焦燥感を覚えています。あの事件を契機に、何かを発言するには、私はあまりにも無知すぎることに気づいてしまったからです。

多くの人がいう民主主義の根幹を担う選挙期間での暴力、私も衝撃を受けて、色々と考えました。

しかし、考えれば考えるほど、私はその考えに自信を持つには恐れ多いほど、不勉強なのです。

 


民主主義って何?

学校で習う教科書程度のことは言えます。

でも、どうして現代において、民主主義が一番良い政治体制とされているのか。

かつて、ファシズム体制は民主主義のどこを瑕疵として批判していたのか。今はそれを克服しているのか。

 


考えてみれば、国民が選挙権を持ち、自分の思想、イデオロギーで代表を選出し、政治を進める民主主義。言論によって主義主張を戦わすのが当たり前だと思っていました。

しかし、選挙では意見の通らない少数派が暴力を持って訴えれば、選挙などなんの意味も持たなくなってしまうではないか。

民主主義を貫き通す側はじっと傷つくことしか争う術がないのではないか。

そこまでしても民主主義を貫く理由ってなんなのだろうか。

私は本当に何も知らなさすぎて、自分でおどろきました。

 


私は中退こそしたものの大学まで進学し、それなりに勉強をしてきたつもりでした。

それなのにこんなに何も知らない人間が同じ一票を持って政治に参加していいのだろうか。

Twitterで好き放題言っている人たちは、私が直面したこの無知を克服した人たちなのか。みんな、そんなに政治について、民主主義について学び、考えてきたのか。だとしたら、彼らにはあったその機会を私はどこで手放してしまったのか。

それとも、みんなよくわかってないのに知ったようなことを言っているだけなんじゃないか。だと、したら自分達が暮らす民主主義について知らない人間の寄せ集めが行う選挙に意味などあるのか、そんな人たちが決めてしまうのだとしたら、今の政治が急に恐ろしくてたまりません。

 


私がこの焦燥感を鎮めるためには何を勉強したらよいのでしょうか。

これは勉強することで鎮められるのでしょうか。

 


どうしたらいいのかと考えあぐねていた時に、急に、日頃よりご著書やブログを拝読させていただいている、それには私の実家が小田急相模原という勝手な親近感もございますが、内田先生のことを思い出し、非常に傍迷惑で、不躾だけども、お伺いしてみたいという衝動に駆られたのでございます。

 


これをお読みになって、あるいは途中で唾棄すべきものと消去されるのももっともなことですが、無視されても一向構いません。

ただ、私は自分があまりにも上辺のことしか知らない無知であったことに末恐ろしささえ感じて、どうにかこの状況を打開したいと思い、内田先生ならば、何かヒントをいただけるのではないかと思い、このような無礼を承知でメールさせていただきました。

 


お忙しい中、長文、乱文を大変失礼いたしました。突然のご無礼と重ねてお詫び申し上げます。

 


神奈川県在住 ●●●●(本名)

 

1時間半後、なんとありがたいことに内田先生からお返事を頂きました。

 

●●さまはじめまして、内田樹です。
メールありがとうございます。
とても誠実なお言葉に胸を打たれました。


ご指摘の通り民主制はたいへん出来の悪い制度です。国民の一定数が「まともな大人」でないと機能しない制度です。そして民主制では「まともな大人」が割りを食い、無責任で利己的な幼児が大きな利益を得る。
いわば制度そのものが国民に向かって「幼児化」して、制度の「フリーライダー」になることを誘っているようなものです。


でも、この制度的な弱点こそが民主制の最大の強みでもあります。
民主制の未来に不安を感じる人たちが「自分の周りは自分勝手な幼児ばかりだ。このままでは統治機構が持たない。せめて自分一人でもまともな大人になって民主制を支えなければ」という責任を痛感するからです。


制度そのものが「幼児化」への誘惑と同時に「市民的成熟」への懇請をも併せて呼び掛けている。
こんなダイナミックな統治システムは民主制の他には存在しません。


帝政や王政や貴族政では、少数の統治者だけが「まともな大人」であれば、残るすべての国民が幼児であっても国は治まります。むしろ、その方が統治コストは安上がりかも知れません。
でも、そういう統治システムでは「賢い独裁者」が不在になったら、遠からず機能不全に陥ります。国をきちんと機能させることが「他ならぬ自分の仕事だ」と思う国民を育てて来なかったからです。


たしかに民主制は非能率で、無駄の多いシステムですが、成員たちに「お願いだから、成熟した良識ある市民になってください」と懇請してくる。そんな統治システムはほかにはありません。
僕はこれこそが「民主制の手柄」だと思っています。


関口さんがこうして僕に質問メールを下さったのは「民主制を守る責任が自分にはあるのではないか」と感じたからですよね。
これが民主制の「果実」だと僕は思います。
関口さんのような市民を一人ずつ作り出して行くのが「民主制の本務」です。
選挙制度三権分立や法の支配は民主制の本質ではなく、民主制が機能しているときにだけ機能する、ただのツールに過ぎません。


民主制はまだなんとか機能している、だって自分がここにいて、民主制の未来について心配しているから。そう思って、ちょっとだけでも安心してください。
ご健闘を祈ります。

 

民主主義に対して不安を抱くのは当たり前だと、不安を抱かせて自発的に成熟を促すことが民主主義の弱点のように見える強みであるのだと、言うのです。

 

前に私が感じた絶望は、私が少しだけ成熟した市民になったことの証だったのです。

内田先生にこう仰っていただくと、絶望の中にも小さな安心を見出します。しかし、先の駄文(民主主義が本当に分からないのよ #1 - AM1:00-3:00)で言及したTwitterの中の未成熟市民とどう同じ国で生きていくのか、私には新しい不安が募るのです。

募ったからと言って、私に何が出来るのか。

 

分かったような気がしたところですが、やっぱり民主主義が本当に分からないのよ

 

では、こりゃまた失礼いたしました。