残さなくなったとて…
どうもこんにちは。
人と一緒に暮らすようになってから、Twitterもこのブログも手帳へのメモもめっきり減ってしまったような気がする。
留めておいて、後で深めてみようと言うよりも、すぐ隣にいる人にさっと話してしまった方が手軽に言語化出来るから、深める必要もないし、手軽だ。そういう手段をとっているのかもしれない。
無駄話に消費された私の小さな思索種は食卓の適当な相槌に流されてしまう。
それではよくないな、と帰りの電車でここに文章として書き残しておくも、書ききれないので、下書きへ下る。
吹けば消えるような小さな火種故、次に下書きを開くときには何について書こうとしていたのか、思い出せない。わからないのに無理やり話を深めてみても、書いた私でさえもなんだか分からない文章しか残っていない。
これを書いている今、もう鶴間駅に着いてしまった次の駅で降りなくては。
電車を降りて、改札を抜ける前にこの文章も下書きは行くのだろう。
そうすると、私が今感じている危機感を次に開いた時には思い出せない。
思い出せない危機感を無理やりこじつけ文字だけ重ねてみたところで、何になるわけでもない。
とりあえず、今日のところは、最近、何かを考えたり書いたりしなくなったな、という危機感が芽生えてきたことだけを残せれば、まずまずだろう。
では、こりゃまた失礼いたしました。