茅ヶ崎に背を向けて
どうもこんにちは。
この5年間を夢だったと思おう。
それは私が茅ヶ崎を離れる時と決めた時にまず思ったことだ。
さがみっぱらで生まれ育った私が、海から歩いて3分の潮風香る(厳密に潮風を感じたことはない)茅ヶ崎の海辺で生活をするなんて、夢だったのだ。これから、今のいままで、私の人生で迎えるとも思わなかった大和市民生活が始まる。
茅ヶ崎に越してきたのは、若さゆえの気まぐれと迂闊さのせいだった。
南海キャンディーズの山ちゃんの笑い声が響く水曜深夜。私は居候をしていた祖父母の家から出て、一人暮らしをすることを思い立った。なんと検索して部屋を探していいのか分からなかったので、「江ノ島 一人暮らし アパート」と入力する。中で2LDKで月3万円、しかも駅から徒歩3分という物件を見つけた。
空が白んできた頃、コンビニで夜勤のシフトを終えようとしていた友人を捕まえて、ガストの朝食へ直行した。引っ越しをしようと思う旨、それが江ノ島であることを話してみる。私の思いつきを彼は全部面白がって、肯定した。
所詮、他人の人生になんの責任もない。だから、互いが互いの人生を無責任に面白がることができる。奴は大層、面白がった。
10時になって、不動産屋が開店すると同時に、電話をして、当日のうちに内見の予約を取り付けた。
藤沢駅の不動産屋へ行くと、私と同い年くらいの男性が、適当に生きている私とは正反対のスーツに袖を通して立っている。営業マンの挨拶をしてくる。朝の電話の件を伝えると、すぐに話が通じたようで、席に案内される。緊張と4月下旬の暖かさのせいで、涼しげなグラスに氷を張った、夏によく合う麦茶が喉をながる頃には、その晩春の季節外れ感は薄らいでいく。
私が江ノ島で見つけた部屋と同じような条件の部屋を辻堂と茅ヶ崎にもそれぞれ2軒づつ見繕ってくれていた。さすがはスーツだけの仕事はこなしている。
結局、江ノ島は両脇の高い建物に日光を奪われていて、とても人間の住むところではない、もやし工場だと言うことになって却下。辻堂と茅ヶ崎を見てまわって、茅ヶ崎に落ち着いた。気がついた時には、私は当初の予定のおよそ倍の5万7千円、ロフト付き、バストイレ別、独立洗面所あり、南向き、二階角部屋、海まで3分の部屋にサインをしていた。引っ越しを決めてから、15時間後のことだった。
居候先の祖父母には帰ってからの事後報告だった。
軽トラックの手配、必要最低限の家具の購入、どれも意外にスムーズだった。こういう段取りを効率よくこなすのは不得手ではないらしかった。
こうして夢の5年間の茅ヶ崎生活を始めた。
この5年間、私はどんどん真人間になっていった。社会人になって、月給をもらって、生命保険に入って、家にウォーターサーバーを置いて、車を買って、免許を取って、どんどん普通の生活を送るようになっている。
それは生活が安定していることも悪ふざけから遠ざかってしまったことも孕んでいる。
いいのか、わるいのか。
つまらないような気もするし、それが大人になるということで当たり前のような気もする。
この退屈さに耐えられないような気もするし、若かった頃へのノスタルジーに酔ってるだけの思い上がりのような気もする。
どっちなんだろうかと思っている間にもこの生活が板についてくる。棺桶の中で、この人生をどう回想するのだろうか?
モラトリアムからの脱却期間の茅ヶ崎はもう終わってしまった。
真人間になりきったような私が南林間の改札を抜けていく。
では、こりゃまた失礼いたしました。