本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

引退中

 

どうもおはようございます。

 

江ノ島近辺にある職場が休業に入り、二週間。最初の数日は家に篭っていられるのがワクワクするのだが、こうも毎日続くと、飽き飽きしていくる。かと言って、人に会えるわけではない。今の世の中、なんだか人と会うこと自体が罪人のように白い目で見られるのだ。禁止されてることではないのに、自粛という言葉のせいで、世間は冷たい。その目はまるで、空いてる車両の優先席に座る人を見るようだ。

日本人にはどうにも、臨機応変に物事を捉えられないというか、堅物で面白くないところがあるように思う。自粛の意味が歪んでしまっている。「自ら」という意味が拡大解釈されて、その解釈に縛られている。

私たちはコロナと戦ううちに、全体主義の霧に迷い込んでしまった。気色が悪い。とにかく、Twitterを開くと気分を害すような情報が並んでいる。流行りのシンガーソングライターをBGMに猫と戯れる一国のリーダーで話が溢れかえっているのだ。

こういう時に自分が知らぬ間に寄りかかっている世界がいかにずさんなハリボテであるのかを痛感するんだな。

 

そんなことを言っても我が家にはおもちゃが多い。

こだわって集めている珈琲器具、エスプレッソマシン、ダーツ、無数の本、プロジェクターにスクリーン、ハンモック、電子ピアノ、トランペット、さらにこの在宅無職期間に新しく買ったギターとうちにいてもやることには飽きない。

それでも、ずっと部屋にいるという閉塞感から集中力が保たない。

何よりも人との会話がないことが一番、私を閉じ込めている。

 

あとは少し小説を書き進める。

これがまた全然進まない。考えてみると、私が何かを思考していた時間というのは自宅ー江ノ島間の自転車での往復だったのだ。つまり、職場が休業中の今、私には習慣的に何かを考える時間がなくなってしまったのだ。

思考する時間も会話する時間も無くなってしまえば、私の創作の源は枯渇してしまう。

元より水源はお猪口を満たすのが精いっぱいのか細い湧き水なのだ。間違えて誰かに踏まれてしまえば、すぐに塞がる。踏んだ当人だって湧き水を塞いだことに気付かない。さて、この生活でどうやって新たな水源を見つけるか。

 

茅ヶ崎の南口ではほとんどの飲食店が店を閉め、大きな通りは暗く閑散としている。

行きつけの寿司屋も持ち帰りの営業になってしまっている。出てくる料理が美味しのがもちろんなのだが、何よりもカウンター越しで交わす大将との会話が、またよかったのだ。うちで食べるんだとまた話が変わってくる。

 

打って変わって、サザンビーチには人が出ている。夕方、散歩に行くと、家族連れや夫婦で手を取り歩いていく人が結構な数歩いている。

ここにはどうにも自粛ということはないようだ。もっとも、私も行くところはないから、海までの散歩が日課になりつつある。

 

もう人生引退してるな、私。

あんなに仕事はしたくないと思いつつ、いざ、本当に在宅無職になると、心が保たない。ある程度のストレスが心のバランスをとっていたのかもしれない。

 

いつまで続くのかこの生活。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。