本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

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茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

29歳言

 

どうもこんにちは。

というのも束の間、29歳になった。

 

ここ数年、年を取ったからと言って特別に思うことはなかったのだが、20代が最後ともなると、少しは考える。

 

30歳になったからどう、とか言うことでもないので、20代が最後だろうが関係ないような気がする。考えるようなこともないと思うのだが、しかし、やっぱり20代最後かぁ…と思っている。

 

曖昧な感覚の節目を、これから30代に入るぞ、という未来志向よりも、そういえばこの9年はどうだったろうか、と回顧しながら、迎えている。

 

というのも、最近、通勤中、とある本を読んで考えるところがあるからだ。

 

ニッポン放送オールナイトニッポンチーフディレクターだった石井玄さんの「アフタートーク」を読んでいる。

 

この本で再三、石井さんはラジオに救われた、ラジオしか居場所がない、と語る。

 

ラジオに救われた青年が、ラジオを盛り上げ、恩返しをしていくまでが、普段語られないラジオの裏側を折り込みながら、綴られている。

 

もちろん、裏方が語るパーソナリティーの裏側など面白い。しかし、それよりも何よりも石井さんがチーフになってから手掛けたイベント、特に私も配信を見ていた、コロナ禍でのイベントの裏側はかなり読み応えがあった。

 

あの頃にイベントを開催するというのは、世の中の雰囲気に抗うようなものだった。その開催までの苦労は並大抵のものではなかったはずだ。

 

そんなイベントにかける石井さんの原動力は、番組を聞いているリスナーのために番組を終わらせない、という思いだ。

 

そして、そのリスナーの中にはいつもあの頃の石井さん自身がいる。

 

放送作家の寺坂さんとの対談の中でも、

 

きっといつも一人のリスナーの顔を思い浮かべていて。

 

学校行けなくて、友達もいなくて、それこそ「明日、死のうかな」って思っているような人が、暗闇の中でラジオをつけて膝小僧を抱えながら聴いている。そんなかつての自分と同じようなリスナーに届けと思いながら、番組を作っているんだと思います。「アフタートーク」(石井玄、2021、p204)

 

という寺坂さんの言葉にうなづいている。

 

大学にも行かなくなり、バイトも続かない石井さんを救ったラジオを通して、自分と同じような人が救われているかもしれない、という思いが常に原動力となって石井さんを突き動かしていた。

 

そんな話を読んでいると、私は自分に思うことがある。

 

私は何かに救われるほど、絶望したことがあるだろうか。

 

この問いが20代最後のラストスパートを走り始めた自分の回顧と重なる。

 

自分のいうのもなんではあるのだが、大抵のことはそつなくこなしてきた。

 

アルバイトを始めても大抵の研修は同期の人よりも早く終わる。1を聞いて10を知るは難しくとも、3くらいにことを教えて貰えば、9くらいは考えられる。

 

ある程度自分で納得できる理由とともに自分の道は自分で決められてきた。そして、その中でうまいこと人間関係を作り上げ、立ち回ることも苦ではなかった。

 

好奇心は結構、旺盛な方で、それを満たすのに必要な体力もそこそこあったので、充実した時間を過ごすこともできた。

 

特に自分で稼いで、自分で生活を面倒見てきたこの9年間は特に自由だった。

 

こうなると、何かに特化するわけでないが、何かが特別に劣ることもなかった。

 

絶望の淵にあった過去の自分を原動力に全力でいる石井さんを見ていると、その放送を聞いているとワクワクする。

 

それと同時に思うこともある。

 

私にはそんな原動力を過去に見つけられるだろうか。この29年、何かの原動力となる絶望をしてこなかったのじゃないか。もしくは、その絶望に何か言い訳を足して、目を背けて来たのではないか。

 

 

 

人間は絶望しなければ、何か出来ないのだろうか。しかし、そんなことはない。

 

絶望してないことを言い訳にして、また絶望から逃れようとしていないだろうか。

 

30代最後の一年を迎えて、考えたこととしてはあまり元気がよくなかったかもしれない。

 

あと、今さら「アフタートーク」かよと言うことは言わないで欲しい。

 

ちゃんとこの後、「ラジオじゃないと届かない」も読みますから。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。