本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

書くしかないという結論

 

どうもこんばんは。

 

今日は土曜日だったらしい。毎日家にいるもんだから、つゆ知らなかった。

まあ、こんなに仕事もせず家にいれば、休みも何もない。何曜日だって同じことだ。どうして、古代のバビロニアの人たちは曜日を作り出したのか。ゴミ出しの日だって、スーパーの特売日だって決まってない、毎日同じような生活を送っていたであろう初期文明人たちになんの必要があったのか?

おそらく、神話的な由来なんだろうな。信仰ということは為政的な必要性からかな。

そんなことはどうでもいい。

 

今、小説を書いています。

一応、これに応募しようという公募はあるのですが、間に合うかしら。

 

今更なんだけども、小説ってどうやって書いたらいいものなのでしょうか。

 

これはドを超えて、レ、ミ、ファ、素素人の私の書き方です。

大抵は書きたいシュチュエーションか、感情があります。それは私の中でどっから来るのかな、と思案します。それを自分の経験の何かをベースに織り交ぜていきます。

ちょうどクロワッサンを作るみたいなものだと思います。

私の思い出せる経験という生地に、これから書きたい感情、状況を織り交ぜます。何度も何度も伸ばしては畳んで、伸ばしては畳んで、織り交ぜます。織り交ぜるという作業は執筆において、実際に経験した時の私の感情と作品内で私が書いている人物の感情との折衷点を探す作業だと思います。

私の感情を無理に登場人物に押しつけては、ただの日記になってしまいます。でも、登場人物の感情だけで書くことは私にはできません。私はその人ではないから。

 

うーん、プロットを考えて書く人とか、人物の履歴書を作れって人とか、何も考えずに書けって人もいるし、人によって書き方はまちまち。結局、小説には方法論なんてものでは太刀打ち出来ず、書く姿勢がいくらあるかどうかだけ。書いていくうちに自分で見つけなさいってことだろうか。

大体、ストーリーなんて大雑把に決めてからしか書けません。書く前にみっちり考えるのは難しいな。そういう書き方をして、短編を書いてみようかな。

そうか、同じテーマを書き方を変えて、いくつかの短編を書いてみようかしら。

 

とにかく、今、小説を書くということそのものよりも、方法論的なところに悩んでしまっている。なんだかこれって頭でっかちかしら。

そもそも、これって小説を書くための方法論があると言うイドラみたいものに囚われているのかもしれない。そんなものはないということにしておこうか。

方法論から入らずに、実践から導いていくべきではないのか。と、なるとまずは自分ための方法論なるものを見つけるまで、ひとまずっ書き続けるべきか。それを見つけるのっていつだろう。原稿用紙何枚書いたらだろう。そんなことを考えていると、これは方法論を作るための方法論の話をしていないだろうかと、思う。

 

やっぱり書くしかないか。というか、何を書いたらいいかわからない時は何を書こうか。そうか、書きたいことを書く方法も見つけなくてはいけないし、何を書いていいかわからない時に書く方法論も見つけなくてはいけない。これは相当書かないといけないことになる。

書くしかないのか。書くしかないんだな。

書けないとか言ってらんないな。

 

いや、それを書けるようになってどうするの?ってなるんだけど、それは書いていく中でもっと考えて、登場人物に考えさせて、見つけたい。それを見つける事が書くだと思っているんだけど、書いていく中で書いていく理由を見つけるのは、ちょっとパラドキシカルな批判だと思う。

 

とりあえず、まだ当分仕事はなさそうなので、書いてみたいと思います。

自分に一喝入れるための心の整理の吐露に過ぎませんね。それなら、小説内でしろって話だ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

好きな役者と素敵な三人組

 

どうもこんばんは。

 

在宅無職も3週目を終えようとして、日に日に暇を持て余している。

 

とにかく、家で出来ることといえば、読書に、映画ドラマ鑑賞、昼寝、散歩。

どれもこれも人と関わらない。それが一番苦しいのだ。やっぱり会話は大事だな、と思う。

令和版「東京ラブストーリー」を観ては坂本裕二脚本との違いに身悶えてみたり、三谷幸喜さんの最高傑作連ドラ「総理と呼ばないで 」(私見では、古畑は優に越して、「やっぱり猫が好き」と肩を並べる傑作中の傑作)をみて、Netflixので映画を流し観る。読書の方は獅子文六老師著「七時間半 (ちくま文庫)」みたいな楽に読めるようなものから、戸山田和久さんの「教養の書 (単行本)」を読んで頭を働かせたり。

総理と呼ばないで DVD-BOX

やっぱり猫が好き2005 [DVD]

七時間半 (ちくま文庫)

 

教養の書 (単行本)

それからYouTubeでは春風亭一之輔師匠の上がるはずだった鈴本四月下席のトリを生配信するという企画も面白い。気怠そうなのらりくらりとでも斜に構えたザ・一之輔まくらもたっぷり、ネタもたっぷり。自宅で寄席気分、最高だ。一之輔師匠は亡くなった喜多八師匠を彷彿させる時がしばしばある。ゆったりと入っていくのに、噺に任せて聞き入っていると、気がついた時にはハイテンション。気怠いまくらの時の声量と声の張りとは打って変わって威勢が良くなる。好きなんだよな、この人。

生配信アーカイブ - YouTube

 

そんな中好きな役者の訃報が聞かれた。志賀廣太郎さん。

どんなちょい役も適役に思えて、代表的な役というののない、でも、出てくるとどれも人の良さが滲み出ている役が印象的な役者さんだった。

映画「あやしい彼女」で主人公の幼なじみ役を好演していたのが、私の一番お気に入りの志賀さんだ。この志賀さんを観るために、何度この映画みたことか。

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いい役者さんだったな。青年団に所属だったこともあって、平田オリザさんのツイートで知った。

 

さて、ちょっとしんみりした私は、会話したさに、流行りのZOOM飲み会をやったのだ。

これがまあ、楽しい。メンバーは高校の同級生2人と私でしめて3人。一人は地元で小学校の教員の女の子。もう一人は新卒で入社した人材派遣の会社を退職して、現在は実家に戻って日本語の先生をしている女の子。

 

私たちの中は、高三の夏の終わり、同じようなタイミングで失恋したり、恋愛のゴタゴタを抱えて、互いに共有していた。その当時の私たちにしてみれば、色恋沙汰なんか、そりゃもう大ごとで、人生の大半を占める出来事だと思っているんだから、それを共有したり、互いの悩み相談をしたりした仲の信頼関係は深い。いまだに色恋沙汰でもってなんかあれば連絡取り合うし、定期的に会う。

今回は私が暇すぎて、ZOOM飲み会をやってみたいと声をかけた。

はじめこそどうにも会話のテンポや変な沈黙が慣れなかったが、時間が経てば楽しくなってくる。画面越しでも表情の見える会話っていうのは、電話とは違う。言葉の零細さみたいものを感じる。

話題は近況報告から、最近会った高校の他の同級生、そして、昔話。

飲んで、たって私はアルコールじゃなくてコーラなんだけど、昔話をするってなんかちょっと情けない感じもするが、振り返って笑える時代を共有している人がいるということを認識できることが、どこか心強い。大人になるってそういう心強さから少しづつ離れていく寂しさでもあるような気がする。

 

私たちの関係をいう時にいつも思い出す3人組がある。

小泉今日子さん、渡辺真紀子さん、森口博子さんという3人組だ。

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お分かりだろうか?私の大好きなドラマ「最後から二番目の恋 」で小泉今日子さん演じる主人公の飲み仲間3人組だ。

最後から二番目の恋 〜なんてたってキョンキョン〜 - AM1:00-3:00

 

3人は会うと、仕事の愚痴、自分の近況、その嘆きを肴にお酒を飲む。おそらく、若い頃は上の世代に、自分がその世代になると下の世代のと、そんな愚痴で盛り上がるのだろう。話の内容が常に等身大だ。

先の同級生3人と会うときも、話の内容が少しづつ大人に、今の等身大の内容になっているような気がする。そして、昔の「あんたのあの時の男はダメだったよね」とか「本当に、あんたあの時あーしてればね」って笑える時代を共有する。

気負いしない楽な感じもこの3人を思い出す。

 

そんなことをおもって、我が家にあるノベライズ本をめくってみると、好きなシーンが目に入る。

それは中井貴一さん演じる和平が秀子、知美母娘から言い寄られるシーン。先日は母秀子(美保純さん)と、次の日は娘知美(佐津川愛美さん)と同じイタリアンレストラン「シーラス」に行くことになる。

知美と来た和平に、先日と同じウエイターは「いつもありがとうございます」と、意味深な挨拶をする皮肉なシーンがある。このウエイターのさらりと、でも、やっぱり和平の節操なさを皮肉るような言い方が好きだった。いい役者がやってるんですよ。

これが、先日亡くなった志賀廣太郎さん。

ワンシーンのちょい役だけど、私の大好きな志賀さんの一役だ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

的外れな数字嫌いは、私の浅はかさ

 

どうもこんにちは。

 

ちょっと前にTwitterで話題になった記事です。

コロナ後の世界 - 内田樹の研究室

 

内田さんの著者は、私も何冊か拝読させていただいています。

中でも「街場の文体論 (文春文庫)」は「文章を書く」ということが本質的にもつコミニュケーション能力がこれからの社会で生きていくために欠かせない能力であることを前提として、いかにそれを高めるかについて、通暁した氏の脳内書庫から出てくるたくさんの具体的な書籍とともにわかりやすく、読みやすい文体(講義録なので口語ってこともあるけど)で記されています。もっとも、こんな簡単な説明自体がこの本の本質と的外れな気もしますが。

 

そんな内田さんが、日本政府によるコロナ対応がいかにして失敗への道を辿ったのか、その本質を鮮やかに解きほどき、この後為政者によって展開されることが予想される本質をねじ曲げた改憲強硬論まで駆け抜ける。そして、内田さんの明快な説明による民主主義が持つ本来の可能性、そのために必要な我々のこれからのあるべき姿をカミュの「ペスト」を例に口説く。

最近の報道や入ってくる情報から湧いてくるモヤモヤした違和感、言い知れない苛立ち、不安をクリアに言葉にしてくれている。その上で、この感情を落ち着かせるために必要なことを冷静に、適切な温度で教えてくれている。

温度が適切であるということが、いかにも内田さんらしくて、大袈裟に騒ぎ立てたりしない。それは今回の報道の在り方に対するアンチテーゼとしてはこれ以上ないくらいだ。自粛に対する報道は大袈裟すぎないか?コロナで犠牲になった女優さんの遺骨がやっと自宅に帰られることをあんなにフラッシュを焚いて報じる必要があったのか?

我々は報道される内容ではなく、その報じられる温度で、入ってくる情報の有用性を判断している節がある。

 

閑話休題

これを読んで私はまさに雷に打たれたようにショックを受けた。私はずっと民主主義に対して不信感を抱いていた。

数字嫌い - AM1:00-3:00

ずいぶんと前に書いた記事です。

 

この不信感を自覚したのは、2016年に都知事選の報道を見たときのこと。

当初は、小池現都知事対立候補だったジャーナリストの鳥越俊一郎さんが優位に選挙戦を進めていたように記憶しています。たしかに、報道番組での氏の発言や、街頭演説でも説得力のある主張を繰り広げていた。しかし、鳥越さんのスキャンダルが週刊誌に取り沙汰されると、氏の支持率は下落し、開票すると、当選したのは小池さんだった。

私はどうにも府に落ちなかった。都知事選とは東京都で政を執り行う人物を選ぶ行為だったのではないか。都政を仕切る能力とスキャンダルにはどんな関係があるのか。スキャンダル報道後に鳥越さんへの支持を降りた人は、そもそも鳥越さんの何を支持していたのだろう。スキャンダルのないクリーンさなのか。では、クリーンであることと政治を執り仕切る能力とはどんな関係があるのか。それは都知事選の本質を外しているのではないかと思う。

 

そのときに、民主主義とはいつのまにか本質を見誤ってしまうのではないか。

本質を見出すことが出来る人も、出来ない人も平等に一票を有している。これは本当の意味で平等と言っていいのだろうか。

 

そういうわけで、乱暴な言い方をすれば、「バカも平等に一票持つ」という民主主義は偽善的な香りがすることもあって、信用ならない。いや、ならなかった。リンク先の内田さんの文章を読むまでは。

 

私はかなり浅はかだった。なぜ「バカも一票を平等に持つ」というところから、では「そのバカをバカでなくする方法はないか」という発想にならなかったのか。なんで一つの思いつきで思索をやめてしまったのか。そもそも「バカにも一票」という欠点にも翻りかねない政治体制が採用された背景を考えなかったのか。浅はかすぎる、私。

 

内田さんの説明による明快で分かりやすい民主主義の最大の利点。そして、運用するために必要な「大人」たちだということ。これを読んではっきりとしたことは私が抱いていた不信感は民主主義というシステムそのものに対しての不信感ではなかった。現状でこの「大人」たちを育成するシステムが作られていない、というところに私は不信感を抱いていたのです。

だって、思い返してみてほしい。学校で民主主義について、それに基づく議会制民主主義について、システムは習ったが、いかに運用していくかについては習った覚えがない。どうやって投票する政党を決めるのか、普段から政治に対してどのような姿勢で向き合うのか、それにはもちろんメディアとの距離感もあるだろう。そういった実用的なことを一切習った記憶がない。

それなのに、十八歳になると投票券が送られてきて、政治に参加する。この流れのどこで「大人(成熟した市民)」になれるだろうか。民主主義を運用していく上で、一番大切なところがごっそり抜けているような気がする。この空白に対して、私は違和感、不信感を覚えていたのだ。

 

私ももっと勉強しなきゃいけないな。これだけ家にいるんだから、勉強しよう。

勉強したことが何かになるんではない。勉強して、考えて、自分の中で答えに出すこと自体が大切なのだ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

ー承前ー ノー密で濃密なドライブ記

 

どうもこんばんは。

 

さて、「必要不急」の自粛気晴らし旅の続きです。

ノー密で濃密なドライブ記 - AM1:00-3:00前半はこちらより。

 

沼津漁港の明るさは、暗い山道を抜けて来た私たちには眩しすぎた。そして、沼津についてはたと気付く。なんでこんなところにいるんだと。この日のドライブはどこに行こうとも「こんな時間に」という変な枕詞が付いてくる。深夜2時、こんな時間に沼津港。カーラジオからスローバラードと、いう雰囲気でもなく不毛な議論で南海キャンディーズの山ちゃんがパンについて語っている。夜風に当たって潮の匂いで互いの人生を語らうなんて雰囲気でもない。

車を市街地にむけてしばらく走らせる。見知らぬ土地なもんでどこに辿り着く道かも分からないし、たどり着いてもそこがどこだかわかんない。わからないところに着く、わからない道。そもそも、そこを辿り着いたさきと言っていいものか。糸が切れた凧のようなドライブは私と奴の生き方のようでもある。というより、生きるということそのものが、誰にとっても、糸を切って、凧になって飛んでいくということか。知らない電線に向かう、知らない空。気付いたら、電線に引っかかっている。どこだここ、こんなところに来たかったのか、こんなところにいていいのか。そんなことを思うのもはなのうちだけ、次第に絡まっていることが楽チンになる。時に雨に打たれることはあっても、電線に引っかかっていれば、新しいところに飛んでいくことはない。風に飛ばされない楽を覚えると、それは億劫になるのだ。

 

沼津漁港の辺りに公園があって、そこに車を停めて、広く続く砂浜に出る。あとで地図で見てそこを千本浜公園というのだ知った。不毛な議論はとっくに終わって、チャンネルを変えて、佐久間さんのオールナイトニッポンへ。さすがドリームエンタメラジオ、深夜の波音と奏でる不協和音。代わりにサザンの「栞のテーマ」を流す。海によく合う。不思議なジャケットも、我々の不思議な旅に合うものだ。

栞のテーマ

誰だ、これ。なんて曲と不釣り合いな人(?)なんだ。

 

ーどうする、これから?

ーそうさね、いくところもないしな。そろそろガソリン入れなきゃじゃないか。

ーそううなんだけどさ、今日というより、将来?

ーもう時期に26歳だぜ。将来がどうとかいう頃を懐かしむ時期に入りつつあるんじゃない。

ーそれはまだ早いだろ

 

みたいな会話をした記憶はない。いま、捏造しました。海辺で語らうラジオドラマみたいなの書いてみようかな。

 

奴と私の語らいは常に海であって、語らうために大学とは反対の電車に乗って茅ヶ崎江ノ島に来たことが幾たびあることか。その都度終わりのない話に時間とコーラだけが減っていく。そして、結論を諦め、夕陽に背を向け、学校をサボった背徳感と空のコーラのペットボトルをと共に家路電車の席に着く。

何を語らっていたのだろうか、奴と。あの時の私たちには重要だったようなことなのだが、今思い出せないところをみると、どうにも重要なこではないらしい。だから、今回の私と奴の沼津での語らいも例に漏れず重要なことなどないのだから、今思い出せる内容がほとんどない。そんなことに1時間も使っている。無駄なことに1時間も浪費していることを語らった方がいい。

 

空がまだ暗くても、肌で感じる風は暖かみを帯び始める。その風が夜が時期に明けることを語りかけてくる。車の窓から吹き抜ける風は、調子に乗ったスピードの速さだけ、勢いがある。前後に車がいないのをいいことを飛ばす車の勢いのいいこと。それくらいの勢いがなくては、深夜に目的もなく、沼津漁港になんか来ない。

助手席の私はシートを倒し、運転手をよそにトロントしてくる。まあ、運転手だってたまには助手席を気にせずに一人気ままに車を走らせたいだろう。相手に気を使って眠るとは、私の気遣いのできる私だ。

伊勢原あたりで私の目が覚める。いつのまにかサザンをかけていたオーディオは奴の小さなスマホから流れるサカナクションに変わっていた。昨日の終わりが今日の始まりに薄まっていく。昨日とも今日とも言えない時間のサカナクションはいい。

 

茅ヶ崎の我が家の目の前を通り過ぎて、逗子までたどり着く。その頃にはすっかり昨日の面影はなくなり、今日が今日であるということを疑わない人たちの生活が始まっている。ここらでコーヒーでも飲みたいなと、逗子の海岸から近いところで探してみると、この時間にやっているコーヒースタンドを見つける。

セキュリティチェックが必要です

深夜を走り抜けた謎のドライブの終幕にちょうどいい果実味のする浅煎りのコーヒーとホットサンドを頂く。私たちが朝を満喫する間にも出勤前の幾人かが一息ついていく。サードウェーブど真ん中の店内だった。

 

そのまま車は元来た道を戻るようにして鎌倉へ。

今でこそ、湘南封鎖網が報道されている通り、青島警部補よろしく「(国道)134(号線)封鎖できません」状態だけれども、先週は、しかも平日の朝ともなるとそこまで厳しくない。波打ち際を私と奴で歩く。どうにも、私と奴は歩く。そうか、歩く場所を求めて、車を走らせたのかもしれない。手には日本史の教科書。互いに交互に問題を出し合う。語らうよりもよっぽど有意義な時間かもしれない。

 

ー伊豆韮山反射炉を作ったのは?

江川太郎左衛門

 

こんなことのどこが有意義なものか。インスタに映えそうな朝の海がもったいない。

 

車に戻った私たちは、靴の中の砂も気にせず、つい3時間前に通り過ぎた茅ヶ崎に帰ってくる。

車をおいて、何をしようかと。一晩もいれば、そろそろ話題も尽きる。腹も減ったし、駅まで散歩がてら午飯でも買いに行こうと、また歩く。前にも話しました馴染みの寿司屋が始めたお持ち帰りの折詰を買いに行く。見てると、お腹はもっと空いてきて、さつま揚げやら何やら買って、帰ってくる。

寿司を食べて、先日のTBSで放送された「ドリームマッチ」をみる。一晩寝てなくて、お腹が満たされれば、眠くなる。こりゃものの通りだ。コロナが流行って、マスクがなければ、国が大枚を叩いて配る。これもものの通りだ。理屈が全く同じことに気づく。

夕方になって、目が覚めると部屋には誰もいない。奴と一緒にいたはずなのにおかしいなと。もしや夢かと思う。

いいや、夢でない証拠がテーブルに。空の折詰が放置されている。

食べた後くらい片付けていってくれてもいいではないかと、ちょっと思う。

 

長々と綴ったドライブ記もここまで。

いかんせんポエティックな文体になって自分でも驚いているところです。

 

ではまた、自粛しましょう。

 

こりゃまた、失礼いたしました。

 

ノー密で濃密なドライブ記

 

どうもおはようございます。

 

巷を賑わす「不要不急」とはどこまでのことを言うのだろうか。そんなことを考えると、1日を無駄にしてしまいそうなので、都合よく解釈を変えることにしておく。

面倒な人からの連絡は「不要不急」で断り、高校時代の腐れ縁からの誘いは「気晴らしは『不要』でなかろう」とそそくさ出向く。もちろん、「密」には気をつける。

そんなわけで、先日、奴と深夜のドライブに行った。常時、窓を開けて、密閉を避けて、人気のいないところへ車を走らせる。と言っても茅ヶ崎を21時に出れば、どこに行こうがそうそう人がいるわきゃない。

 

まず、海沿いのコンビニで飲み物とお菓子を買って、車に乗り込む。運転するのは奴で、車の所有者は私なので、ワンデーの保険にも入ってもらう。なんでも揃うコンビニはこれから始まる冒険のワクワクを駆り立てる演出にはもってこいだ。金管のファンファーレにシンバルが重なり、ティンパニが響いて、木管グリッサンドが飾れる。冒険に相応しいBGMの代わりにコンビニとはお手軽でいい。コーラを買って、カフェラテを買って、お茶を買って。おそらく帰りまでにお茶を開けることはないだろう。

 

134号線をサザンオールスターズというベタ中のベタをBGMに走っていく。真っ暗な海も目が慣れてくると、少しづつ白波らしいものが見えてくる。それだけで海沿いを走る意味がある。標識に「小田原」の地名が目に入るので、小田原城でも見ておこうということになる。奴と出掛けて、何かが決まっていた試しがない。無計画を計画するのだって立派な計画だ。これが我らの流儀。

着いた小田原城に人影があるわけもない。日本史の大好きな我々は、早速小田原城で思い出すことを挙げ連ねる。秀吉の小田原征伐は何年のことか。ことの発端はなんだったか。そもそも小田原北条氏を早雲から末代目で言えるっけか。何故か奴のカバンから山川出版社の「日本史B用語集」が出てくる。

秀吉の小田原を攻めたのは1590年のこと。1585年に発した「惣無事令」に反して、真田領の名胡桃城にちょっかいを出した北条氏直が、秀吉に降伏しなかったことから始まる。小田原北条氏こと後北条氏は早雲の下克上に続いて、氏綱、氏康、氏政、氏直と続く。

なんて知識を自慢気にひけらしている場合ではない。

で、休憩中のタクシーが並んでいるだけで人影のない小田原城を後に車を走らす。次に目がいったのが標識が「沼津」の文字。

 

国道1号線をまっすぐ行く。ずっと行けば真鶴、熱海と抜けて沼津まで行けると思ったのだが、どこかで道を間違えたのか、いつのまにか箱根湯本に。ここまで来れば、先に待つのは駅伝の5区で知れる山道しかない。深夜0時を過ぎようかなんて頃の山道は今思い出すだけでもゾッとする。それでも、いくしかないと大宮台、強羅と山道を行く。

どうでもいいが、どうして、山道はあんなに曲がるのだろうか。あんなところに道が必要だろうか。なければないで、こっちも通らんよ、なんて的外れな悪態をつく。

 

御殿場から山を降って、市街地を抜けて、沼津の海へ。御殿場の山から見た静岡の市街地、自粛で静まり返る世相と打って変わって賑やかに綺麗なこと。何をあんな時間に灯りが燈ることがあろうか。

 

途中、見慣れない24hの蕎麦屋で夜食を取る。スマル亭、こう言っちゃなんだけども、寂れた感じがいい。暗い田舎道の中にポツンと煌々と光る蕎麦屋。なんとも言えない。

安い蕎麦で思い出すのが、柳家喬太郎師匠の「コロッケ蕎麦」

https://youtu.be/8hGUS397nrg

存在感なくこっそり効いている素振りだけを見せる出汁、深夜の静けさでなけりゃかき消されるような蕎麦の香り、出汁の中で溶けてほどけていく桜エビのかき揚げ。深夜に知らない土地で食べるにはちょうどいい。

食後の一服に向かいのコンビニでカフェラテを買う。案の定、初めに買ったお茶は封すら開けられていない。

 

人工的に明けさせた沼津漁港の深夜は明るい。

 

さて、ずいぶん長いこと書いたので、続きは次回にしましょうか。

いつものことながら、お読みの皆さんは何を読ませれているんだと、お疲れのことでしょうが、考えても見ていただきたい。読んで疲れるものは書いても疲れるんです。偉そうにいうことでもないやね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

引退中

 

どうもおはようございます。

 

江ノ島近辺にある職場が休業に入り、二週間。最初の数日は家に篭っていられるのがワクワクするのだが、こうも毎日続くと、飽き飽きしていくる。かと言って、人に会えるわけではない。今の世の中、なんだか人と会うこと自体が罪人のように白い目で見られるのだ。禁止されてることではないのに、自粛という言葉のせいで、世間は冷たい。その目はまるで、空いてる車両の優先席に座る人を見るようだ。

日本人にはどうにも、臨機応変に物事を捉えられないというか、堅物で面白くないところがあるように思う。自粛の意味が歪んでしまっている。「自ら」という意味が拡大解釈されて、その解釈に縛られている。

私たちはコロナと戦ううちに、全体主義の霧に迷い込んでしまった。気色が悪い。とにかく、Twitterを開くと気分を害すような情報が並んでいる。流行りのシンガーソングライターをBGMに猫と戯れる一国のリーダーで話が溢れかえっているのだ。

こういう時に自分が知らぬ間に寄りかかっている世界がいかにずさんなハリボテであるのかを痛感するんだな。

 

そんなことを言っても我が家にはおもちゃが多い。

こだわって集めている珈琲器具、エスプレッソマシン、ダーツ、無数の本、プロジェクターにスクリーン、ハンモック、電子ピアノ、トランペット、さらにこの在宅無職期間に新しく買ったギターとうちにいてもやることには飽きない。

それでも、ずっと部屋にいるという閉塞感から集中力が保たない。

何よりも人との会話がないことが一番、私を閉じ込めている。

 

あとは少し小説を書き進める。

これがまた全然進まない。考えてみると、私が何かを思考していた時間というのは自宅ー江ノ島間の自転車での往復だったのだ。つまり、職場が休業中の今、私には習慣的に何かを考える時間がなくなってしまったのだ。

思考する時間も会話する時間も無くなってしまえば、私の創作の源は枯渇してしまう。

元より水源はお猪口を満たすのが精いっぱいのか細い湧き水なのだ。間違えて誰かに踏まれてしまえば、すぐに塞がる。踏んだ当人だって湧き水を塞いだことに気付かない。さて、この生活でどうやって新たな水源を見つけるか。

 

茅ヶ崎の南口ではほとんどの飲食店が店を閉め、大きな通りは暗く閑散としている。

行きつけの寿司屋も持ち帰りの営業になってしまっている。出てくる料理が美味しのがもちろんなのだが、何よりもカウンター越しで交わす大将との会話が、またよかったのだ。うちで食べるんだとまた話が変わってくる。

 

打って変わって、サザンビーチには人が出ている。夕方、散歩に行くと、家族連れや夫婦で手を取り歩いていく人が結構な数歩いている。

ここにはどうにも自粛ということはないようだ。もっとも、私も行くところはないから、海までの散歩が日課になりつつある。

 

もう人生引退してるな、私。

あんなに仕事はしたくないと思いつつ、いざ、本当に在宅無職になると、心が保たない。ある程度のストレスが心のバランスをとっていたのかもしれない。

 

いつまで続くのかこの生活。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

想像力の欠けた船頭が漕ぐ泥舟、それは文化・芸術の敗北に等しい

 

どうもこんにちは。

 

世の中は新型コロナウィルスのことでいっぱいだ。物心ついた時から、テレビ画面の向こう側から笑わせてくれたコメディアンも犠牲になった。その一方で、計り知れないほど大きな失望を伴うその死を「最大の功績」という想像力が甚だ欠けた一言で片付けてしまう人もいる。どうして、彼の死が国民に対する意味しか持たないのだろうか。どうして、自らが執り行う行政の不手際も起因していると、自らの反省を促せないのか。想像力の乏しさが、人の不安を思いやることのできない愚かさが、日々、国家でも都政でも露呈している。

 

こういう時世になると、やはり真先に切られるのは、文化・芸術というおよそ物理的な生産性のない分野なのだ。ライブハウスには行くな、準備中の公演は中止しろと、それに関わる人間の生活など、気にも留めずに言い放つ。

そのことでどうなるだろうか、という想像力が乏しすぎるのだ。普段あってもなくてもいいと思っている文化・芸術が本当になくなることでどうなるだろうか、と考えが及ばないのだ。有事の際に、想像力の乏しさが露見するのはなにも矢面に立つ人たちではだけない。目の前の情報の信憑性を一度も疑うことなく、踊らされ、家を米やらトイレットペーパーやらでいっぱいにする愚者や、自分のことだけを考えて、目の前の人間を心ない罵声で蔑む者まで街にいる。

 

その想像力の乏しさは何が原因であろうか。私はその者達が文化・芸術に触れてこなかったのだろうと思う。

 

物理的な生産性のない文化・芸術の類が、私たちにもたらしてくれるものは、間違いなく精神的な成長だ。その最たるものが、想像力である。本読むにしても、映画を観るにしても、音楽を聴くにしても、私たちは何かを思い、何かを考え、何かを言葉にしたりする。それは想像力を使う練習のようなことをしているのだ。

先に述べたような愚者達は、こうした文化的なものに触れてこなかったのだ。仮に学校などで触れていたとしても、彼らは作品から感じたものを言葉にするのではなく、教師から求めらているであろう「正解」の言葉を導いたに過ぎないのだ。そんなことの所産は想像力を働かせたとは言い難く、文化的な体験とは言えない。

 

今、我々が対峙している局面は、新型のウィルスの拡散による恐怖ではない。それ自体は本来、我々が正しく把握し、理性的に動けば、恐るに足らないことだったはずである。しかし、ここまで事態が大きくなったのは、文化的な体験による想像力を著しく欠いたもの達が先頭に立って事態を収めようとしていることなのだ。そして、想像力の欠いた者たちは、想像力を培うはずの文化・芸術を滅ぼすことで、収集をつけようとしているのだ。

文化・芸術がなすべき役割を担えなかったことで、文化・芸術が潰れようとしている。それが今、我々が目の前にしている最大の問題だ。

 

ここで、文化・芸術が潰れては、この事態はおそらく収束しない。

 

まあ、マスクを2枚配れば、この難局がなんとかなるなんて言うんだから、想像力もへったくれもない。

この時世に、感染の予防に余念がないのは当然のことながら、私は無駄をやめない。こうして、今まで通りの駄文を書いたり、読書に映画に観劇に、一銭にもならない思考で生活を埋めたい。

もちろん、今後のことについては不安が大きい。世界中にウィルスに蔓延して、鎖国状態が広がり、世界経済が傾きかけている。それでも、こういう時にこそ、無駄がいいんじゃないかと思う。

 

こういう時に、そういう無駄から省こうということがどれだけ浅はかなことか。

こういう時こそ、無駄をなんとか守ろうってのが大事なんだろう。それが有事の際の人間の拠り所になって、次に向かうための想像力になるだろうか。それが次の時代を作るのではないか。戦後の笠置シヅ子のように。

言いたいことを勢いに任せて書いて、ちょっと支離滅裂ですね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。