本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

ー承前ー ノー密で濃密なドライブ記

 

どうもこんばんは。

 

さて、「必要不急」の自粛気晴らし旅の続きです。

ノー密で濃密なドライブ記 - AM1:00-3:00前半はこちらより。

 

沼津漁港の明るさは、暗い山道を抜けて来た私たちには眩しすぎた。そして、沼津についてはたと気付く。なんでこんなところにいるんだと。この日のドライブはどこに行こうとも「こんな時間に」という変な枕詞が付いてくる。深夜2時、こんな時間に沼津港。カーラジオからスローバラードと、いう雰囲気でもなく不毛な議論で南海キャンディーズの山ちゃんがパンについて語っている。夜風に当たって潮の匂いで互いの人生を語らうなんて雰囲気でもない。

車を市街地にむけてしばらく走らせる。見知らぬ土地なもんでどこに辿り着く道かも分からないし、たどり着いてもそこがどこだかわかんない。わからないところに着く、わからない道。そもそも、そこを辿り着いたさきと言っていいものか。糸が切れた凧のようなドライブは私と奴の生き方のようでもある。というより、生きるということそのものが、誰にとっても、糸を切って、凧になって飛んでいくということか。知らない電線に向かう、知らない空。気付いたら、電線に引っかかっている。どこだここ、こんなところに来たかったのか、こんなところにいていいのか。そんなことを思うのもはなのうちだけ、次第に絡まっていることが楽チンになる。時に雨に打たれることはあっても、電線に引っかかっていれば、新しいところに飛んでいくことはない。風に飛ばされない楽を覚えると、それは億劫になるのだ。

 

沼津漁港の辺りに公園があって、そこに車を停めて、広く続く砂浜に出る。あとで地図で見てそこを千本浜公園というのだ知った。不毛な議論はとっくに終わって、チャンネルを変えて、佐久間さんのオールナイトニッポンへ。さすがドリームエンタメラジオ、深夜の波音と奏でる不協和音。代わりにサザンの「栞のテーマ」を流す。海によく合う。不思議なジャケットも、我々の不思議な旅に合うものだ。

栞のテーマ

誰だ、これ。なんて曲と不釣り合いな人(?)なんだ。

 

ーどうする、これから?

ーそうさね、いくところもないしな。そろそろガソリン入れなきゃじゃないか。

ーそううなんだけどさ、今日というより、将来?

ーもう時期に26歳だぜ。将来がどうとかいう頃を懐かしむ時期に入りつつあるんじゃない。

ーそれはまだ早いだろ

 

みたいな会話をした記憶はない。いま、捏造しました。海辺で語らうラジオドラマみたいなの書いてみようかな。

 

奴と私の語らいは常に海であって、語らうために大学とは反対の電車に乗って茅ヶ崎江ノ島に来たことが幾たびあることか。その都度終わりのない話に時間とコーラだけが減っていく。そして、結論を諦め、夕陽に背を向け、学校をサボった背徳感と空のコーラのペットボトルをと共に家路電車の席に着く。

何を語らっていたのだろうか、奴と。あの時の私たちには重要だったようなことなのだが、今思い出せないところをみると、どうにも重要なこではないらしい。だから、今回の私と奴の沼津での語らいも例に漏れず重要なことなどないのだから、今思い出せる内容がほとんどない。そんなことに1時間も使っている。無駄なことに1時間も浪費していることを語らった方がいい。

 

空がまだ暗くても、肌で感じる風は暖かみを帯び始める。その風が夜が時期に明けることを語りかけてくる。車の窓から吹き抜ける風は、調子に乗ったスピードの速さだけ、勢いがある。前後に車がいないのをいいことを飛ばす車の勢いのいいこと。それくらいの勢いがなくては、深夜に目的もなく、沼津漁港になんか来ない。

助手席の私はシートを倒し、運転手をよそにトロントしてくる。まあ、運転手だってたまには助手席を気にせずに一人気ままに車を走らせたいだろう。相手に気を使って眠るとは、私の気遣いのできる私だ。

伊勢原あたりで私の目が覚める。いつのまにかサザンをかけていたオーディオは奴の小さなスマホから流れるサカナクションに変わっていた。昨日の終わりが今日の始まりに薄まっていく。昨日とも今日とも言えない時間のサカナクションはいい。

 

茅ヶ崎の我が家の目の前を通り過ぎて、逗子までたどり着く。その頃にはすっかり昨日の面影はなくなり、今日が今日であるということを疑わない人たちの生活が始まっている。ここらでコーヒーでも飲みたいなと、逗子の海岸から近いところで探してみると、この時間にやっているコーヒースタンドを見つける。

セキュリティチェックが必要です

深夜を走り抜けた謎のドライブの終幕にちょうどいい果実味のする浅煎りのコーヒーとホットサンドを頂く。私たちが朝を満喫する間にも出勤前の幾人かが一息ついていく。サードウェーブど真ん中の店内だった。

 

そのまま車は元来た道を戻るようにして鎌倉へ。

今でこそ、湘南封鎖網が報道されている通り、青島警部補よろしく「(国道)134(号線)封鎖できません」状態だけれども、先週は、しかも平日の朝ともなるとそこまで厳しくない。波打ち際を私と奴で歩く。どうにも、私と奴は歩く。そうか、歩く場所を求めて、車を走らせたのかもしれない。手には日本史の教科書。互いに交互に問題を出し合う。語らうよりもよっぽど有意義な時間かもしれない。

 

ー伊豆韮山反射炉を作ったのは?

江川太郎左衛門

 

こんなことのどこが有意義なものか。インスタに映えそうな朝の海がもったいない。

 

車に戻った私たちは、靴の中の砂も気にせず、つい3時間前に通り過ぎた茅ヶ崎に帰ってくる。

車をおいて、何をしようかと。一晩もいれば、そろそろ話題も尽きる。腹も減ったし、駅まで散歩がてら午飯でも買いに行こうと、また歩く。前にも話しました馴染みの寿司屋が始めたお持ち帰りの折詰を買いに行く。見てると、お腹はもっと空いてきて、さつま揚げやら何やら買って、帰ってくる。

寿司を食べて、先日のTBSで放送された「ドリームマッチ」をみる。一晩寝てなくて、お腹が満たされれば、眠くなる。こりゃものの通りだ。コロナが流行って、マスクがなければ、国が大枚を叩いて配る。これもものの通りだ。理屈が全く同じことに気づく。

夕方になって、目が覚めると部屋には誰もいない。奴と一緒にいたはずなのにおかしいなと。もしや夢かと思う。

いいや、夢でない証拠がテーブルに。空の折詰が放置されている。

食べた後くらい片付けていってくれてもいいではないかと、ちょっと思う。

 

長々と綴ったドライブ記もここまで。

いかんせんポエティックな文体になって自分でも驚いているところです。

 

ではまた、自粛しましょう。

 

こりゃまた、失礼いたしました。