本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

まあ、理解を求めているわけじゃないんですけどね、自分のために一応しておきますよ宣言

 

どうもこんにちは。

 

毎回「どうもこんにちは」から始めていて、この一行目はいつもすんなり打てるのに、エンターキーを二回押して、改行してから先が進まない。書きたいこと、考えていることは確かにあるのに、なんて一言で始めればいいのだろうか、考え出して、数分経つ。

結局、不本意で濁したような言葉を並べて、ウォーミングアップしている。

 

海に出て、冷たい風を受けながら、「この人生、ドロップアウトだな」と声にしてみた。

それで一気に気持ちが切り替わって、とりあえず、今のうちに言葉にしておこうと、急いで帰って、ここにいる。

 

ここ数年ずっと、もっと勉強したいという思いを強くもっていて、そのために、足繁く本屋に通ったり、見たり聞いたりしてきた。でも、それではどこか物足りなさ、つまり、中途半端さが残っていて、でも、その半端さが私の現在の生活から捻出できる最大限のものであるし、かと言って満たされないことへの不満はあるし…なんていう風に欲求と言い訳を読点で繋いできた。

こんな正しくないだろう読点の使い方に疲れてきたし、徐々に言い訳がバカらしくなってきた。

 

誰に対しての言い訳なのか。

 ー抑圧された私自身に対する言い訳だ。

何で自分自身を抑圧するのか。

 ー……。

いつのまにか目の前にあるものを投げ打ってしまうことに恐ろしさを抱いているんじゃないか。

 ーもう何も聞きたくない。

自分を抑圧している自分に抑圧を強いているものなんだ。

 ー私がやりたいことをやることを誰にも理解されないだろうという懸念みたいなものだよ。

そんなもの要らないじゃないか。目の前の欲求のために投げ出す目の前のものに投げ出すことを理解されなくても何も困らないだろ、理解されて何になるんだよ。

 ーこの人生、ドロップアウトだな

 

一人で寂しく、こんな小芝居をしているわけだ。頭の中の劇場には、観客が私一人しかいない。

観客は最後のセリフを聞いて、思わずスタンディングオーベーションして、拍手喝采している。

 

そういうわけで、私は何の計画も試算もないままにもう一度大学受験しようと思っている。

 

正社員として、社会人として、それなりの生活しているのにそれを投げ打って、どうなるかわからない学生を志すことは理解されないかもしれない。でも、そうしたいと思ってしまうのだから、どうにもならない。思うことをやめられない。思うことを閉じ込めて生きていくのか、それとも苦労しながらそれに付き合うのか。

とことんまで付き合った方が断然いいに決まっている。それしかないに決まっている。それを阻む要素は除いた方がいいに決まっている。

こんな簡単なことが、分かりきったことが出来ないなんて愚かすぎる。

 

小田急線沿いの大学を途中で辞めて、芸能事の真似事に片足を突っ込んで、それも辞めて茅ヶ崎に越してきた。茅ヶ崎に来るまでに何度もドロップアウトしてきた。

そんなでも、ありがたい事に今の会社に拾ってもらい、なんとかドロップアウトしてしまったラインに戻してもらえた。それを分かっていながら、それをまたドロップアウトしようとしている。普通はラインに戻してもらえたら、そのラインにしがみついてでも離れまいとするものだろう。何故か私はそれからまた落ちて行こうとしてしまう。あー分かってもらえないんだろうな、と思っている。

それでも私は理解されないドロップアウトの道をいく決心をしてしまった。

生活がどうなるかもわからない。学費はどうするのかもわからない。何か手立てはあるだろうか。

考えなくちゃいけないことは山ほどある。でも、そんなことを考えていては先に行けないじゃないか。考えることをやめて、やっちゃった方が何とかなることも多い。どうにでもなる。どんなに考えても現実には、どうにかなることしか目の前に現れないのだ。どうにもならないことは考えても行動に移してみてもどうにもならない。だったら、行動に移してどうにかしてしまおう。どうにかなることしか起きない人生、どうにもならないは存在しないのだから。

 

今はこんな心境です。

これを理解してもらう必要もない。

 

ただ、自分のために言葉にしておく。

 

そんなものを読ませてしまい申し訳ないです。

 

では、こりゃまた失礼いたしまいした。