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茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

鑑賞ノート「ケイコ 目を澄ませて」

 

どうもこんばんは。

 

今年は「観た」「読んだ」「聞いた」「行った」はなるべく早いうちに活字に起こして残しておこうと思い、早速、昨日観た映画の話を。

 

岸井ゆきのさん主演「ケイコ 目を澄ませて」を109シネマズ川崎にて鑑賞。

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生まれつき耳の聞こえないボクサーの葛藤を描いた物語。

 

最初の印象は、騒々しく姦しい映画だった。

氷を噛む音からはじまり、一定のテンポで刻まれる縄跳びを飛ぶ音、そのテンポを2拍でカウントするようなサウンドバックを叩く音、その音の裏拍をとるように軋むマシーンの音。まるで作られたかのような音楽的な雑音カルテットが奏でられる。

その後も音楽よりも常に街の喧騒や雑音が、それもハモるように何重奏になって、常に鳴っている。

耳は聞こえなくても、頭の中でうるさいほど、揺れて、悩んでいるケイコの心模様のようにも思える。

 

ボクシングに疎いので、ボクサーにとって耳が聞こえないことがどれだけハンデなのか、私はよくわからない。

劇中、それを説明するセリフが少しだけあるが、ケイコのボクシングの物語に耳が聞こえるかどうかはあまり関係ない。映画の中で、耳が聞こえるかどうかはあまり重要ではないのだ。ケイコの葛藤はケイコのものであり、耳が聞こえないことが特別ではないケイコにとっては、耳が聞こえないことは葛藤にならないのかもしれない。私たちにとって耳が聞こえることが葛藤になることがないのと同じだ。

彼女のボクシングに対する葛藤は、私たちが仕事や生活で抱きかねない、ありふれたものだった。

 

警察官に職務質問されかけるシーンや、コンビニの会計でポイントカードとエコバックが噛み合わないシーンなど、多少、耳が聞こえないことにフューチャーする描写はあった。

しかし、それはあくまでこの物語の主軸にならない。

 

それが、この映画はよかった。

耳が聞こえないことが、感動を喚起するスパイスとして扱われていないのだ。この映画のケイコは恐らく、耳がきこえなくて成立している。それくらい、この映画は耳が聞こえないことをテーマとしてはいない。

 

ケイコの葛藤はボクシングをやること、その意味を問うているのだと、わたしは思った。

「どうして、ボクシングをやるのか」という弟からの問いに「殴るのは気持ちいい」と答える。

トレーナーには「痛いのは嫌いです」と弱音を吐く。

「プロボクサーになっただけですごいことなんだから、もういいんじゃない」と母親に諌められると、何も言えずに目を逸らすことしかできない。

次の試合に気持ちが入らず、会長から降りることも提案されるケイコ。

 

どうしてか、私たちは一旦悩み始めると、必ず答えがあるものだと思い込んで、それが見つかるまで動くことをやめてしまう。

多くの場合、その答えなんかないのに、考えれば考えるほど、答えの存在を信じて疑わなくなる。どんどん前に進めなくなる。

 

そんな風に悩むおり、ジムの閉鎖が決まり、会長が脳梗塞で入院する。

答えを探せないでいるケイコは試合を迎える。コロナ禍で無観客のなか、行われる試合をスマホタブレットで、みんなが見つめている。

 

そして、役者陣の演技が素晴らしかった。

とにかく、岸井ゆきのさんがすごい。

生まれつき耳が聞こえないために、全くしゃべらないという難しい役を、しかも、繊細な心のざわつきを、表情と出で立ちだけで見事に表現しきっている。

特に、不貞腐れたときの表情がリアルで素晴らしかった。物理的に声にも出せず、吐き出せない鬱屈とした感じを表現しきっていた。

 

それから、会長役の三浦友和さんも素晴らしかった。老いやジムの経営難に病気と重なる苦労を画の中にいるだけで表現している。

台詞の前の「んん…」だったり、「あぁ…」という活字に出来ない、唸り声のようなため息のような音による間の作り方で、次の台詞に対して、こちらが一歩前のめりになってしまう。その一歩、また一歩が映画への没入感を深める。

 

静かな画と静かな色合い、そこに騒々しい日常音が、終始流れる。

それは耳が聞こえないケイコの物理的な静けさと、心の中の悩ましく煩わしい姦しさとの対比とリンクしているようにも思える。

 

静かにでも、熱く悩むケイコの物語は、耳が聞こえないボクサーの物語ではない、悩みながらもがくボクサーの誰だって抱えている物語だった。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。