本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

弾丸0泊深夜バス旅 ー京都編ー 第二部

 

どうもこんばんは。

今回も前回の続きの弾丸京都旅の旅行記です。

前回の読み返して驚いた。何がって、あれだけ書いてまだ深夜バスが出発したばかりだ。今日は京都には着くでしょう。お昼ご飯は…食べれたら食べたいね。

弾丸0泊深夜バス旅 ー京都編ー 第一部 - AM1:00-3:00

まだお読みで無い方は、こちらからどうぞ。

 

さて、深夜バスは出発した。

真っ暗な車内で、私の耳に流れるアルピーの会話。ウトウトし始める。

気がつくと、バスは海老名のSAにて小休憩。夜の空気を大きく吸うと、身体中に溜まった車内の空気が入れ替わって気持ちがいい。体が少し軽くなる。少しムッとする暑さと湿度が全身にまとわりつく。新しい土地に降り立ち、新しい空気を吸い込んで、新鮮な私を見つける。

ちょっと情緒的に書いてみたが、まだ新横浜から海老名までしか来ていない。先を急ごう。

 

再度バスが走り出す。火曜の深夜といえば、「爆笑問題カーボーイ」だ。今回は田中さんが、奥さんで、新型コロナに感染した山口もえさんの濃厚接触者として自粛中のため、太田さんとウエストランドの3人で始まる。いや、ウエストランドって誰だよって方が多いでしょう。その辺のイレギュラーな感じも日常からイレギュラーを求めた旅には持ってこいだ。

それでも、考えてみれば、この日は朝から働いているのだ。睡魔には勝てない。アイマスクの中でしっかり目を閉じて、意識はうつらうつらとしてくる。

 

次に意識が戻ったのは、ちょうどカーボーイのエンディングの時だった。海老名から2時間ほど走ったバスは森町のSAにて小休憩。

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財布とお供の本、カツセマサヒコ氏の「明け方の若者たち (幻冬舎単行本)」を持って外に出る。バスから一歩外へ出ると深まった夜の空気が肌をかすめる。海老名よりも密度が小さく軽い空気が、海老名よりも冷めていて、気持ちいい。

なんの意味があるのか、画面に映し出された自販機の抽出中のコーヒー中継を眺めながら、コーヒーが入るのを待つ。あの画面の動画は本当に毎回違うものなのだろうか。

入ったコーヒーをすでに店仕舞いを済ませたイートインのベンチに腰掛け、コーヒーを飲みながら、読書の続きを紐解く。今時の本は紐に結わわれていないだろう。

社会人となった主人公の仕事に対する希望が薄れてくる描写に共感する。その落胆こそが今、私をここに連れてきたのではないか。落胆したからこそ、私はここにきてしまったのだ。出発時間間際にバスに乗り込み、冷めかけたコーヒーを一気に飲み干す。コーヒーの刺激はアイマスクの下では意味もなく、すぐ眠りにつく。

 

次に目が覚めた時には、外がうっすらと白んでいた。バスは土山のSAに停車していた。

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特に疲れているでも、買い物があるわけでもないのだが、一応バスから降りておく。外のベンチで本の続きを読む。主人公とその彼女、それから友人が高円寺の明け方の空の下を歩いている場面。彼らと同じ空気を吸っているような気がしてくる。仕事に不満がありながら、それを共有して、笑い飛ばして、飲み明かす彼女と仲間がいる。きっと数年後に振り返れば、彼らにとって、とんでもなく眩しい時間じゃなかろうかと、少し羨ましく思いながら、ページをめくる。

 

もうバスが走り出しても、眠気は襲ってこない。だからといって、明かりをつけて本を読むわけにはいかない。周りは就寝中だ。

ラジコを起動して、TBSラジオを聴こうと思うも、再生しない。そうか、ここは関西。東京のラジオはエリア外なのだ。月額払っているので、エリアフリーで東京のラジオも聞けるには聞けるが、せっかくだからと適当な京都のご当地番組を聞いてみる。思ったよりも関西の言葉でないことにがっかりし、聞き流す。

 

京都駅に着いたらどうしよう。そういえば、今の今までこの後の予定を考えていなかった。予定を立ててみよう。

まずはお風呂だ、サウナだ。京都駅近くのサウナを検索する。それから、喫茶店をいくらか検索する。朝ご飯を決めて、巡る寺を決めよう。行きたい寺をピックアップする。

醍醐寺。一本木造りの十一面観音立像が見事で、私の大好きな仏像の一つだ。どうせなら、これは見たい。ただ、これは京都駅から少し遠い。今回は断念しよう。

浄瑠璃寺。これは九体の大日如来が鎮座している面白い寺院。なんで九体なのかってところが実に面白いのだが、ここでは割愛しよう。ここは京都駅から2時間近くかかる。これも今回は無理だなぁ…。

一旦、寺探しをやめて、ジャズ喫茶を調べてみる。さすがは京都だ。昔ながらの街並みに、モダンなジャズ文化がうまい具合浸透しているようで、私も聞いたことあるような老舗がいくつかある。

営業時間の都合の良いお店をピックアップし、その周りで寺院を調べてみる。そんなんで大体の移動経路の検討をつけておく。まぁ、こんなもの脱線すればするほど、後から振り返る充足感は大きかったりする。

 

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26日の6時過ぎ。バスはいよいよ今日の駅八条口に到着。

バスから降りるなり蒸し暑さに包まれる。太陽はすっかり1日を始め、京都の暑さを親切にも予告してくれる。バスの下から大型のキャリーを受け取ろうと列をなす人々。みんなこれから数泊して、京都を満喫するのだろう。13時間後にはとんぼ返りする私には関係ない大きさの荷物を求める人を尻目に、私はまっすぐ調べたサウナに向かう。ようやく京都に着いて旅の本題が始まる。

 

まだまだこの旅は続いていくのだが、一旦今日はこの辺で。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

弾丸0泊深夜バス旅 ー京都編ー 第一部

 

どうもこんばんは。

8月26日に弾丸0泊京都旅に行ってきました。それをちょっとまとめようかと。

 

25日。いつものようにお昼のピークは暑さと忙しにやり込められて、息をつく間もない。時計を見ると、もう14時を回っている。最後に水分補給したのが2時間以上前だったことになる。

お昼の忙しさをさばきながら、明日の休みについて考える。入っていた予定はキャンセル、丸一日空いた。いつものようにカフェやら本屋やらで過ごすのも悪くはないが、何かいつもと違うことがしたいな、なんて想いに駆られる。

ふと、出かけようという気になる。

ちょっと前のお出かけは下北沢でぶらぶらして、復活して間もない老舗のジャズ喫茶でコーヒーを飲み、ヴィレヴァンで人生初の漫画の大人買いをし、本多劇場で芝居を観てきた。次、出かけるとしたら、どこかしら。

 

脳内に「My Favorite Things」がかかる。ーそうだ、京都に行こう。

 

休憩時間に横浜ー京都を繋ぐ深夜バスを探す。新横浜を24時発の京都行きを見つけ、即決。この時点でバス出発まで、8時間と数十分。京都旅を思い立ってから、30分経っていない。我ながら、仕事が早い。

 

最後のお客さんを見送ってから、急いで閉店作業を進める。手を動かしながら出発までの段取りを組む。余裕を持って23時30分に新横浜に着くとしよう。茅ヶ崎を22分33分の電車に乗る必要がある。現在、20時10分。このペースなら、25分にはお店を出れる。急いで134号線を江ノ島から茅ヶ崎へ。21時には帰宅しているだろう。帰ったら、まず洗濯機を回す。イヤホン、タブレット、モバイルバッテリーを充電器に。その間にシャワーを浴びる。ちょっとばかし軽食を食べて、旅支度。脱水の終わった洗濯物を干して、22時15分にはうちを出よう。

仕事をしながらにしては、我ながらいい段取り。出発前の軽食には予備に買ってあったちょっといいカップラーメンがあったはずだ。シャワーを浴びる前にティファールを沸かそう。

首尾よく、お店に鍵をかけたのは20時半前。いつもより自転車のギアを一つばかし軽くして、真っ暗な134号線を駆け抜けた。

 

うちについてからの段取りは、帰宅中の爆速自転車でシミュレーション済みだ。

家の鍵を開けるなり、頭の中で繰り返した手順をなぞるように一つ一つこなしていく。洗濯機が回り出して、ティファールが湯沸かしを始める。リビングでは電気を蓄えるイヤホンたち。疲れているからベッドに横になりたい気もするが、倒れては最後、この旅がオジャンになってしまう。急いでお風呂へ。シャワーから出ると、当たり前の顔をして、私の入れた水道水をお湯に早変わりさせたティファール。その恩恵をカップ麺に湯を注ぎ、蓋をし、洗濯機を覗く。濯ぎをしているところだ。いいペース。なぜだか、一時間ほど前の仕事よりも動きに無駄がなく、手際がいい。

カップ麺が出来るのを待ちながら、旅支度を始める。いつものトートバックからあれやこれやを取り出して、代わりにクローゼットから持ってきたコカコーラの真っ赤なリュックに移していく。お供の本は何にしよう。エコバックはいるかしら。いろんな取捨選択をして、なるべく身軽にしよう。

4冊の中から一冊絞るのに時間を要した。おそらく、5分以上経ってしまった。ラーメンが伸びる。どんなにいいラーメンも伸びては終わりだ。急いですする。熱い。ティファールの完璧な仕事は、ときに私の予定を狂わせる。舌の火傷をコーラで冷やしながら、時計を見ると21時45分。あと30分だ。洗濯物に取り掛かる。

なんとか予定の時刻にうちを出る。茅ヶ崎駅にもなんのトラブルなく到着。時間ぴったりだ。

 

定刻の東海道線で横浜へ。その間に仕事関連の連絡を全部回しておく。旅先でまでシフトの相談などされたら堪らない。横浜駅東海道線から横浜線に乗り換える。23時を回った横浜駅のホーム。八王子行きの電車を待つ人たちは皆、仕事に疲れたサラリーマン。ホームの自販機で買ったレッドブルーを飲んでいる。帰りの電車に乗る体力もおぼろげなのだろうか。明日もきっと今日をなぞるように仕事に向かうのだろう、と嘆かわしく同情すればするほど、これから始まる私の旅への期待は膨張する。耳からは先日神田伯山氏がゲスト出演した土曜の昼のTBSラジオ。手にはラーメンを伸ばすほどの熟考の末に選ばれた旅のお供、カツセマサヒコさんの「明け方の若者たち (幻冬舎単行本)」だった。最初の飲み会のシーン、2人の出会い方からグッと引き込まれる。良旅に良書は付き物だ。

ところで、良旅とはなんて読むのか教えて欲しい。

 

新横浜に着くと、目当ての改札よりも先に新幹線専用の改札が見える。もちろん、この時間に走る車両などなく、改札は真っ暗だ。この非文化的時間に旅が始まっていることも余計にワクワクさせる。

 

新横浜のバスターミナルにはすでに、キャリーバックを持ったカップルやスーツ姿のサラリーマンが並んでいた。

茅ヶ崎で浮かないビーサンジーンズ、コーラのリュックという出立は、すでに同じ県内の横浜にて、かかとくらいは浮いている。京都に着くころには、バスの天井に頭をぶつけるくらいに浮いているかもしれない。

 

すでにバスタ新宿にて、人を乗せてきている夜行バスにはそこそこの人が乗っている。乗車前に銃口を突きつけられるように検温され、アルコール除菌を求められる。いつも思うが、アルコールで消毒してください、の次には、塩を塗り込んでください、クリームを塗ってください、アクセサリーを取って下さい、と次々に多い注文が続き、高慢ちきな狩人の二の舞にならないか、ヒヤッとする。蛇足でいえば、この心配が奏する功はまだない。

 

バスの出発と同時にイヤホンをタイムフリーからリアルタイムに切り替える。アルコ&ピースのラジオを聴き始める。

思ったよりも揺れるバス。薄暗い車内。持ってきていたアイマスクをつけて、2人の会話に集中する。

良旅には良談笑も不可欠だ。だから、良旅ってどう読むんだよ。

 

こうして、忙しい仕事中に思いついてから、数時間で私の弾丸0泊京都旅は始まった。

 

続きはまた後日。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

渋谷のクラスターフェスから派生して

 

どうもこんばんは。

 

朝起きて、コーヒーを淹れながら、今日は何をしようか予定を組む。もちろん、週の5日は仕事なので、仕事帰りに習作を書くか、勉強するか、何かインプットするか、どれもこれもやりたいのは山々だが、全部ができるわけではないので、どれかに絞る。それを手帳のウィークリーページに書いて、簡易的なto doリストにしておく。洗濯とか掃除機がけとか、そんな些細な家事まで書き込んでおく。

 

普段、やりたいことがto doリストに加えられない抑圧から、休みにはあれもこれもと書き出してしまう。

この暑さ。日の出ている時間に動けるわけがない。夕涼みがてら、海まで散歩して、帰って、コーヒー飲んで、その後からでどれだけの時間が残っているだろうか。リストに上げてもチェックの付かない空欄が多いと、なんだか1日を無駄にしたようで、嫌になってしまう。

そんな気持ちで布団に入り、目を開けば、また仕事の日々が始まる。なんと鬱蒼たる日々だろうか。

 

ちょっと前のこと。渋谷でコロナ対策に対抗する騒動が持ち上がったのは、皆さんご存知でしょう。

https://matome.naver.jp/odai/2159694517633412101

 

これに対して、方々にいろんな意見が発せられました。

大半が抗議の意を示すものでしたが、中には賛同するものもありました。ただ、私は抗議をする声の中に、少し過激ではないかというものを見つけました。

概要は、こんな人に迷惑しかかけない馬鹿はどうにか排除してしまおう、というものでした。また、このコロナは普段は現れないそういった馬鹿をふるいにかけるのに丁度いい、という旨のことを言うのです。

確かに、マスクもせず、蜜になって集まられては困るし、手っ取り早いのはそういった足並みを揃えられない人たちを収監して、社会から排除してしまうことです。

ただ、これが根本の問題解決になっているのか、甚だ疑問ですし、この考えは危うささえ感じてしまいます。

 

私が感じる危うさの原因は二つあります。

一つには、この考えは身体的な障がいを抱えている方や高齢者や幼児など、にも適用されかねないと言うことです。

思慮が足りずに他人に迷惑をかけてしまうことと、身体的に不自由が生じているが故に周りに迷惑をかけてしまうことに大差はありません。我々は福祉という観点から、不自由な人や高齢者を手助けすることを「迷惑とかけられている」と考えず、それが当たり前の社会を築こうとしているわけです。
思慮が足りない人間の排除は、このことを根本から否定していることになりかねません。

 

もう一つには、自分が排除される側に回る日が来るという前提が省略されているということです。

仮に、社会に対して迷惑をかける人間を排除したとしましょう。それで、社会は収まりがつくのでしょうか?迷惑をかける人間はいなくなりましたが、次に社会に利益を還元できない人間が排除の対象になりかねないと思うのです。となると、次はその還元利益の低い人間、とこの排除の連鎖は終わりません。その連鎖の中に必ず私がいます。遅かれ早かれ全員が排除されることになるのです。

 

まあ、私がこんなことを考えたからといって、何がどうなることもないのですがね。

こんなことを考えながら、社会が生産性だけを求めていくと、それに見合わない対象は排除されることになるのは当然だな、と悲しくなります。じゃあ、生産性なんか求めなければいい。これが私の行き着いた結論です。

私には自分を満足させること以上のことが過分に求められすぎている世の中の気がしてなりません。自分を満足させること蔑ろにして、社会に生産性を献上しなければならない社会に見えてならないのです。

 

自分を満足させることが第一義になる社会。どうやって作ったらいいでしょうか。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

だから、考えることが面白い〜経済学必要不要合戦〜

 

どうもこんばんは。

 

今日は長くなりそうなので、本題から。

とにかく、私はやっぱり馬鹿なりにも、無駄であっても、ものを考えながら生きていきたい、と思った話です。

 

さかのぼれば、約一年前。

職場に新しい経済学部の学生が入って来た。休憩が被った私はほぼ初対面の彼にとんでもない質問を吹っかけた。

経済学部って何を勉強してるの?私さ、経済学って一番無意味な学問だと思ってるんだよね

というものだった。

不躾にも程がある。ほとんど会話もしたことない学生にこんなことを言ったのだ。

 

続けて、私は彼に経済学が不必要だと思う理由を述べた。

一つには、人間が日夜構築し過ぎて、複雑なシステムとなった経済。この複雑なシステムを解明しようとすることには意味がないだろう。なんせ人間が構築したシステムなのだ。それを他でもない構築した人間が解明するのだとしたら、意味がないじゃないか、というもの。

もう一つ。今でさえ、我々のような素人ではとてもじゃないが手に負えなくなってしまった、専門家の独占領域になってしまった経済システムをさらに構築していく学問なのだとしたら、それはそれで不要ではないか、と思うのだ。貧富の均衡を均すためのシステムが知識の有無で格差を拡大していくのでは、元も子もないではないか、と私は考えていたのだ。

 

いきなり、初めて喋る人間にこんなことを言われて、普通は引くだろうが、彼は何かを言おうといろんなを試論を繰り出した。もちろん、彼のいうことは試「論」と言えるほど立派なものではなかったが、それでも何かを言おうと思索しているその情熱は立派に試論と言ってよかった。結局、その日は回答が出ないままになった。

 

これをきっかけに私と彼は時々ご飯に行き、くだらないことに互いの脳味噌を稼働させて、思索を深め合った。意見の一致が見られる時も不一致の時も、互いの反駁を解決しようと、語らった。

 

今日も私と彼はだからなんだってことを語らっていた。片瀬江ノ島から鵠沼海岸までの一駅。海岸沿いから住宅街に一本入った道を歩きながら、喋った。夜道の街灯と潮風特有のベタつきが夏の夜を気持ちよく演出する。彼の車好きについて、その好きのあり方や起源について掘り下げたりしていた。

私も最近読み始めた筑摩の「世界哲学」シリーズについて、話したりしていた。

 

どんな流れだったか、重商主義からアダムスミスによるその批判、その結果として、アダムスミスが「経済学の父」と呼ばれている今までの史実に関して、疑問視する説があるという話の流れから、科学と経済学の共通点に話が及んだ。

科学の発展は、生活の中で「現象」が先立ち、それを対象として、「研究」がなされる。経済学も社会「科学」と言われるだけあって、同じ流れだということを感じているのだという。貧富のバランスを取るために、日々、試行錯誤されていく経済システム。いろいろ試す中で、ある時、なんとなくうまくいっている気がするというものを見つける。これが科学でいうところの「現象」である。ただ、それがなぜうまくいっているのかわからない。そもそも本当にうまくいっているのか。刹那的なものなのか、長期的なものなのか。社会のあり方が変われば、またうまいこと機能しなくなるのではないか。

たまたま見つけただけのシステムなのだから、それは未知のもので、浮かぶ「?」は山積みである。

その「?」を研究していくのが経済学の仕事なのだ。経済学も現象が先立ち、それに研究の必要性が伴っているのだ。

経済学は未知のものへの挑戦の学問だったのだ。


これは私が一年前に彼にした質問への見事な回答だった。

私は人間が意図して、経済システムの複雑化を続けて来たと思っていたのだが、どうやら、その前提が私の不勉強だったようである。今ある経済システムの複雑さは、偶然の賜物の塊だったのだ。その偶然を必然にするべく、経済学は日夜、果敢に挑んでいたのだ。

 

気持ちよかった。この話を聞きながら、ホウ!ホウ!ホウ!とワクワクが止まらなかった。脳味噌の全体が揺すぶられて、刺激が走る。これが気持ちいい。

彼は、1年間、ふとすると私の質問について考えていたそうだ。

一つの問題について、1年間飽きることなく、思索を続けた彼の見事な答えだった。その答えはもちろん、その姿勢にすら、惚れ惚れする。強い憧れを抱いてしまった。

 

鵠沼海岸から藤沢に向かう車中、頭の中で彼の発言をリフレインし、手帳に書き留める。ため息のように深い息を吐く。

 

物事を考えるって面白いことだ。その過程も、結果もワクワクさせてくれる。

彼の華麗な答えに敬意を込めて、改めて、私は馬鹿なりにも、無駄であっても、物事を考えていきたい、と思った。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

「面倒くさい」からしか始まらない

 

どうもこんばんは。

 

今期のドラマは好きな脚本家の書き下ろし、シリーズ物と面白そうなラインナップだったにも関わらず、今なお世界を翻弄をし続ける目に見えない弊害に阻まれて、撮影や放送が遅れてしまったために、8月の今頃になって、ようやくドラマが全体の中盤の佳境に差し掛かってきた。それを見るのはもちろんの楽しみからでもあるのだが、いつかドラマを映画や演劇のようにしっかりと一つの批評の対象として、論じてみたいなどと南町奉行大岡越前もお恐れながらなことを考えている私にとっては、台詞、アングル、表情、セット、衣装も気にかかる。

 

そんなところに注目をしていて、面白い経験をした。

火曜日に TBSで放送している「私の家政婦ナギサさん」の中でワンカット。

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これは主人公の多部未華子さんが家族との食事のシーンで着ていたシャツのデザイン。

なんだか、見覚えのある字体だな、と記憶を遡らせてみる。その時、見つけたのが友人の「かもめだ」というSNSの書き込み。私は、そうかチェーホフだ、ロシア語だったか、と合点して、なんでカモメなんだろうな、別にニーナを思わせるようなシーンでも無いしな、と関係ないことに考えを伸ばしていた。

普段なら面倒くさくてそんなことしないのだが、「チェーホフだね」とSNS上で返すと、友人からは「テレシコワさんの発言だ」という返事をもらった。

誰だ、それは?チェーホフの「かもめ」にそんな人出てこないよな、と本棚から日本語訳を引っ張り出してきて確認しても、やっぱりいない。検索をかけてみると、ソ連時代の女性初の宇宙飛行士の方の発言だったらしい。知らなかった。

かもめ号に乗船したテレシコワさんは、業務連絡で地球に送った「こちらかもめ」と名乗る声が地上に届いた第一声となったので、そのまま名言として残されたらしい。なにも「かもめのように空飛んでいるわ」的なロマンチックな比喩発言ではない。よりに寄って業務連絡がそっくりそのまま残るなんて。

 

どうでもいいっちゃどうでもいいが、これでまた一つ面白いことを知った。そして、それがいつ来るとも知れないが、何かを考えるときの足がかりになる。

 

そして、何よりもこのことで私が思い出したのは、やっぱり面白いことは「面倒くさい」の先にあるということだ。

自分で勝手にチェーホフに落ち着いて、チェーホフを知っていた自分の博識で悦に入っていれば、その先のテレシコワさんを調べて、出会うことはなかったのだ。自宅のチェーホフの作品集に手をかけることも、上演が中止になったケラリーノサンドロヴィッチ版「桜の園」に向けて、読み返していた戯曲が途中だったことも思い出さなかっただろう。

それをちょっとした面倒くさいを乗り越えて、友人に返事を送ったことから、いろんなことが芋づる式につながった。やはり、毎日をただ浪費せずに、ちょっとの「面倒くさい」を乗り換えて、面白いことに接していたいなと、思う。

 

さて、足元にはまだ見ないフリした「面倒くさい」が転がっている。

それを拾えば、何になるか分からない「面白い」ものが待っているだろうね。

と、面倒くさいを乗り越えて、文章にしてみました。さて、これを書いた先に待ってる「面白い」はなんでしょう。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

創作後記「登れども」

 

どうもこんにちは。

 

前回、前々回と2回に分けた習作をお読みいただきまして、ありがとうございました。

いつも丁寧に作品を読んで鋭いコメントをくださっていた方が突然ブログを閉鎖されており、落胆やら驚くやらだったのですが、新しい読者の方にこれまた熱心に読んでいただき、ありがたい感想までいただいております。

みなさん、こんな駄文にお時間を割いていただき、本当にありがとうございます。ありがたい限りです。


本作は「雪」をテーマにした公募に向けた書いたものでした。

何か起承転結を持たせたストーリー仕立ての作品ではなく、頭の中の取り止めのない、断片的に回顧されるものを、作中のような散歩している時に脳内をめぐる思考のように羅列させていきたい、というのが最初の出発点でした。

公募の字数があったので、エピソードはバイト前の早朝の雪景色とスキー旅行を契機に別れた昔の交際相手のことだけにとどめましたが、本当はもっと関係のない些末な回顧や思索を順不同に並べるつもりでした。

 

また、雪の描写も自分の中で今作の課題の一つでした。「白」や「冷たい」と言った雪のイメージを払拭して、「無」で「淡白」な雪景色の中に放り出せれている異界感を書き出したかったのですが、読み返してみると、なんとも言えないような感じがしています。

「対象を語らずに対象を感じさせろ」という助言を、前回いただいたのですが、どうにも今回も口数が多すぎたような気がしてなりません。

 

今もまた、少し長めの習作をちょっとづつ書きつつ、ちょっと憧れていたテーマに挑戦しようとプロットを組んでいるところです。

また、当分はいつもの駄文になるでしょうが、みなさんのお目にかかれますように勉強させていただきます。

今後ともお付き合いください。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

習作「登れども」後編

 

どうもこんばんは。

前回の習作「登れども」の後半です。

習作「登れども」前編 - AM1:00-3:00

よろしくどうぞ。

 

私は雪に痛く刺さり来るようなイメージを持っている。感情のない雪が冷酷に、淡い私に襲い来る。為すすべのない私は、体の重みを感じなくなるくらいの喪失感と冷たさを正面から受け止めるしかない。空っぽになった体のうちから、なんとか残った最後の悲しみがわずかに滴る。そして、その悲しみと一緒に一人の女性を思い出す。
 
二十歳の頃に私が交際していたその女性は、明るく、よく話す人だった。彼女といる時の私は、地に足がついて充足感で重たく、何かに不安になることはなかった。たわいもないことで声をあげて笑い、明日になっても明後日になっても、当たり前のようにこの時間を共に出来ると思うと、そのことがどれだけ私を前進させたかしれない。
そんな彼女が高校の同級生数名とスノボーに行った数日後、私たちはいつものように行きつけの居酒屋にご飯を食べに出かけた。
顔なじみの大将にいつものカウンターに案内され席に着くと、何も言わずにいつもの柚子酒のソーダ割りとレモンサワーが出てきた。ドリンクを運んできたアルバイトにメニューも見ずに、刺身の盛り合わせと唐揚げとシーザーサラダを頼んだ。店内はいつものようにピアノトリオが奏でるアップテンポのジャズが流れていた。店の雰囲気と全くそぐわないBGMが私は好きだった。ジャズ自体はここでしか聞かないが、この店で聞きすぎたせいで街を歩いていると、耳にジャズが入って来ることに気付くほど敏感になっていた。なんとなくメニューに目を通して見るが、なにも追加はせずに静かに乾杯した。
サラダが運ばれ、ついで唐揚げが届く。サラダを銘々の皿に取り分けたところで、目の前の大将から刺し盛りを手渡された。
なんとなくいつもよりも互いの言葉が足りないのが気にかかったが、刺し盛りの盛大さに二人は笑顔になった。
「初めてのスキーどうだった?」ヒラメの昆布締めに箸をのばしながら、なんとなく聞いた。
「うん、楽しかったよ。全然上手く滑れなかったけど」視線をサラダに落として、私と目を合わすことなく、サラダに箸をつけながら答えた。
「じゃあ、今度一緒に行こうね」
「それまでにはもう一回行って練習したいな」
左手に持ったサラダの皿から一度も目を離すことなく答えた。
「どうしたのなんかあった?」
いつもより少ない会話に、ほとんど目を合わせないことが気にかかって聞いた。
「あったと言えば、あったし、でも、何にもないよ。うん、なんにもないよ。ごめんね。」
この日初めて彼女は私と視線を交えて謝った。そっと置いたサラダの皿がコトンと音を立てた。
 
結局、一ヶ月も経たないうちに彼女はそのスキー旅行で一緒になった一人の男のことが気になって、そのまま追いかけることにした。あの日の居酒屋の時よりもしつこく、申し訳なさそうに何度も謝った。別れ話は彼女の背中を後押しするように、私の方からした。
 
私の人生と彼女の人生は、交際していた一年半の期間だけ重なり、長い人生で見れば刹那的な接点にあったのだ。私はその刹那な接点でいつまでも隣に彼女がいるものだと思って安心していた。彼女がいなくなった時、今まで人がいたとなりの空間がガランとして、人肌の温もりがわずかに残るその空間に吹く惨めな風のことなど思いもしなかった。
永遠だと思っていた接点は、振り返ってみた今思えば本当に一瞬で過ぎてしまった。むしろ、その接点を越えた先にある、私と彼女が二度と交えない人生の方が永遠なのだ。一度交えてしまったが故に、もう二度交えない。私と彼女が共にいる接点は永遠に来ない。そのことが身に染むまで長い時間がかかった。
 
思考は次々に移ろう。目の前に広がる雪景色はここにいることに気づいた時から変わらない。
この景色はあの時彼女が行ったスキー場のものなのか。私は見たことのないスキー場の景色を彼女を通して創りあげているのか。だとしたら、なんのためだ。未練が残っているのか。未練と懐かしさの混在。今更思い出したとて、何も変わらないではないか。結局、私は永遠に彼女と交えることのこの道を行くのだ。それが彼女が行ったスキー場ならば、なんとやるせないことか。やっぱり頭の中だけが変わる。
 
私の頭上の太陽は今でも宙吊りになっている。東から西に行く太陽がここでは依然として頭上にあった。そして、足元の雪も両脇の樹木に生い茂る葉に積もる雪も、変わることなく陽の光を跳ね返す。生き物がいない、音のしない、風のない、雪が積もっただけの坂の終わりは見えない。

 

ご高覧、ありがとうございました。

とやもかくも、何かご意見いただければ…

 

では、こりゃまた失礼いたしました。