本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

習作「登れども」前編

 

どうもこんばんは。

今日は、今年の始めに書いた習作の前編です。

 

気がつくと、私の目の前には長い坂が続いていた。
足元からずっと先の坂の上まで真っ白に見える雪に覆われている。空からの光を受けて、それを反射させて、限りなく私を照らすので、その雪は白を超えて無だった。坂は色のない色をしていた。私は死んだのだろうか。地獄とも天国とも言えないこの場所は、静けさからなのか死後のどこかのような気もした。しかし、私の知る死後の世界とは似つかず、おどろおどろしい雰囲気が全くない。何が何だか分からないが、歩みを進める。
長く緩やかな坂が続くこの景色に見覚えがあるような気がしたが、どこかはっきりとしなかった。もしかしたら、走馬灯の中の一部なのかもしれない。走馬灯の中ならば、私が見たことない景色が私の脳裏に映し出されることはないのだろう。つまりは、幼い頃の拙い記憶の紐を丁寧に辿ったら、行き着くようなところがあるのかもしれないのだ。懐かしさを感じているのはそれ故だからだろうか。
私は一歩、右足から歩を進める。誰からも教わらないのに、自然と左足が前に出る。生きているとなぜか生まれる前から知っていることがある。
見上げると空はどこまでも透明で、青かった。太陽は遥か上空にぶら下げられているように小さくゆらりゆらりとしている。視界に入りきるめい一杯の青空は均一で同じ色をしている。振り返ってみても前と同じ景色が続いている。私が歩く雪道の両脇には大きな木が等間隔で並んでいた。樹種は分からなかったが、まっすぐ素直に伸びる樹に生い茂る葉たちの上にも雪は積もっている。樹の根元は真っ白で葉は一枚も落ちていない。名の知れない樹木から感じる生気はない。はるか先の地を覆う雪と目の前の樹木に積もる雪が重なり、同化し、遠近の感覚を失う。どこまでもビルが並ぶ都会の街で見た、手前の大きなビルが離れていくに従い徐々に人差し指ほどになっていくビルの遠近に慣れた私には失ったことのない感覚だった。
坂はどこまでも続いている。空の青さも、等間隔に並ぶ知らない樹木も坂と同じようにどこまでも続いている。その果てしなさに諦めの感情が湧いてくる。文庫本の1ページ目をめくるような絶望感。そういえば、空や地面に鳥も虫も、もちろん人間も生きているものは私しかいない。
 
時間の感覚もなく、ひたすらに歩いた。景色は変わらず均一な空色に緑が重なっている。変わらぬ景色を行くと足よりも頭の方が無駄に動く。止まらない思考。
 
私はなぜここに来ているのだろうか。なぜこのどこまでも変わらない景色をどこか懐かしいような気持ちで歩いているのだろうか。ふと、こんなことを思案し始める。なぜ、数ある記憶の中から、はっきりと思い出せない雪景色を選んだのだろうか。意識しない自己が意識した景色には違いないのだが、雪に何か焦がれるような記憶があっただろうか。
 
学生時代のある朝のことを思いし出した。
その頃、私は早朝に近所のチェーンカフェ店でアルバイトしてから大学に通っていた。学校が終わってからの夕方の時間が自由だったのはよかったし、人が活動を始める前の五時半に一人で駅をぶらつくのは背徳感と相まって気持ちよかった。
一月半ばの雪の日の朝、駅に向かう商店街の大通りには人の足跡のない一面の銀色が、オレンジ色の街灯に照らされていた。まだ少し、舞う雪が落ちかけてた月に輝いていたのがやけに脳裏に残っている。この景色を足の裏からゾクゾクとするせり上がってくるような感動と合わせて鮮明に覚えていた。景色を見て、こんなに感動したのは後にも先にもこの時の商店街だけだろう。夜、駅からの家路、朝の雪が黒く汚されてるのをみて、世界にはなんと人間が増え過ぎたんだろうか、と素っ頓狂なことに勝手に腹立たしくなった。ただ、思い起こせば、あんなになにもなく美しかった雪景色に最初の足跡で汚したのは私だったのだ。そのことに気づいたのは、雪が溶けて、アスファルトが露わになっていた翌日の早朝だった。
 
時間の感覚もなく、代わり映えのしない雪道を行くのだが、やっぱり景色は変わらない。なんせ代わり映えしないのだから。この景色はアルバイトに向かう朝のことを思い出すために見ているのだろうか。それとも、もっと別の雪に関する思い入れがあっただろうか。
雪道を歩いている私の足音がどこにも響いていないことに気づいた。いよいよ、ここはどこなのか。自分の置かれている状況が不安になる。一定のテンポで進める歩みは静かで乱されることがない。雪道を歩いているのに、足が埋もれて持っていかれたり、坂に滑ったりすることがない。私は坂を登っているのに、息一つ上がってはいないのだ。本当に目の前の坂を私は登っているのだろうか。まるで足踏みでもするように、本当は進んでいないのではないだろうか。なるほど、景色は変わらないわけだ。
自分が登った坂を振り返れば進んでるかわかるではないか、という気がして、振り返っても先ほどと景色は変わらない。変わらない景色を登ってきた私の後ろに、景色の変化があるわけがないのだ。
結局、私が雪の坂を登っているのか、はたまた登っているようで同じところに留まり続けているのかは、分からないまま、ほかのことに思索が向かう。
 

 

明日、後編を更新します。

忌憚のないご意見を受け賜れれば…

 

では、こりゃまた失礼いたしました。