本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

『またここか』@ DDD AOYAMA CROSS THEATER

 

どうもこんばんは。

『またここか』(脚本 坂元裕二/演出 豊原功補)10月2日19時からの回を観劇してきました。

 

坂元裕二さんといえば直近だと「 anone」に始まり「カルテット」「問題のあるレストラン」「Mother」「woman」「最高の離婚」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「東京ラブストーリー」と挙げればキリが無く、書けばどれも話題作って脚本家さんですが、いつも登場人物たちがどこか現実の私達と同じ世界に生きてるんじゃないかと戸惑いすら覚えてしまう現実味の帯びた残像と会話の節々でみられる空(くう)を交差するつい笑ってしまうやりとりがなんとも言えない魅力な作品たち。

anone Blu-ray BOXカルテット DVD-BOX問題のあるレストラン DVD BOXMother [DVD]Woman DVD BOX

最高の離婚 DVD-BOXいつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう DVD BOX東京ラブストーリー DVD BOX

観たことないものがある方は是非、一回ご覧になることをお勧めします。

中には拙い考察を書いたものもありますので、よろしければご一読を。

「anone」 - なんてたってジョニー

『往復書簡 初恋と不倫』 - なんてたってジョニー

 

さて、今回の『またここか』ですね。

東京だということを忘れてしまうほどのどかな所に位置するガソリンスタンドに集う4人。店長とバイト。兄を名乗る作家と不機嫌な看護婦。不明瞭で不均衡な4人の関係と人間性。彼らのやり取りに笑いながら、互いに感じるちょっとしたズレを認識し、それは物語の奥行きが広がるにつれて笑えなものだと気付かされていく。そして、その奥行きは思っていないほどに暗く深いところまで広がっていた。

 

イヨネスコに似た「不条理」「ズレ」と坂元裕二が放つ私たちの足元に落ちていそうなごく自然な会話。どちらかが強くても弱くても成立しないバランス。この難しいバランスが心地よく、時にわだかまりを与える。その均衡を保っているのが抜群の演出。掴めるようで掴めない感情を台詞に吹き込む役者陣。初舞台の役者さんもいたようで、時々、不安なところもありましたが、4人の座組がしっかり芝居として成立させていました。特にバイトの宝居役の小園茉奈さんの力の抜き様が素晴らしかった。昨年のナイロン100℃の公演『ちょと、まってください』でマギーさんとメイド役を好演した彼女ですが、今回の自由で奔放な読モ役も非常に良かったです。

 

坂元裕二作品について思う時、いつも不思議なのが、台詞が具体的であればあるほど、その具体性が捨象されて、共感が強くなることです。

 

結婚とかないよ。そういうのはもう、もうないかなぁって思った時があったんだよ。こういうのは今日だけのことだよ。まぁ、私もずるいし、別府くんもずるい。でも、寒い朝ベランダでサッポロ一番食べたら、美味しかった。それがあたしと君のクライマックスでいいんじゃない?

 

これは『カルテット』の2話からのセリフの引用です。

早朝に肌寒いベランダでサッポロ一番を一夜だけ関係を持った人と食べたことなんかないんです。でも、この台詞を聞いて、たしかに経験したことのない状況なのに、何故か自分がそこにいる。そして、一緒にサッポロ一番を食べている誰かが思い浮かぶんです。その時、別府の体験はドラマの中を超えて、もう私のものとして私の中で受け入れられている。

こんな台詞が坂元裕二作品では頻繁にみられます。

そして、こうした台詞が登場人物たちに私達と同じ世界で生きていると錯覚するほどの活き活きさを与えているんです。

 

2時間の芝居の中で、4人のリアリティ溢れる体験を台詞と共に追体験することでクロスオーバーしながら、登場人物たちでなく、「私」がそこにいる物語として違うものが映し出されます。

 

時々思うことがあります。

私が「赤」と認識している色をみんなも「赤」と認識しているのだろうか。実は、みんなが言う「赤」は私が言う「青」なのではないかと。

 

同じことを観ながら思いました。

舞台にいるのが、隣の観客も見ている「役者」でなく、「私」になった時、同じ芝居を観た人がいると言えるのだろうか。私が観た芝居と隣の人が見た芝居は違うものになるのではないかと。

何かのインタビューで坂元さんは「こんなこと思ってるのは自分だけじゃないだろうか、と言う人にほど届けたい」と言う趣旨のことを言っていた。物語の外でも生きているような登場人物と、彼らの台詞を受け入れる私たちとの中で、それが可能となっている気がします。

 

今月8日まで公演は続くようなので、興味を持たれた方は是非、観てみてください。

観劇が難しい方は戯曲本も販売があるそうなので、こちらも合わせてお勧めします。

 

またここか

またここか

 

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

生放送の生電話、昔のオーディション

 

どうもこんばんは。

 

昨晩の「おぎはやはぎのメガネびいき」と「岡村隆史オールナイトニッポン」が局の垣根を超えての生電話。深夜ラジオファンとしては大興奮の伝説的な一夜だった。

 

事の発端は、週刊誌で報道されたニッポン放送パーソナリティの岡村さんの女性とのお泊り記事。この話題を掴んで離さないのがTBSラジオで岡村さんの裏番組を担当する毒舌ゴシップ大好き芸人こと小木さん。ボソッと放った「電話とか繋げないのかな」という一言。

その発言を拾った二刀流リスナー(同時に2番組聞くって可能なのかな?)がANNへ。これを面白がった岡村さんが本当に裏番組のスタジオに生電話。

 

裏番組に生電話なんて前代未聞のこと。これには深夜ラジオファンは熱くなったはず。

両番組が深夜にも関わらず生放送であること、リスナーがリアタイが相まって最高の夜になった。これだから、深夜ラジオのリアタイはやめられない。

 

思い起こせば、この夢の共演は実は2回目。

昔、「めちゃイケ」の中で「ナインティナインのオールナイトニッポン」から矢部さんが降りて「岡村隆史オールナイトニッポン」になるにあたって相方を募集する企画にオチとして登場したのが裏番組を担当するおぎやはぎ

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この頃は何が面白いのが分からなかったが、今ならこれがどれだけ面白いか分かる。

 

タブーが多く、どんどん雁字搦めになるテレビの中。いっそネットは配信の番組の方が破天荒で支離滅裂さがあって面白いんじゃくらい勢いで窮屈さと退屈さを加速している。そんな中でラジオの中ではこんなに面白いことになっている。

 

火曜日の「爆笑問題カーボーイ」では太田さんが聞いている地方局のローカル番組が太田さんを中心に横につながっていく。

金曜日の「バナナムーンGOLD」では毎年ANNの火曜日を務める星野源さんが日村さんの誕生日ソングを歌う。バナナマンが「星野源のANN」にゲスト登場した時は、バナナムーンでお馴染みの最高級の果物を食べる件をやって、3人で温泉旅行に行って互いの番組で放送する企画を企てている。

 

局も裏被りも関係ない。パーソナリティとリスナーが内輪でも楽しいことが最優先。そんな悪ふざけが楽しい。

 

ちなみにめちゃイケの企画は岡村さんのこんな一言で締められる。

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今日だけはいつもの文言でなく、リスペクトを込めてこれで締めましょう。

わーわー言っておりますが、お時間です。

 

 

 

『三角の空き地』乃木坂46

 

どうもこんにちは。

 

先日、絶対的エース西野七瀬さんが引退を表明して話題になっているアイドルグループ乃木坂46。今や、勢いはAKB系列を超えて名実ともに「国民的」アイドルグループと言われている。たしかに、バラエティでの活躍の仕方、ラジオでの達者な切り返し、出版業界を賑やかすフォトブックの売り行き、どこを取っても遜色のない「国民的」アイドルグループだ。

普段、別にアイドルを追っかけたりしない私も「新内眞衣のANN0」や中田花奈さんが出演している「沈黙の金曜日」は毎週聞いているし、そんなラジオやなんかで自然と新曲を耳にする機会は多く、いい曲だなっとYouTubeで検索してみたりすることもある。

 

その程度のアンテナしか張っていない私が、ここ最近繰り返し聞いているのが、今年の8月8日に発売されたシングル『ジコチューで行こう! (Special Edition)』のカップリング曲『三角の空き地』と言う曲。

三角の空き地

三角の空き地

 

 

なによりも歌詞の内容がいい。

ある程度大人で、ある程度恋愛を経験している人になら共感できるもの。

 

『三角の空き地』  秋元康  作詞/Hiroki Sagawa・Yasutaka.Ishio 作曲

雑草 伸び放題の 三角の空き地
君を送った夜は いつもここでキスした

どんなロマンティックも当たり前に思われ
ときめきに慣れてしまう
時には僕たちの帰り道も ああ 遠回りすればよかった

 

恋は生きている 生きている ちゃんと見ていないと
すぐ心の形は変わってく
何も気づかなかった僕のせいだよ
いつしか気持ちは死んでいた
君の抜け殻が 抜け殻が 目の前横たわる
瞼(まぶた)をそっと閉じれば夏草の匂い
その角を曲がっても 思い出を語れないだろう

 

工事車両が入って 何が建つのだろう
そんな感傷的な僕は君が好きらしい

言葉数少ない君を腕に抱いて
不自然と気づかなくて…
あの時 その理由(わけ)を聞いてあげてたら
まだ続いてただろうか?

 

花が咲くように 咲くように 愛は生まれ育ち
でも日差しがなければ枯れて行く
水をあげることさえ忘れていたよ
二人は愛し合ってたのに…
一度 美しい美しい花びらが開けば
永遠にずっとそのまま香る気がしてた
手に入れた愛しさは変わらないものと思ってた

 

大事な人はすぐそこにいた
だけど今は…
手を伸ばしても三角の空き地だ

 

恋は生きている 生きている ちゃんと見ていないと
すぐ心の形は変わってく
何も気づかなかった僕のせいだよ
いつしか気持ちは死んでいた
君の抜け殻が 抜け殻が 目の前横たわる
瞼(まぶた)をそっと閉じれば夏草の匂い
その角を曲がっても思い出を語れないだろう

 

ずっと一緒にいると、あの人といる時間が当たり前になってしまうもの。何もしないでも隣で呼吸をして、何もしないでも永遠を共にするつもりになる。その先で私たちはあの人の気持ちの流動性を勝手になくしてしまい、仮初めの永遠に溺れてしまう。

そして、仮初めの永遠が終わるときは一瞬で、その後には後悔しか残らない。後悔に包まれた時、思い出の一瞬一瞬の全てが、あの人との永遠に終止符を打った原因に思えてくる。

恋愛とは永遠の錯覚とそれが終わる時の後悔を繰り返しているのかもしれない。

そんな不可逆な恋愛感情を後悔の中からひしひしと歌い上げている。

 

そして、MVがこれまた素晴らしい。

センターは先述の中田花奈さん。彼女の表情といい表現力といいアイドルという枠を超えて格段に群を抜いている。これは公式からではショート版しかアップされていないが、ぜひみて欲しい。

乃木坂46 『三角の空き地』Short Ver. - YouTube

特に1分17秒辺りの腕の動きに合わせ、下から上に送られる目線の動きが素晴らしい。その前の振り付けのシェネもしっかりと首が付いてきていてターンにキレが生まれている。

身体の斜めのラインを強調する動きが多い振り付けの中で、綺麗に魅せるラインと動きの緩急から生まれる表現力、そして、効果的な視線で生まれる表情と言い、この曲のセンターに相応しい中田さん。とても沈金でアルピーと悪ふざけしている彼女と同一人物だとは思えない。

最近では、セーラームーンのミュジカルに参加したりしているらしい。これだけの表現力であるから舞台映えはするだろうし、ラジオでのメール読みから察するに演技力も声色だけに頼ったものでなく、抑揚に色をつける本寸法のもが期待できる。

一度、現代の演劇界の第一線を行く演出家による本格的な芝居を生で舞台で見てみたい。そんな演劇ファンとしてもワクワクに駆られる。

 

 

ぜひ一度、乃木坂46の「三角の空き地」聞いてみて欲しい。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

長らくぶり

 

どうもこんにちは。

 

本当に長らくぶりに書きます。

 

別に何ってことがあって書かなかった訳でもないんですが、3ヶ月ぐらい書いてないんですね。

よし書こうっていくらか書いてみたところで、なんかに気が散って手が止まったが最後、それっきり下書きに入って陽の目を見ないならずが物が溜まっている。

 

もうすっかり夏が終わり、今日なんか肌寒い秋雨がポツリポツリと降っているなんて気候。こりゃ長らく書かなかったな…。

 

かといって今日、何か書くネタがあるかっていうとそうでもない。

隣の席で、生命保険を解約したい男性と保険屋さんの女性。どうにも男性は独り者で、死亡保険の貰い手がいないから解約したいらしい。そうはさせまいと女性の方は必死にもしもの入院、手術、終いには「貯金のように」という文句で積立金がまとまって崩せることで解約しないことのメリットをもうアプローチ。男性もなかなか偏屈だ。「だったらなんで契約したんだよ」と突っ込みたくなるような理由で女性へ反撃。理屈も何もへったくれもない。

 

さあ、どっちが勝ったのか…。

 

睡魔に負けてウトウトしていた私は大切なところを聞き逃した。

目が覚めた時には、男性が一人で前を見つめてモンブランを食べているだけだった。

なんとも間の悪いこったね。

 

というわけで、またこれからからちょいちょい更新しますので、ひとつよしなに。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

 

ANN時代、アーティストの乱でのいじりの方が炎上もの

 

どうもこんにちは。

 

とても眠い。

なぜかって言うと寝てないから。そりゃ眠い。

でも寝てる場合じゃない。なんせ今週のラジオ界隈はスペシャルウィーク聴取率、つまりラジオ版視聴率を集計する一週間。各番組が企画に思いっきり力を入れ、リスナーもいつも以上にメールを送る一週間。そんなラジオがつまらないわけがない。で、リアルタイムで聞かないわけがない。

そりゃ、寝不足にもなりますわ。

 

昨晩はTBSラジオで0時から放送の「アルコ&ピースのDCGarege」と続く1時からの「爆笑問題カーボーイ」を聴いて近所の迷惑も省みずに声を出して爆笑。

毎度のことながら、お隣さん各位には申し訳ないです。

 

で、アルピーの方が実はちょっと炎上してて、番組がどうなるか気が気でなかった。

というのも、SWのテーマが「アベンジャーズからファルコンを脱退させよう」というもの。

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これがそのファルコン。

生身の人間が機械の羽付けただけじゃん。武器はただの銃かよ。ジョギングでキャプテンアメリカに抜かれるなんてザコ。

と、まあ色々あってファルコンをアベンジャーズから脱退するように説得する音源を送ってくれというのがテーマだったわけですが、これにアベンジャーズファン、特にファルコニスト(そんなのいるの?)が大激怒。炎上。

そんなことがあって一リスナーとして、番組のいく末が心配だったわけです。

 

結局、番組は冒頭で企画の中止を発表し、謝罪。

で、呼ばれたゲストが歌手の土岐麻子さん。

 

これがまた3週間ほどの前のアルピーのひどいいじりから始まっている。

平子さんの息子さんの運動会の話から「偉大なるサバンナ計画」なる意味のわかんないコントが始まる。その直後に掛かった曲が土岐さんの「Black Savanna」という見事な流れ。

 

そのあと、数週間に渡る土岐さんいじりがひどいこと。

顔が浮かばない。天真爛漫なブス。と、まあひどい。

そんないじられ方をツイッターエゴサしてたら見つけちゃったご本人登場というわけです。

 

アルピーのラジオの楽しみは、その意味のわかんないコントから広がる世界観とそこに重なるようで重ならないこれまた独自の世界観をぶつけてくるリスナーとのやりとり。

ファルコン脱退だって偉大なるサバンナ計画だって、まさにそのラリーから生まれた世界観。

これを理解しようなんてのは一朝一夕じゃ出来やしない。ましてやここ数週のファルコンの件だけを切り取って聞いている人には当然伝わらないでしょう。

 

かたやアベンジャーズファンはこれに目くじらを立てて炎上、一方の土岐さんは世界観も訳もわかんないけど一緒に楽しんじゃう。どちらが正義のヒーローらしいのかしらね。

 

土岐さんをゲストに迎えて設けられた新たなメールテーマは「『Black Savanna』の歌詞の解釈」を募集するもの。

これにはリスナーの世界観がこれまた炸裂する。それを聞いてアルピーと共に笑う生みの親の土岐さん。

そして番組最後の締めは「解釈は人それぞれ」という今回の炎上の首謀者たるアベンジャーズファンに向けたなんとも皮肉めいた一言。ちょっとした半沢直樹的爽快感。

 

思えば、アルピーはANN時代からなにかとリスナーと一緒になって有名人をネタにいじって笑ってきた。でも、どれもこれも当人に愛情と敬意があってのことで、今回のファルコンだって、なによりもアルピーの2人がアベンジャーズファンなのだ。決してアベンジャーズ知らない外野が面白半分で取り上げた訳じゃない。

その辺りをよく知ろうともしないで言葉尻だけを切り取って炎上させたファルコンファンにはがっかりだ。

しかし、同じようにいじられても土岐さんのように一緒に楽しめる心の広さというか、わんぱくさを持ち合わせた人もいて、よっぽど土岐さんの方がヒーローに思える。

 

Black Savanna

ちなみにこの曲、暗喩がよく聞いたいい曲です。

 

この番組を聴いていた爆笑問題太田さんがカーボーイ冒頭でこんなことを言う。

アベンジャーズって正義のヒーローだろ?それを好きならそんな湾曲して捉えて炎上させるとか1番卑怯な事だと思わない?そういうのを贔屓の引き倒しっていうんだぞバカヤロー

本当におの通りだと思う。

 

炎上させたアベンジャーズファンのおかげで番組は思わぬ方向に面白くなったね。

 

ゲストがダイアンというだけで不安がゴイゴイスーな今夜の不毛な議論。

毎年楽しみになってるヤレる総選挙のメガネびいき。

いまいち内容が掴めないけど、楽しいことを確信しちゃうバナナムーン。

こんな楽しみがもう少し続くと思うと、ワクワクして寝れるわけがない。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

 

 

 

3億で建てれちゃう美術館って中途半端じゃない…

 

どうもこんにちは。

 

昨日からツイッターで話題になっている某お笑い芸人の美術館募金強要ブログ問題について。

私はこれが非常に不愉快で、気色が悪くて仕方ありません。

 

自分が美術館を設立した為にこさえた3億の借金返済のためにみんな募金して、俺を助けろと、見過ごす奴が下衆だと。

この発言の根底には「俺が作るものはみんなに望まれている、その俺が作る美術館もみんなのためになるものだ。つまり、みんなのために生活かけて3億の借金をするんだから助けて当然、見過ごす奴は下衆。だってみんなのために作った借金だもの」って考えがありありとしてますよね。

でなければ、こんな突拍子も無い発想にならない。

 

で、こんな考えを持った人間の作るものはたかが知れてて、面白くなんかないんです。

私のこの「面白くない」という発言の尻尾を掴んで、「それは個人の感性だ」というんでしょう。そうでしょうよ。それは個人の感性ですよ。

あなたの作品をいいと評価して、美術館に賛同するのも個人の感性ですよ。そして、その逆のあなたの作品を評価しない、美術館に賛同しないのも個人の感性です。しかし、あなたの「見過ごす奴は下衆」という発言は、「美術館に非協力的な者=俺の作品を評価しない奴は下衆」と換言出来ます。

 

みんながみんな、あなたの作品、そしてそれが並ぶ美術館が町興しにひと役買って、なおかつアートとして評価され得るものだとする感性を持っているわけではありません。むしろ、世の中にはその逆の人の方が多いのです。

世の中の半数以上の人間から自身の作品を評価されている創作家なんて学校の教科書に出てくる人ぐらいなもので、多くの創作家は批判の声の方が多い中で創作活動をしているものです。

 

あなたの美術館然り、関心のない、評価しない人の方が多いのです。それらをくくって「下衆」だというにはあまりも乱暴すぎる。

自分の作品を評価しないから全面否定するなんて、感性のレイプも同然です。

 

ここまできて、3億の借金に生活が懸かっていることについて言及してないと指摘を受けるかも知れません。

それについて触れるならば、3億の借金に生活が懸かっていることなど、作品で心が揺り動かせれなかった人間には関係ないんです。だって、感動しない絵はただの紙切れです。心が動かない音楽はどんなに高い技術でもって演奏されていても雑音です。

ならば、感動させる作品を生み出せない作家の借金は生活が懸かっていようが、いまいがただの借金です。競馬で作った3億の借金、風俗で作った3億の借金となんら変わりません。

 

そんな借金になぜ一銭でも支払わなければ、いけないのでしょうか。

それよりも作家自身が自分の作品にそんなにも自信持っていることが不思議でなりません。

 

私は創作活動とはもっと葛藤を孕んだものだと考えています。

自身の中で創りたいものと実際に形になったものとの落差に創作家は苦悩するのです。もっと頭の中の創作本能が作り出した作品に近づけようともがくんです。

本当に何かを創りたいと思う人間の頭の中には、滅多なことで形にならないものが、作り上げられているのです。

自分の作品に自信が持てるということは、頭の中で作り上げたいというものがその程度のものでしかないんです。それしきの創作本能でしか動いていないんです。

作品だってそんなもんです。

だったら美術館に賛同する人間だってそんなもんしかいないんです。

世の中は下衆なやつばかりです。でも、その下衆こそが正しい審美眼の持ち主です。

 

とはいえ、本物がまかり通らない、本物の価値が転覆したこのご時世です。あんなんでも評価されるんですかね。

「神は死んだ」と新たなカ価値観を示したニーチェの嘆きがわかるような気もします。

 

本物は死んだ。

平成の次ぎに来たる新たな時代の新たな価値観かも知れません。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

まだ一年、もう一年、なんせ一年、揺蕩う一年、要するに一年

 

どうもこんにちは。

 

今日でここ茅ヶ崎に越してきてまる一年。

 

一年前の今日は日差しが 突き刺さるように暑く、ジメッたい風がうざったい日だったな。

高校の同級生3人に手伝いをお願いし、当時居候していた祖母んちからレンタカーしてした軽トラに荷物を乗せ、運転手を引き受けてくれた友人と私が軽トラに、残り二人は祖父が運転する車で茅ヶ崎に移動する。

軽トラ組は途中、管理会社に寄って鍵を貰わにゃならんので、藤沢に寄る。軽トラ組が藤沢から134号線に出たあたりで、祖父組がうちの裏にあるデニーズに着いたと連絡が入る。しょうがないので、そこでお茶をしてもらい、遅れて軽トラ組到着。

 

なんせ私も初めての引越しで段取りが悪く、家具を組み立てるドライバーを用意してなかったり、レンタカーの返却をお願いしたものの、「行きはよいよい帰りは何とか」ってやつで2キロぐらいを歩かせたり、気を利かせたつもりで昼食に頼んだデリバリーピザの注文先住所を間違えてたり、まあ友人達もよく付き合ってくれたもんだね。

 

夕方に駅まで友人達を送って、帰りがけにちょっと海まで散歩して、ここがこれから住む街かぁなんて、不動産屋のCMみたいなこと思って、平塚との境にあるスーパー銭湯行って、駅前のバー行って何杯か飲んで帰宅。のち就寝。

 

慌ただしい一日だったね。

懐かしいやね。

 

あの頃はどんな生活にしようかワクワクしてた。

何でもできると思って越してきた茅ヶ崎だもんね。何でもやんなきゃね。

荒んだ生活してる場合じゃないね。やりたいことを飲み込んでる場合じゃないね。

いろんなところに活動的に動いていろんなものをみて、考えて、自分でも作ってみたい。

世の中にはまだまだ私の知らない面白いものがいくらでもあるのね。

茅ヶ崎での一人暮らしも言ってみれば、その面白いものを体感しようとしていたのかもしれないね。一人で海の近くで暮らすなんて面白いことじゃない。

 

明日からまた面白いものに敏感になろう、なんて思う今、渋谷で開催中のゴットタンミュージアムに向かうべく東海道線に揺れてます。その前に気になっていたジャズ喫茶に。

面白いにもいろんなジャンルがあって、それも面白いね。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。