本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

「anone」

 

どうもこんばんは。

 

なんだか考えたこと、書きたいことが多いんですが、一遍には書けないので、ゆっくりと順番に書くことにいたしまして、今日は今クールの話題作のドラマ「anone」について考えたことを。

 

4話になりまして、冒頭にいきなりの回想シーン。坂元さんの本の面白さは物事と物事の間のぼんやりと曖昧な物事とは言えないようなことを私たちの生活のすぐ足元にあるとこから書き出すところにある。と、少なくても私は思っている。

 

例えば、同じ坂元作品の「カルテット」では「みぞみぞする」というワードが出てくる。毎年、若者が言葉を作り、現存の言葉に新たな意味を持たせたり、膨大な数に膨大な意味を重ねている日本語において、未だに表しきれない感情があるのだ。「マジ卍」なんかでは表しきれない感情がここにあるのだ。

 

「anone」においてもカレー屋での出会い、テトラポットでの出会い、いろんな出会いが不思議な形で重なり、4話まで辿り着いているのだ。「これがこうだから、こうなってこうした」なんて単純なことはなく、「こうかもしれない、これっぽいけど、こうかもしれない、これがこうなりそうでこうにも思える、これがこう」何が何だか分からん。

でも、この重なりに坂元裕二さんは私たちが見れないものを見せてくれるのだ。だから、簡単に回想なんか出来ないのだ。いや、出来ないことはない。することは簡単だ。しかし、してしまえば、何も見えなくなってしまう。それが坂元さんの本なのだ。

視聴率の低迷さからきたのだろうか。仕方ない。

 

で、4話になって私の中でいろんなことが繋がった。このシーンだ。

 

「なんで幽霊を好きになったらダメだんですか?」

「え?」

「なんで死んだら好きになっちゃダメなんですか?生きてるとか死んでるとかどっちでも良くないですか?」

「だって」

「生きてても死んでてても好きな方の人と一緒にいればいいのに」

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ハリカと亜乃音は偽札を介して出会う。そのハリカは難病の彦星を救うためにお金が必要なのだ。ハリカは自分と同じ過去を持つ彦星を死なせたくない。「死なせたくない」ということはハリカが生と死にこだわりを持っているこいうことの裏返しだ。「死んでいるから」に縛られている。

カレー屋で初めて出会うるい子と持本はカレー屋なのに焼うどんを食べる。「カレー屋だから」カレーしか出てこないってことはないのだ。

「親友だから」と西海をかばう持本。西海が落ちた穴は持本が落ちたかもしれない。「西海だから」起きたことでなないのだ。

 玲と亜乃音は血が繋がっていない。亜乃音は「血が繋がっていないから」玲は出て行ったと思っている。

るい子は「女の子だから」と野球部員でなくマネージャーに、バンドマンでなくバンドマンの女に、就職してからは後輩に先を越されていく。

るい子は「死んでいるから」生まれて来なかった架空の幽霊(だと思っていいらしい)あおばから離れなければいけないと思っている。

るい子の生きている息子、樹は祖母、百合恵は「男の子だから」とおままごとをさせない。

 

この物語は人と人との関係の中に「だから」という固まったステレオタイプが潜在している。それに縛れることがどれだけ彼女たちを苦しめているか。

 

その結果だろうか、彼女たちは自分に「虚」をまとい始める。

ハリカと亜乃音の関係しかり、ハリカの過去しかり、るい子の犯罪歴しかり、ハリカと彦星は虚の中を行き交うSNSを介してのみで決して出会うことはない。

 

今まで1人の女性や一つのグループをクローズして書くことが多かった坂元作品の中では珍しい群像劇なことも今後の展開に大きく関係してきそうだ。次回予告ではハリカ、亜乃音、持本、るい子、それから亜乃音が勤務する法律事務所の所長の花房が集っている。

 

次回が折り返しに来て坂元作品の揺蕩う感は一層加速しそうだ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。