何をするにも億劫だってこと、クリスマスとの交換
どうもこんばんは。
昨晩は会社の忘年会で、この時期にちゃんとやってしまうところにびっくりなんだけども、鎌倉は長谷の割烹蕎麦屋さんへ。
丁寧な仕事と行き届いた接客、これで社長への緊張感がなければいいのだが…
会社のお金でご馳走になっていれば、そうもいくまい。
社長や上司から期待や今後のことの声が重たい。
今後の人事について、私に仕事を任すと言うことについて、あんなに蕎麦が喉を通らないこともない。
帰りのタクシーで今後のことについて少し揺れてしまう。
それでも、今の私に必要なことは勉強することなんだろうと思う。今、この会社に留まり続けることは簡単だけれでも、それが楽な道ではあるけでも、やっぱり勉強したいと思う。
最近、近しい人に今後の話をすると、「大学出て何するの?」と言われてしまう。
みんな私がなんらかの資格のための進学だと思っているようなのだ。大学を卒業しないと出来ないことのために、なんらかの手段としての大学進学を想像しているのだ。
私は大学進学後に何かを決めていることはない。強いて言えば、最終的に自分の喫茶店を持ちたい。別段、喫茶店店主に大学卒業の資格は要らない。
最近、この環境を変えることに関しての億劫さが何をするにも先立つ。
洗濯機を回すにも、米を研ぐにも、何をするにも、まずこのことが頭をよぎる。
あと、関係ないけど、今飲んでいるコーヒーがまずい。
どことは言いませんけど、よく店名のロゴがトートバックとかタンブラーのデザインになっているチェーン店。何かとパンが高いカフェ。
見回すと、スマホを覗いた女性しかいないようなカフェ。だから、どうでもないんだけども。
スマホを覗くだけなら、家でも良かろうに、わざわざ駅から歩いたここまで来るなんて、どうしたんでしょう。
町中にクリスマスソングが鳴り響く。
クリスマスソングというと、何故だかトランペットが張り切るアレンジが多いので、だんだん耳が痛くなって来る。
どれだけの人が浮かれているんだろうか。私の方はというと、もう何年もクリスマスで浮かれていない。
浮かれるということがどういうことだったのかもはや覚えていない。
過去にはクリスマスに泊まりでディズニーに行ったり、余力が生まれてお金をかけたクリスマスを過ごしたりもしたが、一番鮮やかな記憶は、二人乗りで近所のイルミネーション巡りをした高校時代だろう。電気代が気になってしまうほど家中を電灯で張り巡らした家もあれば、玄関先の植木に申し訳程度の明かりを灯す家もあった。
12月の寒さと背中に感じる温もりと、ああいう時間は帰らないのだろうな、と思う。
いつのまにか、大人になるにつれて何かと交換に淡い記憶と石化させてしまったようだ。
終わらない億劫は当分続くことでしょう。
そんなことより、英単語やろう。
では、こりゃまた失礼いたしました。