ボクたちはみんな大人になれなかった
どうもこんにちは。
男心ってやつがちょっと分かってしまった。こんな恋なら、一生忘れられなくてもいいからしてみたい。吉岡里帆
昨日入った本屋でたまたま見つけたポップにちょっと惹かれてしまった。
そのままレジを通して同じビルのドトールに入って1時間半。
本を閉じて、氷が溶けて下に敷いた紙ナプキンをビチョビチョに濡らした薄いアイスコーヒーを飲みながら懐かしい子を思い出した。
と、いうわけで今日は読了ノートを。
心理学的にだか、脳科学的にだか、人間の記憶は辛く苦しい記憶よりも楽しかった幸福感を優先して覚えているらしい。
いや、辛い記憶を覚えていないのか、覚えているけど思い出さないのか。どうでもいいようだけど、結構大切だと思う。
私だったら、辛いことも覚えていたい。思い出せるように大切にしておきたい。
もう会えないと思えば思うほど、辛いことに変わりないけど、そこまで思える人と時間を共有したという幸福には気づかない。
辛ければ辛いほど幸せなのかもしれない。
まぁ、こんな私にも思い出すと苦しくなるような、つまり、それだけ幸せを共有した子ってのがいるわけです。
そんな子のことを久しぶりに思い出して、未練とかというのとは違う、でも、あの時間に戻れるなら戻りたいなというノスタルジーに浸りました。
きっとこのノスタルジーもあの子との喧嘩や衝突はなかったことにして、楽しかったクリスマスディズニー、沖縄旅行、深夜に歩いた相模線沿いの県道、終電で来たサザンビーチとかばっかりを思い出す。
辛いことを思い出さずに、楽しかったことだけを思い出す人間の脳は、親切なようで実は、ありがた迷惑な話し。思い出すのが辛いことだけなら、こんなに感傷的にならないのに。
肩こりを揉んでるつもりで、実は肩甲骨だったような感じ。
いつも思うの。こんなに感傷的になって何になるのかって。
明日から仕事頑張ろうなんて気にはしてくれないし、次のいい恋しようとも思わない。むしろ逆よね。
でも、このノスタルジーは幸せなのかもしれない。
辛いほど幸せ。
切ないほど幸せ。
主人公はかおりとの思い出を157ページにも渡って記しているけど、こんなに大袈裟でなくても、誰にでもこういう恋はあって、戻りたいと思うほどに切なくなる。前が見れなくなる。
大人になるとは、そういうことも含まれている気がする。
読後に思い返す人のことを私は誰かに精一杯の言葉で話したくなる。
どれだけ素晴らしい子でどれだけ幸せな思い出を刻んだか。
では、こりゃまた失礼いたしました。