生産性のある生活とは
どうもこんにちは。
最近考えること。
生産性のある生活とはなんぞや。
朝から働いて、夕方に帰宅してから、夕寝したり、音楽聞いたり、映画見たり、ジャズバー行ったり、私の生活の生産性はどこぞへ行ったんだ。
そもそも生産性とはなんだ?
たとえば、朝から働いて賃金が発生してるんだから、これもある意味生産してるわけよね。
でも、何か生産したい欲に満ちた私はそれじゃ満足していないご様子。
それじゃ、何を生産したら私は満足するんだろう。
私は何を生産したいんだろう。
おんなじようだけど、微妙にちょっと違う問いが次々に流れてくる。
物理的生産なのか、知的生産なのか、それがどういう形で現れたら、私は満足するのだろうか。
この更新も生産性の現れなのか。
なんかもっと違うことのような気がするね。
もうちょいと踏み込むと、生産性のある生活を送るとどうなのか。
ただただ、仕事と生活が続くんではいかんのか。
充実した生活にこだわるのはなんでだ。
と、終わりそうがないね、この話。
帰着点が見えない。
もうちょっと考えて出直してきます。
では、こりゃまた失礼いたしました。
前回は文永の役
どうもこんばんは。
とんでもなく久しぶりの更新だ。
最後の更新が9月の初めだから、弘安の役があった頃ですね。
2回目にモンゴルが攻めてきた頃ですね。
…なんて本当に北朝鮮が攻めてきそうなこのご時世にはちょっと不謹慎ですな。
更新が滞ってたこの期間、何をしてたかと言えば、特にこれと言ったこともなく、ただただ日々を消化するだけ。
ロウソクが溶けて短くなるのを見てるだけみたいなもの。
寝間着の半ズボンがくるぶしまで伸びて、薄手のパーカーを重ねるようになったぐらい。
9月は本当に不毛だったな…
さて、なんで久しぶりの更新がこんな更けた時間かと言うと、せっかくの休みだった今日を風邪で一日中布団の上で寝て起きての繰り返しで過ごして、気付けばこの時間。
昼間寝て過ごしたツケは深夜にやってきて、寝れないなぁと思いつつ、新しく買ったキーボードケースがいじりたくて文章書こうってなわけです。
明日からはまた色々頑張ろう。
色々ってなんぞやって言うと、色々なんですね。
ここで明確にしちゃうとね、出来なかった時に色々と思うじゃない?
そういうのは今はいいかなと。
時間が経ってから後付けで、これ頑張った、あれ出来たって思えばいいじゃないか、という随分いい加減なやつですよ。
なんか分かんないけど、GYAO!で『いつかティファニーで朝食を』を観ながらの更新でした。
皆さんは何を見たり、聞いたりしながらこれをお読みなんでしょうね。
では、こりゃまた失礼いたしました。
星新一はまだまだずっと先
どうもこんにちは。
今日はちょっとした用で渋谷まで。
久しぶりの都会。喧騒さが静かにしんみりさせる懐かしさ。
茅ヶ崎に越してくる前は、新宿まで電車で乗り換えなしの30分強のところに住んでいて、仕事、まぁ厳密には仕事と言えるほどのことじゃないんだけど、は渋谷近辺から都内をグルグルしていたので、都会のうるさい感じはずっと身近にあったね。
そういう環境で育ったせいか、小学校低学年の時に初めて星新一を読んだときは、自分が大人になる頃にはこんな世界になってると確信に近いものを持っていた。
そこに未来に対する希望とか、逆に反感みたいなものはなく、当たり前のことを言ってるんだと、天気予想みたいな感覚だった。
私の頃にはSFは結構あったし、きっと私より年上の方たちほどのセンセーショナルさはなかったからってのもあるんだと思う。
N博士が発明する薬、全部を機械が支配する世界、そんなものはすぐ目の前の未来だと思ってた。
茅ヶ崎に越してきてすぐのこと。だから、6月始め。荷解きしようと段ボールを開けるとびっしりの文庫本。
一番上にあった星新一を久しぶりに手に取ってみる。
あーこの感じだ。
淡々と語りかけられるのに、S氏は何かに急いでいる。迫られてる。
理想なのかどうかもわからない無機質な未来。
久しぶりに読むと、星新一のアイロニカルな書き方にハッとする。
昔はこの無機質さが当たり前のことを書いているように思わせていたけど、そうじゃない。星新一はこんな未来は情けないねって語りかけていたんだ。
久しぶりに読んだ私は、そのアイロニカルさが面白くて、星新一の書く未来に嫌気がしていた。
ちょっと読んで、茅ヶ崎の街を思い出すと、都会の喧騒さは全くない。
駅から5分も歩けば、空を囲う高いビルもない。早い話が田舎だ。
この街が変わらない限り、星新一のいう未来は来ないなと安心。
部屋に流れるFMラジオのジャズが「ボッコちゃん」の最後のシーンと重なる。
星新一はまだまだずっと先ね。
夏の終わりはどこ
どうもこんばんは。
どうしても今晩中に書いておきたくて、本日2本目。
今日が8月31日で夏が終わるんだ。
暑いから夏なのか、8月だから夏なのか。
それでも、9月になったら夏じゃなくなる。
今まで、夏だって言われてきた暑さは「残暑」なんて呼ばれて情けなくなる。
なんだよ、ざんしょって(笑)
藤子不二雄の漫画に語尾に「〜ざんしょ」って付けるキャラクターがいそうだね。
夏の終わりがもつ、この叙情的な雰囲気はズルイやね。
失恋したわけでもないのに、切ないよね。
こういう気分を歌詞にするのがすごく上手いのが桑田さん。
例えば、
やがて二人だまって
つれなくなって
心変わって
愛は何故?
海啼く闇の真ん中で
月はおぼろ
はるか遠く
秋が目醒めた
これはきっと桑田さんのソロワークスの中で一番のヒット曲『波乗りジョニー』からですね。
他には、
誰かが落とした
麦藁帽子が
波にさらわれて
夏が終わる
『あなただけを ~Summer Heartbreak~』
ビート・ポップに酔わされた
わりとシックな秋の頃
Surfbreakの波が生まれて消えた
だからもう……
『可愛いミーナ』
中でも私が一番好きなのが、
波音は情事のゴスペル
あの夏よいずこへ
酔いざめのヌードで今
誰かに抱かれてる
『Bye Bye My Love』
これは桑田さんが書いた歌詞の中でも一番好きなの。
特に今年の夏はRIJF2017に始まり、「がらくた」リリース。
メディアにも引っ張りだこだった桑田さん。
最高の夏を最高の形で演出してくれたよ。
桑田さん表紙の雑誌たち。
買ったはいいがページをめくれない。
読みきっちゃったらこの夏が終わる気がしてね。
明日、9月になって本当に夏が終わったら、私の夏も終わりにさせるよ。
とか言いながら、夕飯に秋刀魚の炊き込みご飯を炊いてるなんてのはどういうわけだかね…
では、こりゃまた失礼いたしました。
チケット転売問題、五輪嫌い
どうもこんにちは。
Twitterで見つけたチケット転売問題について。
チケット転売問題は吹奏楽少年だった私にとって、中学生の頃から重大だった。
まだ全国大会が東京にある普門館という吹奏楽の聖地で行われていた頃、全国大会を聴きに行きたかった私は、正規のルートで取ることを試みてみるものの、とんでもない倍率に敵うはずもなく落選。
親に聞いたオークションサイトをのぞいてみると、3500円のチケットが30000円から40000円と10倍以上で取引されていた。
当然、中学生の私に手が届くはずもなく諦める。
この時は、高額転売を目的とした汚い人がいるなんて露にも思わなかった。
それから、桑田さんのライブや好きな役者さん、作家さんの芝居など、取れなかったチケットをオークションサイトで見てみると何倍にも跳ね上がっている。
この頃からチケット転売問題は結構な憤りを感じていた。
どうしても行きたい人間の足元を見るように、行く気がはなからない人間が当選して、これでもかと言わんばかりの金額を示してくる。やり方が汚すぎる。
少し前に、アーティスト側が転売の反対を示す表明をした時、Twitter上では賛否両論あったのには驚いた。
そう、否定的な意見があることにびっくりした。
「勝手だろ」とか「アーティストにいう権利があるのか?」「アーティストには関係ないだろ」などなど。
ふざけるなって言いたいよね。
チケット売れ行き、それに関するデータ、例えば年齢や性別とか、の正確さはアーティストが活動する上で大切だし、高額転売チケットが売れなかったら無駄になった分だけ入場者数に変化が現れる。
そうなると、アーティストが需要に応えようとする活動に支障が出て来ます。
買った人間の勝手なわけでも、アーティストには関係ないわけでもないでしょ。
どうにかしろよ。
別の話。
私はオリンピックが嫌い。
なんだ、あの全体主義的な空気感が嫌い。気色悪い。
アスリートが大会に向けて、懸命に努力する姿には心を打たれるし、感動もします。
でも、それを「みんなで応援しよう」みたいなのには寒気がする。
東京でのオリンピックも破談になればいいのにってずっと思ってる。
さて、閑話休題。
オリンピックに向けて、先ほどのチケット高額転売を問題をどうにかしようというのだ。
法制化しようというのだ。
こうして、オリンピックを中心に回っていることに吐き気がする。
今まで、アーティストやファンの声には耳を傾けずに、野放しにしていた問題を、自分たちの都合が悪いように風向きが変わると、こういう具合に権力を使い始める。
全く勝手なもんだ。
本当に勝手だ。
今日はちょっとストレートな表現がありまして、すいません。
それだけ、熱を持った内容だと思って読み流してください。
では、こりゃまた失礼いたしました。
言葉、小宇宙の拡張
どうもこんにちは。
気が付けばもう8月が終わるんですねぇ。
越してきてから昨日がちょうど3ヶ月目。
案外一人で暮らすのに不自由もなければ、不便もない。
家事だって炊事だってやる人がいなければ、やるんですね、不思議なもんで。
しかもやって行くうちにだんだん自分のこだわりとかが見つかって凝ってきちゃったりしてね。こうなると、次に同棲する相手が出来た時になかなか大変じゃないかって心配はいらないか。
最近、もっと言葉に長けたい、もっと深い世界が見てみたい、あわよくば創り出してみたい、という好奇心が強い。
個人が創り出せる小宇宙はどこまで広がるのか、って考えるとちょっと怖いような面白そうな。
いろんなことを知りたい。考えたい。語り合いたい。
でも、どんなに頑張っても人間の思考は言語以上の次元では行えないわけで、私が今見る小宇宙を広げるということはより一層の言語力、より一層鋭敏な語感が必要なわけですね。
音楽だって哲学だって詩だって映画だって美術だって、どんな芸術もその小宇宙の拡張の果てにあるわけだ。
そういうわけで、どうしたら言葉に鋭い感覚を持てるか考えたら、書いて行くのが一番早いわけですね。
じゃあ、書こう。
そういうわけで、2週間に一昨ぐらいのペースでペラ10枚以上の習作を書いていこうと思います。
ただ、思いつきを書いてもしょうがないので、こんなものを用意しました。
フィルムアート社、『感情類語辞典』、2015年、アンジェラ・アッカーマン、ベッカ・パグリッシ著
これは人間の感情に関して外的、内的シグナルを事細かに解説してあるものです。
簡単に言えば、「悲しい時って人間はこんなふうに思って、こんなふうに表に現れるよね」ってことが細かく考察されているわけです。
それから、これ。
フィルムアート社、『場面設定類語辞典』、2017年、アンジェラ・アッカーマン、ベッカ・パグリッシ著
これは先ほどの場面版です。
「この場所はこんなところだよね」っていうのを雰囲気だけでなく、具体的な五感を提示してくれるので読んでてははーんって納得しまう。
で、この2冊をどうするかというと、適当にランダムでそれぞれの感情と場面を設定して、この本をもとに書いていってみようということです。
ちょっと企画として面白いんじゃないかと思います。
なんせ、もとにする2冊の本が面白いんだもの。
小説か戯曲か朗読劇かもしれないし、とにかく書いていってみよう。
別にプロになりたいとか、賞が欲しいとかっていうのじゃないからね、つまんなくてもいいのよ。
大切なことは頭の中にある小宇宙がしっかり形になって表現されているかってこと。
書けたら、ここで発表しようと思います。
とにかく、書いて、発表して笑われて、恥をかいて、また書いてって繰り返しなさいというのが、私の大好きな劇作家別役実さんの教えらしいので。
よし、美味しいコーヒー淹れて、早速最初の一遍に取りかかろう。
では、こりゃまた失礼いたしました。
海老名、すごいな、変わったな
どうもこんにちは。
昨晩は海老名の映画館で「タイタンシネマライブ」を鑑賞。
そのあと、海老名住みの高校の同級生と少し飲んで、ラーメン食べて、散歩して、漫喫で漫画読んで、仮眠とって、始発で出勤。今、退勤。
てなわけです。
めちゃくちゃ眠いんです。
まぁ、これをお読みの方で私の体調を案じてくださる慈悲深い方がいるわけもなく、いや、もし仮にいたとしたら、今夜オオサンショウウオと会話する夢をお送りします。
まぁ、タイタンライブに関しては長くなるので、別の機会にしましょう。
ライブ後に友人と合流したわけですが、一軒目に予約してたお店が思いの外バー色がつよくて、お腹を空かせて行った私からすると、拍子抜け。
どっちかっていうと、二軒目に行く感じ。
にしてもそのバーちょっとひどかった。
一杯目にアプリコットのリキュールで炭酸の甘めのロングカクテルお願いしたら、アプリコットとグレープフルーツを合わせて、炭酸で割ったっていうちょっと聞き慣れない飲み物。
しかも、炭酸がペットボトルのウイルキンソンって…
いやね、ウイルキンソンが悪いとか、ペットボトルが美味しくないとかじゃないけどさ、格好がつかないじゃない。目の前でスーパーで96円で売ってる炭酸って。
金額の問題じゃないけどさ、瓶とかを目の前で開けてくれたら、雰囲気が出るじゃないのよ。
バーってそういうところでしょ?
互いにカッコつけた雰囲気がいいわけじゃない。
っていうので、ちょっとテンションが下がる。
まぁ、お店の名前は出しませんけど…
あーあとカクテルをシェイクするときの氷がぶつかる音とか、並んでるウィスキーの乏しさとか、まぁ、色々あるわよ。思い出しちゃった。
ここの話はおしまい!!
で、お腹を空かせた私たちは早々にバーを出て、海老名でお気に入りのラーメン屋「清勝丸」さんへ。
ここのつけ麺は魚介ダシが効いてて太い麺の小麦の香りとコシが効いた美味しい一杯。
海老名が本店で相模大野とかにもあったはず。
宗田鰹に片口鰯とかをダシにした一杯は風味豊かで最高。
https://ramendb.supleks.jp/s/19408.html
全然関係ないけど、小さい頃、生まれて初めて船釣りをした私が初めて釣り上げたのが宗田鰹。
おじさんが「そこそこ大きいから晩飯に刺身で食うべ」ってんで、夜、捌いてくれて記念すべき一口目を食べた私は感想を求められて、「ソーダなのに全然シュワシュワしないね」って答えて大いに笑われたのを思い出す。
そうだ!って…
あーくだらない。
そのあと、漫喫で寝たり、漫画を読んだりってのを繰り返して、早朝4時に隣のブースから聞こえてくるNHKの「みんなのうた」のオープニングに笑いをこらえたりとかね。
そういうわけで、今日は激しい睡魔と戦う勤務でした。
なんかよくわかんないコースは入るしね。
どうでもいいですよね。
そのうち、桑田さんの新アルバム「がらくた」の感想を更新します。
今、聞き込んで資料を探してるのでもうちょっとお待ちを。
では、こりゃまた失礼いたしました。