本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

ラジコフェスで再認識したリスナーとパーソナリティの繋がり 〜TBSラジオとピエール瀧と〜

 

どうもこんにちは。

 

最近気づいた。このブログ、書く時間がないのでは無い。書こうと思った内容を深める思考の時間がないのだ。考える時間というのは書くよりも数倍の時間を要する。

 

12時45分ごろTBSラジオの「ジェーン・スー生活は踊る」を聴きながら茅ヶ崎から江ノ島を目指して出勤する。箱根駅伝でよく見る浜須賀のY字路に差しかりそうな55分頃にスタジオの仕切りカーテンが開いて13時からの「たまむすび」のパーソナリティが現れる。スーさんと赤江さんたちのたわいもないやり取りの後、時報に続いて「たまむすび」が始まる。

 

毎週木曜日。赤江さんとピエール瀧さんのくだらない会話。職場に着くまでのオープニングトーク、20分だけで、これから仕事だという憂鬱さを一時忘れさせてくれるには十分だった。自他共に認めるポンコツ振りの赤江さん。それをツッコむ瀧さん。その応酬には愛があった。そして、たまむすびリスナー達はその愛を感じる時間が好きだった。

 

それでも、もういつもの木曜日は帰ってこない。

ショックだった。先週の水曜日、いつも笑い声しか聞こえてこないはずのイヤホンから聞こえるのは「夢であってほしい」と溢れる涙に声を詰まらせる今まで聞いたことのない、たまむすびらしからぬ赤江さんの声だった。そっとフォローするようにファックスの宛先を代読する大吉さん。リスナーとして、どういう心持ちでいることが正解なのかわからないまま職場の更衣室でradikoのアプリを切った。「どうして?」というやり場のない、咀嚼も消化も出来ない思いは赤江さんもリスナーもきっと一緒だった。共有してきた笑いが深いほど、皮肉にもこんな理不尽に対する切なさの共有も深かった。

 

1週間後の一昨日。

昼間の3時間以上の時間を爆笑問題がジャックして、ラジオでフェスをした。

番組序盤で登場したのは前番組「伊集院光とラジオと」を担当の伊集院光さん。

太田さん「伊集院、ピエール瀧にコカイン渡してたんだってな」

伊集院さん「うん、正確には売ってたのな」

登場早々こんな会話をする。「PLTK」と瀧さんを頭文字で呼ぶ。そのあと、赤江さんが登場してからも瀧さんをいじることをやめない。赤江さんも躊躇なく太田さんの振りに応える。

 

そのやり取りには愛があった。毎週木曜日に国道134号線を自転車で行きながら聞いていたあの愛が。伊集院さんからも太田さんからも田中さんからももちろん、赤江さんからも。木曜日のやりとりが大好きだったリスナーと同じように、TBSラジオパーソナリティたちもピエール瀧さんが大好きだった。こんなことで再認識したのは悲しいが、リスナーとパーソナリティは言葉を超えたところで繋がっていた。その繋がりこそがテレビでなく、ラジオを聞く醍醐味なのだ。

その繋がりを実感するほど、「どうして?」が膨らむ。リスナーは瀧さんとだけ繋がれていなかったのだろうか。

 

TBSラジオの皆さんは腫れるものに触れないようにすることはいくらも出来たのだ。逮捕直後だけ触れて、そのあと何もなかったようにしたってよかった。瀧さんの逮捕に触れるたびにパーソナリティとリスナーは当たり前に悲しくなる。

でも、どの番組でも瀧さんについて、薬物について話題にする。そして、悲しくなると分かっていながらも我々リスナーもそれを望む。

そこには、これから先も愉快なTBSラジオのパーソナリティとしての瀧さんとの繋がりを維持しようとする足掻きがあるのかもしれない。そのラブコールの存在が私たちと「『たまむすび』木曜パートナー」ピエール瀧との繋がりを証明する。犯罪者となった人に送るにはあまりにも似つかわしいくないラブコールだ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。