コーヒーを冷ます時間が有意義かどうか、を考えるのは有意義ではないかな…
どうもこんにちは。
人生を有意義に過ごす方法。
そんなものはないか。あったら教えて欲しい。
何をもって有意義というものか。有意義だからどうだというものか。
ただ、週に1度か2度ばかり、美味しいコーヒーを淹れてくれて、ボケーっとしてても、うたた寝しても放っておいてくれるような喫茶店を行きつけに一軒知っていることは、有意義への近道かもしれない。
無限の時間をあくせくと1秒、1分、1時間とわざわざ細かく区切って自分から追い立てられるよりも、ただ、時間が過ぎるのをぼーっと感じられる余裕がある方が有意義に近いのではないか。無機質に回る時計の針でなく、徐々に湯気の勢いを失い冷めていくコーヒーにこそ、時間の経過を求めたい。
ぼーっと感じる時間の中でふつりふつりと思うことを深めてみるのが、案外無駄なようで、必要な思索になるのではないだろうか。時間を有効に使うことなど無意義だね。なんせ生きることにも、それについて何か思うことにも終わりはない。先の見えないものを整理して効率化を図るなんて愚直でしかない。
小田急線の片瀬江ノ島線の鵠沼海岸駅にある古い喫茶店に来るといつもこんなことを思う。
さっきまで熱々だったコーヒーはちょっと居眠りしてる間に、すっかり冷めてしまった。
なんだか、今思うことはコーヒーを冷ましてしまったことへの言い訳みたいだ。
誰にも責めらることはないだろうに、言い訳がましいこと言うあたり、時間に急き立てられないことに後ろめたさでもあるのだろうか。
そうでしょう。やらなきゃいけないことが溜まってることが何よりの証拠だね。
では、こりゃまた失礼いたしました。