Mー1グランプリ 2018
どうもこんにちは。
先日の日曜日、年末恒例のMー1でした。
月並みですが、どのコンビも破格に面白いし、二人の人間が立って喋るだけで、あんなにも全く違う4分間を作り出すなんて、面白くてしょうがない。こんな漫才がありなら、なんでも出来るじゃんというこれからの漫才に対するワクワクが堪らない大会でした。
それからまた色々考えました。あー随分と偉そうですよ。
これもお笑い好き故のものです。好きすぎてこうなったのです。見ていないであろう関係者各位がいらしたら本当にすいません。
無礼を前提に始めます。
今回は審査員の点数のつけ方が漫才の「技術点」に重きをおくのか、純粋な「笑い」に重きをおくのかで分かれたように思います。
「笑い」については観覧席の笑い声や、スタジオとお茶の間の空気感の違い、審査員の好みや主観がありますから、点数化するところが難しいところです。
一方の技術点とは見取り図の批評でナイツ塙さんが「横だけじゃなくて客席との縦の奥行きを意識して」と言ったのような漫才の方法論のようなものです。台本の面白さをいかに120%表現しきるかと言った台本のポテンシャルと比例したもの笑いに関する観点です。
やはり、審査に対しては毎年いろんな意見が挙げられます。特に主観の好き嫌いや年齢によるセンスの違い。賛否両論、人類がいくらかけても解決しない問題だと思いますが、私は主観は極力除かれるべきだと思います。
中学高校で吹奏楽や演劇など、文化系で点数をつけて競う部活に所属していた人は審査員の主観による審査がいかにやりきれないものか甘酸っぱい青春の記憶と共に蘇るとも思います。吹奏楽のコンクールで選曲が審査員にはまらないという理由で低い点数を付けられると、これは演奏に対する評価ではなく、作曲に対する評価になってしまうわけです。
つまり、「ネタが好きじゃない」という評価はわざわざ漫才師がネタを自作自演で演る大会の根底を否定しかねない意見のような気がするわけです。
ネタの良し悪しを評価するなら、台本のコンペをやればいいだけです。プロアマ問わない現行の間口の広さで行えばいいわけです。
それをわざわざ、漫才師に演じさせるわけですから、台本の持つポテンシャルをいかに表現する技術を持っているか、これを審査の対象にしなければ意味がないように思います。
そこで私は点数を「技術点」と「フラ点」の二項目で点数化する案を提案したいんです。
…誰に?って感じですが。
あーここまで何様だって感じですね。ごめんなさい。この後も偉そうです、きっと。
そして、審査員は「台本の持つポテンシャルの面白さ」「実際に演じられた時の会場の笑い声も考慮した笑いの量」「先述二つを変化させる触媒としての技術」の三観点で審査するのです。そして、一つ目、二つ目を「フラ点」に、3つ目を「技術点」に点数として還元します。
再三の…誰に?ってツッコミと共にこの採点法を私は提案したいんです。
とにかく、どの漫才師を面白い。これは間違い無いんです。抱腹絶倒の4分間を届けてくれるんです。
どのコンビが優勝したっていいんですよ。毎年熱い漫才師たちに我々も熱くなるんですよ。その余韻を楽しみたい。ネット上に蜃気楼のように浮かぶくだらない審査員批判でおじゃんにしたくない。そのために、しつこく…誰に?って突っ込みますが、この採点基準を提案します。
本当に偉そうにすいません。
おわらいが大好きです。Mー1に毎年熱くなってます。
そんなファンだからこそ言いたいわけです。
関係者の方々、すいません。
謝りゃ何言ってもいいわけじゃないぞってね。
では、こりゃまた失礼いたしました。