科学で出来た大黒様の袋
どうもこんにちは。
これについてブログを書こうかなってものをメモしておくんだけど、今見ても何が言いたいのか全然分からない。
なんかこの状況読んだなと思ったらショートショートの神さま、星新一さんがエッセイで書いてたんだ。「できそこない博物館」ってやつだったと思う。確認しよう。うん、そうだ、合ってる。
小学生の頃に星新一さんを読んですっごく楽しくてワクワクして、結末に呆気にとられたり、愕然としたりした。授業中に我慢出来ずに机の下で読んでるのが先生にバレて何度没収されたことか。もしかしたら、先生に隠れて読んでいるスリリングさも良かったのかもしれない。
代表作はごまんとあるけども、やっぱり「ボッコちゃん」が一番良い。
科学技術がすごく発達して、人と人とが肌を合わせなくても生活できて、隣の人が息をしているのかも気にしなくなるほど無関心になっても、人間は人間が好きなんだ。
ロボットに生活が支配される話はいくらもあるけど、「人間は人間が好き」だという当たり前を教えてくれるのはボコっちゃんだけだ。みんなが死んでから、誰もいない深夜のバーに向かって囁くラジオに相槌を打つボコっちゃんの切なさは人間に対する愛そのものだ。
とかいう人間とロボットの関係を言いたいわけじゃない。私の生活は科学無しでは成り立たないし、テクノロジーを信じないなんていうのは戯言だ。
ただ、こうもにんげんが科学の発展に対して後に引けない姿勢はいかがとも思う。
人間の技術が発展すると同時に壊せれる環境、拍車のかかる温暖化。これらを食い止めるために選んだ手段がさらなる科学技術の発展とはどうなのか。ちょっとぐらい後ろを振り返って懐かしい頃の生活をしてみてもいいんじゃないか。
薬の副作用を薬で治すんじゃ、次の薬の副作用は何で治すのだろうか。
人間の「前に前に」という姿勢はいつも尊敬する。なんて書き方するとまるで私が森の物知り博士のフクロウみたいだ。だけど、前に出すぎるとたまに痛い目に遭うこともある。マリオが常に画面右側にいたら、その先にクリボーに気付かずやられてしまうよ。そういうことだってある。
別にだからって世界が後退すればいいだなんて思っていない。足るを知れってことでもない。ただ、前に行かずにいるヨッシーがいたっていいだろうし、そのヨッシーがマリオを背負おうことだってある。なんていうか、固定した役割を与えてくれるなってことかな。
大黒様の袋の中には幸せなんか入っていない。ただ、回収された不幸が入っている。不幸のない生活を幸せだと思えないと、自分から不幸の詰まった袋の中に頭を突っ込むことになるかもしれない。
では、こりゃまた失礼いたしました。