「anone」
どうもこんばんは。
なんだか考えたこと、書きたいことが多いんですが、一遍には書けないので、ゆっくりと順番に書くことにいたしまして、今日は今クールの話題作のドラマ「anone」について考えたことを。
4話になりまして、冒頭にいきなりの回想シーン。坂元さんの本の面白さは物事と物事の間のぼんやりと曖昧な物事とは言えないようなことを私たちの生活のすぐ足元にあるとこから書き出すところにある。と、少なくても私は思っている。
例えば、同じ坂元作品の「カルテット」では「みぞみぞする」というワードが出てくる。毎年、若者が言葉を作り、現存の言葉に新たな意味を持たせたり、膨大な数に膨大な意味を重ねている日本語において、未だに表しきれない感情があるのだ。「マジ卍」なんかでは表しきれない感情がここにあるのだ。
「anone」においてもカレー屋での出会い、テトラポットでの出会い、いろんな出会いが不思議な形で重なり、4話まで辿り着いているのだ。「これがこうだから、こうなってこうした」なんて単純なことはなく、「こうかもしれない、これっぽいけど、こうかもしれない、これがこうなりそうでこうにも思える、これがこう」何が何だか分からん。
でも、この重なりに坂元裕二さんは私たちが見れないものを見せてくれるのだ。だから、簡単に回想なんか出来ないのだ。いや、出来ないことはない。することは簡単だ。しかし、してしまえば、何も見えなくなってしまう。それが坂元さんの本なのだ。
視聴率の低迷さからきたのだろうか。仕方ない。
で、4話になって私の中でいろんなことが繋がった。このシーンだ。
「なんで幽霊を好きになったらダメだんですか?」
「え?」
「なんで死んだら好きになっちゃダメなんですか?生きてるとか死んでるとかどっちでも良くないですか?」
「だって」
「生きてても死んでてても好きな方の人と一緒にいればいいのに」
ハリカと亜乃音は偽札を介して出会う。そのハリカは難病の彦星を救うためにお金が必要なのだ。ハリカは自分と同じ過去を持つ彦星を死なせたくない。「死なせたくない」ということはハリカが生と死にこだわりを持っているこいうことの裏返しだ。「死んでいるから」に縛られている。
カレー屋で初めて出会うるい子と持本はカレー屋なのに焼うどんを食べる。「カレー屋だから」カレーしか出てこないってことはないのだ。
「親友だから」と西海をかばう持本。西海が落ちた穴は持本が落ちたかもしれない。「西海だから」起きたことでなないのだ。
玲と亜乃音は血が繋がっていない。亜乃音は「血が繋がっていないから」玲は出て行ったと思っている。
るい子は「女の子だから」と野球部員でなくマネージャーに、バンドマンでなくバンドマンの女に、就職してからは後輩に先を越されていく。
るい子は「死んでいるから」生まれて来なかった架空の幽霊(だと思っていいらしい)あおばから離れなければいけないと思っている。
るい子の生きている息子、樹は祖母、百合恵は「男の子だから」とおままごとをさせない。
この物語は人と人との関係の中に「だから」という固まったステレオタイプが潜在している。それに縛れることがどれだけ彼女たちを苦しめているか。
その結果だろうか、彼女たちは自分に「虚」をまとい始める。
ハリカと亜乃音の関係しかり、ハリカの過去しかり、るい子の犯罪歴しかり、ハリカと彦星は虚の中を行き交うSNSを介してのみで決して出会うことはない。
今まで1人の女性や一つのグループをクローズして書くことが多かった坂元作品の中では珍しい群像劇なことも今後の展開に大きく関係してきそうだ。次回予告ではハリカ、亜乃音、持本、るい子、それから亜乃音が勤務する法律事務所の所長の花房が集っている。
次回が折り返しに来て坂元作品の揺蕩う感は一層加速しそうだ。
では、こりゃまた失礼いたしました。
草津へ独りで膝栗毛 〜壱〜
どうもこんちは。
1月30日15時45分の今、私はバスにいます。
ちょうど関越道で東松山市を抜けようというところです。
年頭言で考えた目標の一つ、「行ったことのない新天地に5箇所は行って一泊してみる」の第一弾として行ったことのない草津温泉に行って一泊してみました。
そのことです。
今回、旅ってほどのことじゃないけども、まあ、旅の中で一番疲れたのは間違いなく、出かける前ね。
起床が6時半ごろで、まず、軽い朝食の後に掃除。徹底的に掃除。
疲れて帰って来て部屋が散らかってるのは気持ち悪いんだね。掃除して、掃除して、掃除。ここが一番疲れた。
それが済んだところで出かけましょうか。
茅ヶ崎駅で長野原草津口駅までの乗車券を購入。今回は高崎まで在来線で、高崎からは「草津1号」ってのに厄介になりました。
在来線はグリーン車でなくても、昔ながらの2人席が向き合う形のボックス席で十分。
今回の旅の連れには本当は内田百間の「阿房列車」が良かったんだけど、頃よく見つけられなかったので、代わりにキョンキョンの「小泉放談」をカバンの外ポケットに。
キョンキョンが50歳になるを境に各界の50代先輩女性と放談しようという雑誌の企画をまとめたもの。
私幾つだよとか思いながら、手にとってみたけど、これがなんかすごい今の私にぴったり。
ってのも、もちろん、同世代の方の指針というか一つのモデルになってるんだけど、みなさんがお話の中で、決まって出てくる枕が「ほら、20代や30代の頃って」ってやつ。
50代をあんなに謳歌して生きてる人がそんな20代を過ごしてたの?いや、今の私みたいじゃん?って。ああいう世代の方が活躍しているのは巡って私たちの世代の活力になる。不思議な循環。
不思議なのはそれを読みながら望む車窓ですよ。
茅ヶ崎には雪なんか全く残ってないのに、東京は割としっかり残ってるんですね。
先に進めば進むほど、「プラットホーム」って言葉が似合ってくる通過駅達。プラットホームって響きが懐かしい。使ってた世代でもないくせにね。
普段使う東海道線もあんなに延びてるんだと不思議な感覚。聞いたことない、読めない駅名がズラリとならぶ。
高崎からは特急で快適な旅。行けば行くほど増える残雪。
何も国境沿いの長いトンネルを抜けないでもここは雪国じゃございませんか。
駅と温泉街の距離が地味にあって、バスで行くこと30分弱。
バスターミナルから温泉街、湯畑までは歩いて1分。凍った雪の中を滑らないように坂を下ると見えてきたのはあの景色。はい、ドーン。
あ、温泉街って感じ。
ぐるっと回ったら、再び坂を登って宿にチェックイン。荷物を置いたら、タオルの入った袋だけ抱えて今一度の温泉街へ。
今回は最低4つは温泉に入りたいと思っていたので、まず、目指したのは西の河原ってところの露天風呂。
広い自然の中に向かって溶け込み消え行く湯けむり。最高だった。
あ、これが日本人のツンデレ信仰の教祖だなと確信。
氷点下幾つの中で裸になって、42、3度の湯の中へ。元祖ツンデレではないか。熱いと冷たいのコンビの強いことよ。たしかに、ホットケーキにバニラアイスも最高だもんな。
あがってからは細い路地とかをウロウロしながら、時にはあれここ私有地?みたいなところをこっそり失敬しつつ、ちょっと食べて、草津ガラスの薄玻璃のグラス買って、あーこれでコーラを飲むのが楽しみだ、宿に戻ってからはお夕飯まで明日の家路を調べたり、今後の予定を練る。群馬でも5時に夢中やってんのね。初めてスタジオのぐんまちゃんが愛おしく思えたよ。CMは群馬の放送局のもだから、ちょっとした違和感。
夕飯を食べたらちょっと食休みを兼ねてこの間のサンドリを聴きながらウトウト。クソパイゴリラとクソヒゲゴリラのやりとり笑ったわ。ってハッとしたらもう21時半。やばいやばい。
地蔵温泉って夜行くににゃ打ってつけの温泉へ。暗闇にぼやんり浮かぶ並んだ赤い提灯。四方に乱立する地蔵。しかも目の前を横切る黒猫。ちょっと入るにゃ不気味すぎたんで、流石に遠慮しました。
で、昼間の西の河原方面に向かうと、昼間閑散としてた細い路地裏が明るく煌々としてる。あら、スナックや夜のお店がうずき出す。少しフラついた後、中から渋い声で歌う五木ひろしが響いてくる居酒屋へ。店内には今どき珍しい着物に割烹着というママさんとチーママさん、男性客2の女性客1の静かな感じ。いい店だったな。雰囲気とお客さんと楽しかった。ああいうお店は私みたいな若造を受け入れてくれない雰囲気もたまにあるんだけど、そんなことなく、いろんな話を聞かせてもらいました。 下戸だけど好きですね。「車屋さん」の都々逸のパート練習しますね。
で、2時間弱飲んで歌って帰宿。
部屋のテレビでリアルタイムのキングちゃん見て笑って就寝。
今週のキングちゃんも笑いました。大喜利とコントと色んな角度からの笑いが詰め込まれてるの好きですねぇ。
という1日目ね。
朝起きれば2日目です。そりゃそうです。
ちょっと疲れたので続きはまた次回。
では、こりゃまた失礼いたしました。
転機の日の天気、雪
どうもこんにちは。
なんだかんだ環境が変わったな。
というのも、雪の降る寒い22日の月曜日、今お世話になっている江ノ島のお店の社長と面談して来月から社員として登用してもらえることが決まった。
登用して「もらえる」って言い草はなんだか忖度しているな。元を正せば、入って3ヶ月くらい経った9月ごろに料理長を通して社長の方から社員になる話を頂いたんだ。その時は飲食の世界で生きていくことにピンと来なかったからお茶を濁して返事しただけ。その後も何度か声を掛けてもらったんだけど、濁ったお茶はいつまでも澄むことなく。
今年に入って、自分の理想のジャズバーを持ちたいという思いから、飲食の経営を勉強したいなと思った時に、なんだかんだ社員になって中を覗いた方が早いような気がして、社長に面接をお願いすることに。
まぁ、デキレースみたいな面接でございますから、社員にしていただけましたよ。
話はここからだ。
まず、周りの社員さんで納得いってない人が多いんだ。
というのも、私よりも6年長くバイトとして働いているベテランさんがいて、この人が社員の話を社長から断られてるんだな。もちろん、この人は私よりも仕事ができて、周りからの信頼も厚い。私みたいなペーペーとは大違い。ただ、社長から何故だか嫌われてるんだな。
そうなると、周りの人間からすると私なんか虎の威を借る狐みたいなもの。仕事も出来ないのに社長に気に入られて先輩を出し抜く嫌な奴。これは仕事がしづらいな。
あとは会社的に板場の社員さんが辞めていくから、人員が欲しいってのもあるんだよな。
しょうがないから、ここはやる気のあるところを周りに見せて認めてもらうしかない。
それだけが今私に出来ることだ。もちろんそのつもり。
ただ、料理人になりたいというよりも経営の勉強がしたというのが強いから、ちょっと私としては動機が不純な気がする。ちょっと後ろめたい。
とはいえ、やるしかないのは事実。
やるか辞めるしかない。
分かってるんだけどな。
よし、って気になれない。
どうしたら、なるんだろうか。
いや、ならなくてもやるのが大人なんだよな。
じゃあ、やろうよって話か。
はい、頑張ります。
すごい遠回りな気がするけど、自分のやりたいことのために動いてんだもんな。
なんだかピンとこない。
でも、やるよ。
しばらくはこの環境でやるよ。
じゃあ、この1000字近い駄文はなんだったんだよ。
こんな文章を世の中に撒き散らすんじゃないよ、全く。
そろそろ今月を振り返ってみないとな。
なんか振り返ると切なくなる気がするな。
来週のあたまは草津に一人旅。
年頭言で挙げた目標の一つ、「新天地、5箇所で一泊」の第一弾。
第一弾が温泉って年寄りかよ(笑)
一応、記事書きますね。
では、こりゃまた失礼いたしました。
科学で出来た大黒様の袋
どうもこんにちは。
これについてブログを書こうかなってものをメモしておくんだけど、今見ても何が言いたいのか全然分からない。
なんかこの状況読んだなと思ったらショートショートの神さま、星新一さんがエッセイで書いてたんだ。「できそこない博物館」ってやつだったと思う。確認しよう。うん、そうだ、合ってる。
小学生の頃に星新一さんを読んですっごく楽しくてワクワクして、結末に呆気にとられたり、愕然としたりした。授業中に我慢出来ずに机の下で読んでるのが先生にバレて何度没収されたことか。もしかしたら、先生に隠れて読んでいるスリリングさも良かったのかもしれない。
代表作はごまんとあるけども、やっぱり「ボッコちゃん」が一番良い。
科学技術がすごく発達して、人と人とが肌を合わせなくても生活できて、隣の人が息をしているのかも気にしなくなるほど無関心になっても、人間は人間が好きなんだ。
ロボットに生活が支配される話はいくらもあるけど、「人間は人間が好き」だという当たり前を教えてくれるのはボコっちゃんだけだ。みんなが死んでから、誰もいない深夜のバーに向かって囁くラジオに相槌を打つボコっちゃんの切なさは人間に対する愛そのものだ。
とかいう人間とロボットの関係を言いたいわけじゃない。私の生活は科学無しでは成り立たないし、テクノロジーを信じないなんていうのは戯言だ。
ただ、こうもにんげんが科学の発展に対して後に引けない姿勢はいかがとも思う。
人間の技術が発展すると同時に壊せれる環境、拍車のかかる温暖化。これらを食い止めるために選んだ手段がさらなる科学技術の発展とはどうなのか。ちょっとぐらい後ろを振り返って懐かしい頃の生活をしてみてもいいんじゃないか。
薬の副作用を薬で治すんじゃ、次の薬の副作用は何で治すのだろうか。
人間の「前に前に」という姿勢はいつも尊敬する。なんて書き方するとまるで私が森の物知り博士のフクロウみたいだ。だけど、前に出すぎるとたまに痛い目に遭うこともある。マリオが常に画面右側にいたら、その先にクリボーに気付かずやられてしまうよ。そういうことだってある。
別にだからって世界が後退すればいいだなんて思っていない。足るを知れってことでもない。ただ、前に行かずにいるヨッシーがいたっていいだろうし、そのヨッシーがマリオを背負おうことだってある。なんていうか、固定した役割を与えてくれるなってことかな。
大黒様の袋の中には幸せなんか入っていない。ただ、回収された不幸が入っている。不幸のない生活を幸せだと思えないと、自分から不幸の詰まった袋の中に頭を突っ込むことになるかもしれない。
では、こりゃまた失礼いたしました。
「勝手にふるえてろ」
どうもこんばんは。
今日ははるばる小田原まで、ずっと気になってた松岡茉優さん主演映画「勝手にふるえてろ」を観に行ってきました。
平塚すぎると車窓が懐かしいのね、東海道線。
いい映画だった。
今、言葉にするにはどんなのがいいかすごい悩んでる。
私には経験のない恋愛体験なのにすごい共感をした。どこにかな。
恋愛に対してよく「臆病」って言いかたするけど、あーちょっと違うんだよな、って思った。
そもそも恋愛って赤の他人を無条件で受け入れ合うことだから、臆病とかそういうんじゃないんだな。私がそんなに深く介入していいの?って。
でもね、本当によく分かるんです。些細なことを自分で勝手に解釈して傷ついたり、喜んだり。疲れるんだ。でも、自分がそれを心底楽しんでるんだ。わくわくしてるんだ。昨日なんでもなかったアンモナイトの化石が、今日は好きな人との思い出の品に変わったせいでとんでもなく愛しくって、明日になるとマフラーで覆って隠したくなるほど憎くなるんだ。赤いポストイットだってそう。
好きな人にベクトルを向けるのって辛いんだよ。すごい分かる。後になると、なんてことないやって楽になれるんだけどね。
自分と世間との距離。孤独。ズキズキする心の痛み。空回りのときめき。
10年間一人のことを妄想で想い続けるなんて経験ないし、好きな人と付き合ったこともない。だけど、すごく共感して、ため息が止まらない。
こじらせ過ぎた良香の恋愛感情にも共感しできるところはあるけど、二の気持ちがすごいわかる。いい奴だよ。ピクニックで良香が放った「好きな人といるより自然な人といたい」って言葉は恋愛の延長線で的を射てるんだけど、それを言われた二はいたたまれない。なのに、良香は二からの告白の時に抜けていた「好き」という言葉を求める。女って分からないね。ラストの玄関先のシーンでどんどん切なさと愛おしさが込み上げてくるのとは裏腹に、笑いしか湧き上がらない2人の会話はテンポといい、ツッコミといい、笑えば笑うほど二がいい奴でしかなくなる。
キャスティングと配役がバッチリ。
片桐はいりさんが窓から顔を覗かせてオカリナを吹く画の爆発力よ。人形みたいな格好の趣里さん。松岡さんとは去年の舞台「陥没」で同級生役で共演。何よりも「色即ぜねれいしょん」で知った渡辺大知さんのあどけなく、まっすぐで、純情な二は素晴らしかった。もちろん、松岡さん。喜怒哀楽の一つ一つが繊細で「喜」「怒」「哀」「楽」の中でもさらに細かい感情が込み上げてて携帯を投げる仕草、アンモナイトの化石を愛でる仕草、どの仕草や動きをとっても「江藤良香」その人だった。
名前が「岡 里奈」とか「久留美」とか「紫谷」とかちょっと引っかかる。一と良香の最後も名前がキッカケだし。
明日朝一で原作とシナリオ買ってこよう。
見終わったあと、私が勝手にふるえてしまった。
帰りにJR鴨宮駅の階段に貼られてたポスターの松岡さんは寒そうな雪国のかまくらの中で全然ふるえてなかったな。
では、こりゃまた失礼いたしました。
年頭言〜2018年〜
どうもこんにちは。
今更ではございますが、明けましておめでとうございます。
2017年は私にとってはなかなかに激動の一年となりました。
大学を思い切って辞めて、入った新しい世界。自分ならやっていけるという括ったタカは見事に計算違いで、足を洗って心機一転越してきた地が茅ヶ崎よ。新しい出逢いと世界に魅了され、学生時代の音楽熱が再熱し、新しい仕事に日々を浪費し、いつも脳内あーコリャコリャな毎日。
慌ただしく迎えた2018年。
所信表明ではないけれど、ちょっと考えてみましたよ。
だからどうてこたぁないだろうけどね。
まず、大きな目標として考えたいテーマがあります。
私は座右の銘じゃないけれど、こんな生き方がしたいってのに
死なずして生きることを辞めたような人生を送らない
ってのがあります。
いつだか深夜のデニーズで小説を書いてたんだか、深夜ラジオのネタを考えてたんだかで思いついた言葉。
なんか深みがありそうでしょ。でも、この時はこの言葉の雰囲気だけを気に入って全然深みなんか考えてもみなかった。今になってこの言葉の持つ深みに気づいて、なんだよ今、死んではないけど生きてもないよって当時の自分に聞かせたい。
「死なず」ってのは生物学的に息をしていて、心臓が動いていて、血が体を疾走していることを言うのでしょう。
「生きることをやめる」ってのは精神的なものでしょうね。
しかし、ひとえに精神的に生きるって言ったって色々考えようがありますよ。自分のやりたいように生きることなのか、高みを目指して生きるのか、道徳的な生き方なのか、はっきりしませんね。
だから、2018年はここで言う「生きる」について考えたいと思います。
確実に日々を垂れ流しているだけの今の生活にはないものです。それを見つけて、次の活路の見出せない現状のヒントにしたい。今後の自分に向き合う契機にしたい。そこから次を始めよう。
そんな思いなわけでございます。
今年の12月31日にはその答えをここに記せるように考えてみます。
さて、ちょっと抽象的な内容でしたね。次はもっと具体的な内容に入ります。
生活面では、きちんと家計簿をつけて無駄なく金銭管理をし、まずは年内で100万貯めることを目標とする。
あとは時間の管理もしっかりする。毎日やることをTO DOリストにしてやるべきことはしっかり終わらせる。予定の管理は時間の目処を立ててしっかりやる。
次に音楽関係。
トランペットは毎月一曲は新曲を下ろす。フルスケール制覇する。ロングトーン、タンギング等の基礎を今一度。
ドラムは教則本の上巻を終わらせる。練習ではメトロノームを使う。
芸大和声の上巻を終わらせる。ジャズの理論書の上巻を終わらせてトランペットでのアドリブに応用していく。ピアノを使って音程感覚を養う。
あと、映画は月に1本、芝居は2ヶ月に一本、劇場に足を運んで観る。行ったことのない新天地に5箇所は行って一泊してみる。本は年間50冊は読む。このブログは月の1/3の頻度で更新する。習作の文章を偶数月に一作書いてみる。深夜ラジオの投稿を続ける。目指せカーボーイのMー1。
欲張ったな、私。
出来るかな…
まぁ、やってみようかね。
なるべくここでも報告します。
要らないだろうけどします。するんです。
外に発信していかないとグズグズしちゃうから。ちょっと苦しくらいの生き方をあえてしてみます。
何に対してどう向き合うことが私の理想の「生きる」なのか、どうしたら見つかるのか分からないからいろんなことを詰め込んでみるんです。やってみれば、なにをそんなに焦って探しているのかわかるでしょう、見えるでしょう。見えなくても、消去法で消せる選択肢がひとつ見つかるんです。それだけでも成果かもしれないし。今年を過ごしてみてまた一年後考えてみよう。
あと大切なことは今年私は本厄の数え年で25歳です。
お祓いとか行っといたほうがいいのかな…
では、こりゃまた失礼いたしました。
ミュージックソンとアルピーと、ついでに乃木坂工事中
どうもこんばんは。
ニッポン放送で24日の正午から25日の正午まで24時間通して生で放送されるラジオ番組「ミュージックソン」。
今年はメインのパーソナリティにオードリーでリトルトゥースの私はもちろんワックワク。ゲストには南キャンの山ちゃんが出るなどお笑い好き、ラジオ好きにはたまらない至福の時間。
しかも、深夜には三四郎のコーナーにアルピーがゲスト出演。過去の伝説的な番組、「アルコ&ピースのANN」の復活を期待させる感じ、たまらない。過去に「三四郎のANN0」にゲスト出演したこともあるアルピーは「コントゴーレム」としてのおなじみの楽屋コントの猛威を奮ったことも。
そんなアルピーは「エチュード」のクリスマスプレゼントとして平子さんの「平子った」楽屋コントはいつにも増して強烈に。あのサイコパスな世界観、それを煽っていくリスナーからの生放送特有のリアクションメール。アルピーのANNが懐かしい。
ちなみにアルピーは一昨年のミュージックソンで三四郎と同じ深夜の2時間を担当。その時のメールテーマは「教えて!あなたのクリスマス」と「探せ!伝説のハチミツ」というもの。
言いたいことはわかりますよ。前半はいいでしょうよ、わかりやすいテーマよね。後半はどうなのよ。伝説のハチミツって何?これはどうもゲストの歌手の喉を気遣ってということらしいが本当にサイコパス。ラジオでハチミツ探すってなんだよ。最高かよ。
これは2年前の話ね。
話は今月24日の日曜日に戻ります。
ミュージックソンの裏のテレビでは、深夜に「乃木坂工事中」を放送。
内容は乃木坂メンバーの理想のクリスマスを再現して発表するというもの。その中でアルピーと毎週金曜日にFM FUJIでラジオ番組「沈黙の金曜日」をやっている中田花奈さんの作品がこれ。
「本日のテーマは‘’教えてあなたのクリスマス‘’」と言うもの。
ラジオのハガキ職人に憧れがあると言う中田さん。完全に重ねてきてるね。いいね、ラジオ愛、アルピー愛に溢れてるね。たしかに沈金の職人さんは面白い人が多いからな。
とそんなことにウキウキしていると、ミュージックソンも終わりに。
24時間のエンディングにはオードリーが生放送中に起こったことを基にした漫才を披露。昨年のパーソナリティの斉藤由貴さんが顔を出さなかったをいじるところから始まって、ゲストに来た人たちへのいじり。いやー面白かった。興奮してる2人の感じが取れて、普段のネタ番組とは違ったオードリーの漫才は最高だった。
なんかラジオって文化は本当にいいね。
もう今年も終わりね。
カーボーイのMー1も終わり、ヒムペキグランド大賞もダイナマイトエクスタシィも終わり、あとは31日の年越しの24時台三兄弟の番組を待つばかり。
では、こりゃまた失礼いたしました。