書きたいこと色々、だけど今日は湘南
どうもこんちは。
昨日までの長雨から一転、今日は気持ちいい天気に。
昼間働く江ノ島のお店の窓から見える青空がとても気持ちよかったね。
まあ、これも束の間、明日からまた長雨に戻るらしいね。
今週はラジオ界が盛り上がるスペシャルウィーク。
昨晩はTBSラジオの「アルコ&ピースのD.C.GARAGE」と「爆笑問題カーボーイ」が最高だった。
普段録音の2番組が生放送。
骨の放送とショートショートショートの放送と、ってもこれじゃ聞いてない人はわかんないですよね。
これがラジオのいいところ。
聞いてる人だけにわかる熱量。聞いてるやつだけついて来いってスタンス。
それでいて、一度聞いちゃえば、すんなり受け入れてくれる包容力。
テレビとは違った距離感を聞いてる人とパーソナリティーの間に作っちゃう。
スペシャルウィークはなおのこと。
…ってラジオについても語りたい。
けど、そんなラジオの前に、待ちに待った新ドラマ、クドカン×キョンキョンの名タッグ「監獄のお姫様」の初回。
これは面白っかたね。
クドカンって何かとパロディが多いけど、今作は今までのクドカンのパロディって感じ。
会話の空気感、小ネタ、ありそうでないけどやっぱりある展開、ずっと期待したものをやっぱり画面に映し出してくれる安定感。
本当に待ちに待ったって感じ。
初回だけでもう満足。こっから回が進むごとに重層的になるコント。
名コメディエンヌ達よ。
こっちの熱量も半端ない。
そんなことを考えながら、例のごとく江ノ島から自転車を漕ぎながら海を走っていると、ふと住宅地へ入ってみようかと。
鵠沼海岸の辺りから国道134号を1、2本住宅地に入った道は物の見事に家家家。
当たり前か、だから住宅地だもんな。
やっぱり湘南って言うからには、ウッドデッキの付いた木目のお洒落な家が立ち並ぶ。
辻堂に入っても変わらず立ち並ぶ家家家。でも、こっちの方がちょっと高級感。
言われてみれば、停まってる車も外車が多め。
んで、帰ってまいりました我が地元、っても越してきて4ヶ月のにわかだけどね、茅ヶ崎。
ちょっと古びた感じ。
いや、これはディスってないよ。
ちょうどいいんだよ、このちょっと古い感じ。
そうか、「びた」良くないのか。この響きがなんとなしにディス感を思わせてるな。
藤沢と茅ヶ崎はおんなじ湘南でも、捉え方が違うのかな。
ちょっと気取って湘南ブランドに肘をついてもワインを飲んでる藤沢、缶ビール片手にビーサンで歩くのが茅ヶ崎の湘南。
あくまで私の感覚よ。
湘南になろうなろうとブランド作る土地と、普段の生活が湘南になってく土地。
こんな違いを感じる。
テラスモールが出来て何周年かのこと。
小田急の広告に「湘南というブランド」ってキャッチコピーに無性に腹が立ったことがあった。
湘南はブランドなんかじゃない。ブランドなんて低速な権威でくくるな。
というのが当時の私の言い分。
あの頃は私は自分で認識のある権威嫌いだった。
まあ、いまもその節はあるんだけどね。
ただ、感覚で権威を嫌うのはただの思春期だ、尖ってるだけだ、と思っていたので、この反権威主義を理論的に説明しようとあくせく頭を回転させていた。
ある時、こうやって権威を嫌って考えていることも一種の権威主義ではないかと思うようになってから、なんかそれはそれでバカバカしくて考えるのをやめちゃった。
まぁ、どちらにしろ若気の至り的な尖り方だよね。
でも、あの頃はよくいろんなことを疑っては反駁したいと考えてたね。
それを書き殴ったノートを見返してみると冷や汗もんだ。
あれはあれでちょと面倒だけどいい時間だったのかね。
では、こりゃまた失礼しました。
雨に降られて、背負い投げ(しょいなげ)食って
どうもこんにちは。
ずっと雨だね。
この雨は長いね。
寒くなる気候に追い打ちをかけるかのように降る雨。嫌な奴だね。
雨の降る日は傘がいるね。
だいたい、みんな傘なんか持ってるのに、雨が降るたびにコンビニの入り口に傘が並ぶのはどういうわけか。
こんなに雨が降るって天気予報で言ってるのに、出先で降られて傘がないなんて間抜けもそうそういないだろうに。
フラれるはフラれるでも、こっちは「降」られるじゃなくて「振」られるの話。
浅草の観音様の裏ってにあった吉原。
あの里で花魁に振られること(お金を出して会いに行ったからと言って必ず会ってくれるわけではなかった)を「しょいなげを食らう」と言ったらしい。
うーん、なかなか粋だ。
粋がどんなもんか知らんが、こういうのは粋なんだろう。
たしかに吉原で遊んだ次の朝、
「おい、お前さん昨日どうだったよ」
「それがよ、フラちゃったよ」
「なんだい、情けねぇな」
「ってぇところをみるとなんだい、お前さんはたいそう楽しい夜だったんかい」
「いいや、フラれたよ」
「んだい、それじゃない俺と同じじゃねぇか」
ってのはちょっと野暮ったい。
フラれるって響きが良くないのか、江戸っ子だと巻き舌を駆使するから、「られる」って続くのが良くないのか。
しょいなげってのは漢字にすると「背負い投げ」。
「しょいなげを食らう」でひとつの慣用的表現があるらしい。
意味は「相手を信じていたのに、最後のところでだまされたり裏切られたりしてひどい目にあう。」(デジタル大辞泉より)だという。
たしかに、部屋に来ると信じていた花魁に裏切られて独り寝のひどい目にあうってのはしょいなげを食っている。
なんか響きがいいな。
しょいなげね。気に入った。
明日は晴れるかな。
自転車通勤に雨は辛い。
晴れると信じて、裏切られて、天気に食いたくないな、しょいなげ。
雨が降る日は悪天候。
では、こりゃまた失礼いたしました。
大きな江ノ島、小さな烏帽子岩、それからドビュッシー
どうもおはようございます。
おや、このブログを始めて4ヶ月ほど、朝の挨拶から始まるのは初めてかしら。
先週から前回ご案内の通りチャリ通を始めることに。
チャリ通って言ったってチャリティーに通うことじゃない。チャリで通勤すること。
んなこたぁ、分かってるか。
茅ヶ崎のサザンビーチを出発して、辻堂、鵠沼海岸、江ノ島と海沿いを走ること30分ちょい。
やっぱり大好きな海沿いを走るのは気持ちいい。
特に朝の海は綺麗で、銀色に陽の光が反射する海面、潮風、潮騒はこれから仕事に行くとは思えないほど、穏やかな心持ちにしてくれる。
15分も自転車を走らせると、いつの間にか烏帽子岩が小さくなって大きくなってる江ノ島。
この二つのコントラストで自分が自転車を走らせてきた距離を知る。
チャリ通を始める前に不安だった、仕事に疲れた体で自転車を走らせる帰りもなんら問題ないし、電車の乗り換えとかを考えたら、むしろ短い通勤時間で済んでるし、適度な運動になってるし、今の所心身ともにいいんではないかと。
朝、海を走っているとドビュッシーの交響詩『海』を聴きたくなる。
色彩的なフレーズと響きが特徴のドビュッシーは昔から大好きで、この曲はいろんな指揮者で聞いてきたけど、やっぱりシャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団のものが一番好き。
本当に色彩的。
音楽を色で例えるのはどうかと思うけど、こういう言い方が一番ピンとくる。
でも、音楽の話をしてると、空間的とか、色彩的とか結構抽象的な言い方をするけどみんな案外分かるもの。
不思議だね。
ただ、抽象的な言葉でしか表現出来ないからこそ、音楽はあるのかもしれない。
言葉の狭さを思い知るね。
では、こりゃまた失礼いたしました。
流されない竿を情に刺す
どうもこんにちは。
まだ読み終わってないけど、最近読んでる本の話。
内田樹さんの「知に働けば蔵が建つ」を読みながら、私が常に考えることがいよいよ正しいんじゃないかと思うようになってきた。
今の社会において、個人が思考することがいかに重要かということだ。
特にコンピューターが発達してから人間は「知ってること」より「考えること」の方が重要になってきているのに、そのことに対する認知が低いように思う。
内田さんはこのことについて、序章の「はじめにー知性と時間ー」という教養と雑学の違いを時間を交えて説明している章でわかりやすく話している。
知っていること、つまり雑学の記憶量ではコンピューターの右に出る人間はいない。
しかし、何かを知覚するとき、人間は知覚できている一部のことから全体を把握することができる。その全体の把握には別人の人格を思わせるくらいにいろんなプロセスを介している。
そのように私たちが知覚する以前に、言い換えれば、知覚していることが表層化される前に行われている、まだ知覚されぬ知覚(閾下知覚)を経て知覚が知覚されるのには時間がかかる。
その時間のかかるプロセスを行えるのが人間なのだ。
内田さんの本を読んでると目からウロコなことばっかり。
言ってることがごもっとも過ぎて、現代社会を生きるのが嫌にってくるくらいよ。
あれだけの濃厚な内容を全ては書けないので、一番印象的な章を一つ。
戦後、侵略が進んだ個人主義は、バリバリに働く江角マキコみたいなキャリアウーマンを生み出し、渡鬼の世界の人間のように家族や世間に縛れる私たちを解放してくれた。
さて、その後だ。
私はこうありたい、私はこんなことに縛られたくない、と個人を強く前に押し出した結果どうなっただろうか。
端的に言えば、家族という最小の共同体は解体され、学校での教育や公共的な支援活動は見直しを迫られている。
すなわち、共同体のない無防備な私たちに、無防備であることを自覚させ、その中で生き残るために我々は自分に内包されていると信じてやまない希望を捨てることを迫れているのである。自分は特別だという過大な夢を持つことが邪魔なのである。「オレ様化」した子供は夢が破れた途端に無防備な社会で生きることに嫌気がさしてしまう。
「みなさんがおっしゃったので、『こういうこと』になったわけである。誰を恨んでも始まらない。」と内田さんはいう。
そして、最後に内田さんが出した「将来的に『希望』をつなぐことのできる唯一たしかな道」でこの章の筆を置いている。
考えることは案外面倒なことで、思考したからといって誰に褒められでも、喜ばれるでもない。そもそも誰も求められてすらいないのかもしれない。
それでも、哲学者と呼ばれる人たちは考え、書いて、発表している。
生産性がないと言えば、物理的な生産はほとんどない。
なぜだろうか。
キリストの「人はパンのみにて生くるにあらず」じゃないが、物理的にものを生み出すことが全てではない。
人が考えたものを読む度に自分も何か考えるように迫られる。
それにしても、タイトルの付け方がいつもセンスがないね。
では、こりゃまた失礼いたしました。
10月からの新ドラマ
どうもこんにちは。
もう10月も半ばに差しかかろうとしてるな。
昨日、布団の中で瞼を閉じるまでは6月だったのに。
秋クールのテレビドラマが始まる。
前クールはサブカルちっくなドラマがサブカルを中心に書くことをうまい具合に成立させたドラマ(「下北沢ダイハード」「ハロー張りねずみ」)がキラリと光るクールだった一方、ベテラン脚本家による安定した作品がちょっと期待はずれな感じだった。
今クールはなんてったって…アイドル、もとい、キョンキョン。
そう、「監獄のお姫さま」
クドカン×キョンキョン×TBSという、おそらく「マンハッタンラブストーリー」以来のタッグ。
クドカンが書くおばさん群像劇の期待に胸が高まるね。
周りを固めるのは森下愛子さん、満島ひかりさん、塚本高史さん、猫背椿さんとクドカン作品お馴染みの面子に加えて、菅野美穂さん、坂井真紀さん、夏帆さんと新しい座員も登場。
キャスティングだけでもワクワクだね。
もう2話まで放送中だけど、綾瀬はるかさん主演「奥様は取り扱い注意」
主婦版「三匹のおっさん」的な爽快勧善懲悪コメディー。
綾瀬はるかさん、広末涼子さん、本田翼さんの3人のキャラは定石どうり、王道の設定。
秘密多き綾瀬はるかさんと、その夫役西島秀俊さんとの今後の関係とか分かりやすい伏線で安定した感じ。
こういうのいいよね。
奇をてらわないドラマが1クールに1本は欲しいかなと思う。
サブエピソードに3人の主婦の「取り戻せ!旦那との熱い夜!」的なエピソードが添えられてるのにニンマリ。
もう水戸黄門になるじゃないかというくらい定番になった医療ドラマ「ドクターX」
米倉涼子さんの代表作になっちゃったね。
「私、失敗しないんで」というお決まりのセリフ通り、絶対にオペで失敗しないんで主人公の自信と一匹狼を貫く格好良さは見てて爽快。
権威に取り巻く医師たちの人間模様に今回は大きな動きがあるのかな…?
シリーズもここまでくると大門だけでなく、お馴染みの先生たちのキャラが定着しているからやりとりや小ネタに安心して笑えるのもいいね。
まさに時勢を斬ったかのようなサスペンス「ブラックリベンジ」
世相を意識しすぎかな。
こういうのは派手だけど、中身は無難だったりするよね。
ここまで2話放送されてて、近年の行きすぎたマスコミ批判的なのはあまり感じず。
「復讐に燃える女の過去」的なサスペンスにとどまるのかな?
DAIGOや鈴木砂羽さんの伏線めいた演出への期待が過度すぎないといいんだけどね。
まぁ、今の所はざっとこんなんですかね。
まだ面白そうなのはあるんで、機会があれば。
では、こりゃまた失礼いたしました。
寝て起きて寝て起きて、どうなるでしょね
どうもこんばんは。
今日はなんと無駄な休日を過ごしてしまったことか、とこの時間になっていろいろ思う。
まぁ、休日の度に予定があって、どこぞに出掛けて、なんてそんな充実した休日はSNSの中だけの話であって現実にはあるわきゃない。
それにしても、今日はずっと寝てたな。
昨夜、高校の後輩と3時近くまで電話して、と言っても酔った私が一方的に話していただけのような気もするけど、いかんせんへべのれけの中での電話で覚えてない。
起床が11時半。
アプリで「ゴットタン」と「勇者ああああ」を見ながら、一斤まるまる残ったまま賞味期限を迎えようとしている食パンを弔うために、3枚分のフレンチトーストを作って、こんな時にバニラエッセンスとかあったらいいなぁ、なんて考えて食して、いつの間にか寝てた。
起床(2度目)が17時。
18時からバイトだ。
ああ、無駄に過ごしたなと思いながら、夕飯用にナスとキャベツとピーマンとひき肉を味噌で炒めておいて、シャワー浴びてバイトへ。
先月から初めた居酒屋のキッチン。
まだシフトの人数に含まれていないから、気楽にできる。
22時でさっと上がって帰宅。
で、風呂にお湯を入れつつ、夕飯を食べて、今に至る。
ちょいと前から、時間を有効に使うために、一週間分のto do リストを製作することに。
今日は、トランペットの練習に、コンロ周りの掃除をする予定だったのに、結局何もやらずじまい。
長さんも嘆くね、ダメだこりゃ。
来週から、もうちょいとしっかりしよう。
とりあえず、明日からチャリ通勤。
江ノ島まで40分。行けるだろうね。頑張ろう。
それから、トランペットもちょっと本腰入れよう。
欲をいえば、ドラムも練習したい。毎日スティックだけでも握ろう。
こんな日々を送っていてどんな将来が来るだろう。
最近、本当に思う。
会社勤めをしていないからかな。
不安とは違うけど、たまに思うとゾッとする。
ジャズバーの常連さんに前に言われた。
「あんたはきっと人に好かれる星の元に生まれてきたんだね。分かるよ。そんな気がするもん。大丈夫、今何やっててもなんかの糧になるから。」
きっと今一番言われたい言葉だ。
この人のライブが21日にある。
出演を依頼されてるので、張り切ろう。
では、こりゃまた失礼いたしました。
『男ともだち』
どうもこんばんは。
今日はここ最近読んだ本の紹介を。
千早茜 『男ともだち』
最近、見つけて読んでる作家さんです。
ジャケ買いをした『あとかた』に続いて2冊目でした。
今作も期待を裏切られず楽しませていただきました。
男と女の友情は成立するのか、なんていうのはよくあるっちゃあるし、古今東西のテーマだけど、それって友情or恋愛の二つしかみてないけど、実はそんなことはなくて、恋愛に近い友情(異性に限らず、同性の間でも)もあるし、友情に近い恋愛もあるもの。この作品はそこの描かれ方に共感が持てちゃう。
別に肉体関係のあるなしでも、気持ちのあるなしでもない。もっと大切なことがある。
2人の関係は、2人の間に流れる空気は、2人にしか感じ取れないし、共有出来ないもの。
恋人と別れて、不倫相手と別れて、最後に残る男友達に主人公は大きな影響を受けて、でもそれは、主人公が生まれ変わるんではなく、元々の主人公が解放されていく感覚。
それは、男友達が主人公をよく分かっているからで、深い理解がある。
私が中学時代に1年半ぐらい付き合った子との関係を思い出した。
私たちは今でも連絡を取るけど、頻繁にはしないし、会ったりなんて滅多にないけど、それでも、どちらかになんかあると、電話する。必要を感じれば、会う。そういう関係。
お互いの仕事のこと、お互いの恋愛のこと、なんかモヤモヤすることを語り合う。
言わなくても感じてることが分かるし、お互いが一番かけてほしい言葉が分かっている。
変な話、あやつが今お付き合いしてる彼氏さんよりはあやつが分かるし、私が前に付き合っていた彼女よりもあやつの方が私のことを分かっていた。
でも、それこそ流行りの言葉をお借りすれば、男女の一線を越えることはないし、よりが戻るとも思わない。戻したいとも思わない。
あやつが住むとこがなくて、仕方なくうちに置いてた時期があったけど、生活し易いし、下手な気を遣わない分居心地が良かった。
私たちの関係よりも深い理解が主人公と男友達にある。
一見、突拍子のない男友達の行動がいつも主人公に寄り添っていて、主人公を楽にする。
これは相手を深く理解出来ていないと出来ない。
でも、理解が深いことと恋愛感情があることは別で、登場人物の中には「肉体関係を持って幻想の関係を壊してしまえ」という人もいる。
でも、特別でいたいとか、幻想にすがりたいとかというのではなく、一番居心地のいい関係には落ち着いている。
友達でも恋人でもない微妙な関係。
でも、周りはこの空気感を分かってはくれないから、 変な誤解を生まないために「男ともだち」にくくっておく。
でもそれは、決して私たちが普通に思う友達ではない。
実はもっともっと貴重な関係。
男女の関係に新しい考え方を与えてくれる作品でした。
よろしければ、ぜひ。
では、こりゃまた失礼いたしました。