本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

最近の刺激〜イキウメ「獣の柱」「東寺ー 空海と仏像曼荼羅」「そうして私たちはプールに金魚を、」「奥田民生になりたいボーイとであった男を全て狂わせるガール」〜

 

どうもこんにちは。

 

初夏の暑さがもうじき梅雨の雨で和らぐ。それが明ければ、いよいよ夏。初夏の暑さなんてものじゃないくらいの暑さが襲ってくる。おかげでコーラが美味しい。

 

ここ一週間は出かけて、外部から刺激を結構受けた。

国立博物館で企画された「東寺ー空海と仏像曼荼羅」は圧巻だった。東寺の講堂に鎮座している21体の仏像のうち、15体も東京に来るというのはびっくりだ。現地よりも各仏像が間近で見られたの何よりだ。

空海が唐から学んだ密教という抽象的で広大すぎる思索を民衆に広めようとするとき、言葉の力が及ばないことを思う空海は、圧巻的な視覚的な力でその爆発的な世界観を表そうとした。その結果が仏像曼荼羅な訳だ。21体の仏像によって体現された精密な密教の世界観は内容はともかく、存在感が圧倒的であることはうかがい知れる。

民衆にとって言葉の外側を伝え広めようとした空海。言葉というのは不自由なものだ。

 

上野から迷路の王国、渋谷を経由して、その足で三軒茶屋へ。シアタートラムでイキウメの「獣の柱」の当日券を求めて、時間まで劇場近くの喫茶店で、書き出した小説を執筆ながら時間を潰す。700円もするコーヒーが値段ほども美味しいくなくがっかりする。香りもなく、重なりのない味。立地代に400円くらい取られたと思って無理やり納得させる。

 

イキウメの芝居には立地代がかからないらしく、額面通り、いや、それ以上の時間を過ごす。

冒頭の独白での「言葉が思考や感覚を閉じ込める」という文言があとあと効いてくる。SFの世界観のなかに絡み合う人間の多角的な側面が浮き彫りになる。

 

幸福とは何か?増えすぎた人間は誤りか?

こんな簡単な言葉にしかできない。もっと複雑にいろんな要素を鑑みて、考えたいと思うほど、言葉に束縛される。冒頭の言葉どおり、「閉じ込められる」のだ。

終盤、言葉を失った兄と妹が再開した時の名前を伝えようとするやり取りは美しかった。

何がどう美しいのは閉じ込めたくないので、無理に言葉にしない。言葉にせずに感覚だけを伝えたい。そんな媒体はないだろうか。ちょっと星新一っぽい。

 

空海とイキウメと、言葉の不自由さに触れた休日だった。

それでも、私はもう少し言葉に頼りたい。言葉の不自由さの中で私の脳みその型抜きに共感してほしい。そんなことを思った久しぶりの田園都市線だった。

 

イキウメ DVD 獣の柱 まとめ*図書館的人生? 前川知大 浜田信也 安井順平 伊勢佳世 盛隆

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また別の休日。

朝、6時前に目が覚めたのでネルドリップで時間をかけてアイスコーヒーを淹れる。それを飲みながら、映画を続けて2本観る。

「そうして、私たちはプールに金魚を、」と「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」を観る。

どちらも青春色が強いが、方向性が違う。

どんなに足掻いても思春の戦いは終わらない。次第に自分の戦う相手を見失って、大人になる。なんせ相手は幻想だ。それを太宰は「裏切り」と表した。

青春の蜃気楼の中にいると見れなったものを見えてしまうと切ない。

でも、長いこと蜃気楼の中にいる方が人生は豊かだ。しかし、その中は爽やかではないよ。泥臭く、惨めだ。星新一もそう言う。

 

こう言うのを観ると、蜃気楼の中でも、その外でも無いような自分の居場所がわからない。

不安というほども無いが、心持ちが落ち着かない。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。