時間売買、さよなら自由
どうもこんにちは。
今日は昨日と打って変わって暑かったですねぇ…
こういう日はコーラが美味しいんだな…
いい陽気だね。
ここのところ、『あまちゃん』を見返してるんだけど、やっぱりいいドラマですね。
あきちゃん、かわいい。
春子さん、カッコいい。
そして懐かしい。
たった15分だから、
「これで最後にしよう」
とついつい次の回を再生しちゃうと、止まらなくなって15分が30分、30分が45分、あらまもう1時間。
そんなこんなで午前中はだらっと。
Twitterで私に向いてる職業診断みたいのをやってみたら、どうもフリーライターらしい。
あとは劇作家、言語学者、ソングライターらしい。どうでしょう。
劇作家なんかはやってみたいかもな。
ちょっと寸劇書いてみようかしらね。
でも、ジャズ理論も勉強したくて、楽器も練習したくて、サーフィンもやってみたくて、時間って本当に足んないのね。
足んない時間の売買ができたらいいのに。
生きることに絶望した人は自殺するよりも残りの寿命を人に譲渡できたらいいんじゃないかしら。
こういうのは非道徳的だと非難されるのかしらね。
ちょっと今度考えてみよう。今日はそんな気分じゃないかな。
あと、考えてみたいのは、自由なんて存在しないよね、ってこと。
で、ある程度の自由を保障するために倫理を確立させて、それが崩壊してきた現在、新しい発想が必要よね。
これは考えてみたいね。
あと、美味しい唐揚げの作り方。
うーん、なんか考えるのかかったるい。
では、こりゃまた失礼いたしました。
結婚けっこう〜某KBの総選挙〜
どうもこんばんは。
わぁー今日は飲むぞ!朝までだ!
ってつもりだったのに大河ドラマよりも先に終わっちゃって拍子抜け…
なーんだ、じゃあ、駅前のカラオケでトランペットの練習でもしてこよう、と思いながらTwitter開いたら、昨日の総選挙の結婚発表のことが方々で意見されててあーでもない、こーでもないと色んなの読んでちょっと考えましたよ。
アイドルの恋愛禁止
まず、この意味ですよね。
なぜにアイドルは恋愛が禁止なのか。
まあ、特定の人に占有(便宜上この言葉を使いますが、別にそこに深い意味はありません。以下女性をもの扱いするような表現を使いますが、お気を悪くされる方がいたら申し訳ありません。)されている子よりも誰にも縛られない子の方がいいというのはファン心理でわかります。
でも、女優の結婚は「〇〇ロス」程度で済むのに、アイドルだとここまで騒ぎが大きく非難が多いのでしょうね。
アイドルと女優とで何を売っているかの違いですよね。
女優はあくまで役者としての演技力を売り物にしているのに対して、アイドルは歌唱力?容姿?
私はイメージだと思うんですよ。
歌の上手さってのはある程度、多くの人に共有される部分があります。
あんまり好きではないですが(過去の「数字嫌い」をご参照くださいな)、カラオケの機械で採点して数値化すればみんなが同様の認識を共有できますよね。
容姿に関しては、多少人によって好みがありますが、それでもやっぱり共通の認識は得やすいものだと思います。
ミスコンで優勝された人を「この子よりあの子の方が好き」ってことはあっても「この子は全然綺麗じゃない」ということはあんまりないでしょう。
しかし、私がアイドルの売り物にしていると考えるイメージは人によって大きく分かれるんじゃないかと思います。
政治家でもクリーンなイメージの政治家と汚職にまみれてそうな政治家となんとなく分かれますよね。
ことに悪いイメージは共通の認識が一致しても、いいイメージって一致しないことがたまさかありますよね。
一度悪い印象がつくと挽回するのは難しい。そういうことでしょうか。
そうなるとアイドルの売り物ってとても繊細なものを扱ってるんですよね。
ちょっとしたスキャンダルで見なくなるアイドルなんてごまんといますもんね。
そのスキャンダルを逆手に取れる人もいますけどね。ちょうど此度の一位の人ね。
で、今回の結婚発表ね。
うーん、繊細で傷つきやすいイメージをまるでダイヤモンドをメリケンサックをはめながら扱うかのような、粗さだなぁ、という感じが否めませんね。
問題はそこだったんじゃないですかね。
恋愛するにしろ、結婚するにしろ、ちゃんとイメージを丁寧に扱うことが出来ないんじゃねぇって感じですよね。
結婚して幸せになられるのはとてもいいことなんですけどね…
プロのミュージシャンなら商売道具の楽器は丁寧に扱うし、野球選手はグローブの手入れを怠らないし、じゃあ、アイドルならファンに提供しているイメージのメンテナンスが不可欠ですよね。
例えば、握手会なんかもまさにイメージのメンテナンスですよね。
そういう意識の欠如が出たんじゃないでしょうかね。
まぁ、私は今のアイドルに疎いので、大きな声では言えませんけどね。
だってキョンキョンが一番のアイドルなんだもん(笑)
ちょっと酔ってるからこれ以上失言が出る前にね。釧路の湿原なんちゃって。
あーだめだ。
では、こりゃまた失礼いたしました。
すごく雨読
どうもこんにちは。
やっと梅雨って感じですねぇ…
暑い日差しも好きだけど、こういう家に籠りたい気持ちの背中を後押ししてくれる雨もいいもんですねぇ。
まさに晴耕雨読ってやつだ。
最近読んでるのは
窪美澄著『水やりはいつも夜だけど』
戸田山和久『哲学入門』
くらいかなぁ…
私は普段からカバンの中に本を3冊くらいは入れておかないと気が済まない人間で、電車とかカフェとかでパラパラとね。
その時の気分で読みたいものも変わるので、3冊くらいはいるんですね。
私は平均して月10冊は読むかな…
でも、初見ばっかりじゃなくて、読み返したりするのも含むし、短編小説のお気に入りのを一つ二つだけってこともあるしね。だから実質も読書量はもっと少ないかな…
本屋はすごく好きで、だいたいどこの町や駅でも大きな本屋に入っちゃう。
本屋に入るが最後、買わずに出てこれることなんて本当にごくごく稀。必ずなんか手に取っちゃうのよね。
だいたいはジャケ買いで、タイトルだけで選んじゃう。それが面白いとその作家さんの作品をずっと追っかけて探していく。そんなにスタイルが私の選書基準ですね。
最近だと、前述の窪美澄さん。
彼女のは映画にもなった『ふがいない僕は空を見た』が面白くて、見つけてたら手に取るようになっちゃった。最近だと『よるのふくらみ』はすごくよかったな…
この人は今まで書かれてきた数ある古今東西の人間の感情の隙間を縫っている感じ。近しい感情をもっと正確にセパレイトして微妙な違いの間をいく。
その描き方が現代とすごくマッチしていて、もっと青春時代に読んでおきたかった作家さん。
もちろん、今からでもとても楽しませていただいております。
買って数ページ読んだらつまらなかった本もいくらもあります。
でも、作品がつまらないのか、私が世界観について行けていないのか、定かじゃないからね。
「これはつまらない本だ」とは口が裂けても言えないよ。せめて、その作家の全著作を読んでそれでも面白いと感じなければ、「私には合わない」という言い方はできるだろうけどね。
それでいうと『金閣寺』『仮面の告白』を読んで「三島は全然理解できん」と思って悔しいからからの作品は全部読んでやった。そしたら、唯一、『潮騒』という作品だけはすごく好きで、私的傑作に入って、今でも夏に読みたい一冊。
そんな出会い方もあるのね。おもしろい。
つまらなかった本は机の上に積み上げられて、ふとした時に、それはもう1年経ってることもあるし3年経ってることもあるんだけど、読んでみるとあれ、面白いってことになってたりもする。
そんなこんなで、すぐ読まなきゃ義務からの免責がいつの間にか増えていく私の読まれ待機中の本を増やしていくわけだ。
時間とお金とスペースの問題ね。
明日は晴れるかなぁ…
では、こりゃまた失礼いたしました。
大人なコーラ
どうもこんにちは。
今日はバカみたいに暑いね…
日本各地こうなのかしら。
こういう日はだいたいそこかしこで、暑いのと寒いのだったらどっちがいいかって議論が巻き起こってることでしょう。
私も中高生の頃よくやりましたよ。
私の立場は一貫して暑い派なんですね。
理由は至極明快。
だってコーラが美味しいじゃん。
これがビールと言えないところがお子ちゃまなところ。
でも、コカコーラでいいんだ。
私は血がコーラで出来ていると言っても過言ではない量のコーラを毎日摂取していて、その量1.5ℓのペットボトルを週に5本空けるくらい。
将来、絶対糖尿病になるだろうけれど、コーラを飲めないで鬱になるくらいならまだましか、という感じ。
私はコカコーラ中毒者で、その他のペプシだとかメッツだとかは絶対に飲まないの。
赤いコーラのみ。
このコーラ中毒の発症原因と時期については学説が分かれますが、おそらく中学の頃。
我が家では基本的に子供の飲酒ならぬ飲炭酸は禁止されてたのよ。
外で食事した時にたまに食後に炭酸を飲んでよかったくらいなもんで、家にある炭酸という炭酸は全て大人と飲み物だった。
中学生になって自分の小遣いで好きなものが買えるようになると真っ先に買ったのがコーラ。
うちの冷蔵庫に毎日あるのに手が届かなかった赤いコーラ。
それから今までのリミッターが外れて毎日コーラ三昧。
習慣とは恐ろしくいつしか中毒に。
「コーラすごい飲むね」
とは、ずっと言われてきたけど、
「なんでそんなに飲むの?」
なんてことは自分でもずっと考えてこなかったから、先日聞かれた時に、はたと考えちゃった。
いつ始まったかのか定かでないことが、さらっと習慣になり、いつの間にか当たり前になって、私のアイデンティティの一部として私の像を構築する。
コーラ以外にどんなものがさらっとやってきて、私を構築しているのだろう。
何が私を私だとみんなに認識させているのだろう。
ずっと幼い頃の記憶を辿っていくと、もっと私の起源が待ってるような気もするけど、辿っていくすべもなくい。
でも、今、私自身が未来の私の起源であるというのが面白くて、どんな私の起源を未来の私に作ってあげようか。ちょっとわくわく。
好きな子に振り向いて欲しくて、その子が聞いてる深夜ラジオのネタ投稿始めたんだぞ。
たまさか入ったジャズバーで音楽の楽しさを思い出して、再開するんだぞ。
こんなことをいつまで覚えていて、いつ辿ってこれなくなるのだろう。
起源の帰り道を忘れた私は少し切ない気持ちになるだろうか。
こういうのが大人の証拠かい?
だったらビールが飲めるだけが大人の証拠で十分だ。
ふう、暑いね。
コーラ飲んでこよ。
では、こりゃまた失礼いたしました。
ゼリーの発音
どうもこんにちは。
Twitterのトレンドの流れっていうのは数時間おきにコロコロ、コロコロと流れていって面白いトピックだなってちょっと考えているうちにもうすぐ次のトレンドに押し出されてて、絶えずしてって行く川の流れは鴨川なんて比じゃなくてナイアガラみたいなもん。あ、あれは滝か。
関係ないけど、スマホゲームの話題が多くて、あれのことかな?って覗いてみたら、全然違うキャラクターの画像がズラーと下まで続いていて、全くやらない私にしてみりゃ、ナンジャコリャ?ってこともしばしば…
そんな激流を行く川から掴んでみたのが
「ゼリーの発音問題」
ざっと説明すると、定着してきた吉田羊さんと鈴木梨央ちゃんが母娘を演じるポカリスエットのCM「ポカリ、飲まなきゃ」シリーズの新作がことの発端。吉田羊さん、キレイですね、鈴木梨央ちゃん、愛らしいですね。
今回の作品は『なつやすみのジェリー』と題され、母が娘に「ゼリー」の発音を教え込むという内容。
スペルにすると「jelly」だそうで。でましたね、日本人がとらわれる英語発音のるつぼの大御所、「l」「r」問題。
今回はこれがきっかけなんですね。
ポカリスエット ゼリーCM|「なつやすみのジェリー」篇 15秒
英語の発音をなおすシーンっていうのは 桓武天皇が都を平安京に持ってきた頃からある実にオーソドックスな演出ですね。
で、この母が教えてる発音が間違っているぞ!影響力の大きい公共メディアが間違っていいのか!けしからんぞ!
ってTweetが火種となり、賛否両論を方々で好きなこと言ってるわけですよ。
で、これから私も好きなことを言わさせていただこうというわけですが、先に結論だけ言いますね。
何言ってんだ、こいつ。
口が悪いので丁寧に言い直しますね。
何を仰っておられるのでしょうか、この方は。
まず、私が言いたいことは
公共のメディアが間違ったことを言ってはいけない
という主張に対する反駁です。
CMがメディアかどうかも疑わしいのですが、そこまで追求すると面倒な定義の話になりますので、いいでしょう、ここではCMはメディアにしておいてあげましょう。
メディアが間違ったことを言ってはいけない。
では、例えば、auのCMで桃太郎、浦島太郎、金太郎、3人がつるんでますが、あれは間違ってますよね?
おとぎ話の中で三太郎はつるまないぞ!ってなぜ言わないの?
桃太郎とかぐや姫の間には子供がいますよ。これはどうですか?
ちなみに、余談ですが、桃から生まれた父親と竹から生まれた母親から生まれる子はどこから生まれるのか気になってます…
まぁ、いいや。
これはだって演出じゃないか。
そもそも、おとぎ話は作り話だよ。
っていうなら、吉田羊さんと鈴木梨央ちゃんは作り話の中の親子ですよね。
三太郎は明らかな作り話だって分かるけど、ゼリーの発音は間違った方を信じてしまう人もいる。
っていう反論も出るでしょう。
しかし、あのCMはNHKが製作した語学番組じゃないんです。
あのCMが商品の売れ行きに関する影響力は大きけれど、まさか、あれをみて、本当に発音を変える人のなんているでしょうか?
つまり、あのCMが持つ日本人に対する英語発音の影響力は間違った三太郎の関係の認知に対する影響力とさほど変わらないんじゃないでしょうか?
だいたいそんなことを言うなら、CMよりも格段に影響力の強い学校教育はさぞ素晴らしい発音をご鞭撻なさってることでしょうね。
あら、ちょっと嫌味な言い方。
まず、これがメディアが間違ったことを言ってはいけない、に対する反駁です。
次に私が言いたいのは、
CMの演出意図が全く考えられていない
ということです。
先ほどの「メディアは間違ったことを言ってはいけない」にも通ずるところがありますが、英語の発音の間違いを指摘する前にこのCMの演出意図を考えたのか?、ってことです。
母娘が仲良くポカリゼリーを飲んでふざけ合っています。
そのおふざけとして母は娘にもっともらしく、発音を教えて遊んでいます。
これは遊びですよね、明らかに。
母が娘と机を挟んで向かい合い、ノート開いて鉛筆片手にって言うシーンなら真面目さも伝わってきますが、壁に寄りかかって、互いにもたれてって真面目さが微塵もない。
正しい発音を教えるよりも、間違っているかもしれないけど吉田羊さんの想像する英語らしい発音をしてもらった方が、より自然な演技に見えるのでは?という演出意図があったかもしれない?
よくこんな微笑ましいシーンの発音を指摘したな、とすら思えてきます。
それに、これはわざと間違ったことを教えている、と言う解釈もなしではないでしょう。
例えば、この演出家はかねてより、日本人が英語の発音をコンプレックスに思い過ぎてることに対して異議を唱えたかった。
そこで、今回、あえてわざと間違った発音を教えるシーンにすることで「lでもrでも、世界では通じるんだよ」ってことを意味したかった。
って言う私の解釈をありえないと完全否定する根拠は今の所揃ってませんよね。
調子に乗ってもっとひっちゃかな解釈をご披露しましょう。
どうしてこれが英語だと言えるんですか?
先程も言ったようにこのCMは作り話ですよね。
この作り話の中では、母はこの作品の中に存在する英語ではないけど極めて英語に近い架空の言語を扱っており、その言語では正しい発音なのかもしれません。
もしくは、この作り話の中では、英語を話す非英語圏の人が優勢となり、訛った英語がベーシックになっている、と言う設定かもしれません。
今の所この解釈を否定しうる根拠もないので、無理は大アリですが、これも考えられますよね。
こんな無理がなくても、なぜ間違っているのかを少しは考えてみたのでしょうか、彼は。
演出意図を考えることなく、いきなり作品にケチをつける行為は製作者に対して、これ以上ない冒涜ですよ。
私には自分が英語の発音が出来るんだって知識をひけらかしたかっただけにしか思えない。
もっと制作側の意図や思案を考えようと寄添わなければ、作り手側はどんどん受け手に伝わる分かりやすいものに傾倒していって面白いものや奥深いものが創りだされなくなる。
今回のことは些細ですが、私はすごく頭にきました。
語弊を恐れずに大仰に言えば、創作に対するレイプですよ、こんなの。
英語の発音の間違いを指摘したことに対してではなく、作り手側の意図を考えずに間違いを指摘したことに対してですからね、一応ここで改めて言っておきますね。
映画にしても小説にしても芝居、ドラマ、お笑い、音楽、絵画なんでもそうですが、作品が低レベルなのと自分が理解できていないことは別です。
っていうことを、簡単に自分の意見を発信出来るようになった自分への戒めにね、記しておきましょうね。
長々とこんな文章を読んでくださるお暇な方がどこにいるのか…
では、こりゃまた失礼いたしました。
夏の柔肌に…
夏は夜
月の頃はさらなり
教科書で一度は覚えさせられた日本の名文『枕草子』の一節。
書いたのは清少納言さん。
私はこれを読んで、本当に肌の感じ方は人それぞれだな、なんて思ったね。
だって私は夏は明け方だもの。
寝苦しい夏の夜は真っ暗でジメッとした目に見えない膜に巻きつかれてうなされるほどに苦しい。
でも、太陽が昇り切る前のほんの数時間、明け方だけは肌に当たる風がサラリと心地よく、透明度の高い水色の空の広がりに清々しくなる。
一年を通して四季がはっきりしている日本の中でも夏の明け方が一番私の肌に合う。
しかもこの夏は海辺に近くに越してきていつでも海に行けるという贅沢さ。
海を眺めるのも明け方の海が一番心地いい。
深夜の海は空と海との境界線がたゆたっていてずっと先の闇に紛れてぼんやりとしている。
それが日が昇るのと同時に少しずつ姿を現し、その線を沿うように点のように小さな漁船がゆったり行く。
幻想的でない生活感のある風景が安心する。
一番好きな夏の明け方に、一番好きな明け方の海に行く。
それでこの先の生き方を考えたいな。
そのためにあてもない引越しをしたんだからね。
なんか面白いことがしたいという漠然としたものだけがある子供で、でも、それを求めるだけで生きていくのは難しいなんてことは分かるくらいには大人な中途半端さ。
周りのみんなはどうやって折り合いをつけているんだろう。
こういう夜は私は太宰を読むのよ。
彼の作品は意外とシニカルな笑いがあってユーモラスなんだよね。
私は『トカトントン』という作品がオススメです。
ところで、このタイトルの「柔肌」なんて一体どこに出てきたんだ(笑)
では、これまた失礼いたしました。
久々のスピードスターからの番組終了危機まで追いやるど下ネタ〜アルコ&ピースのD.C.GARAGEと爆笑問題カーボーイ〜
どうもこんばんは。いや、おはように近いのか?
今週は2ヶ月に一回、ラジオのお祭りスペシャルウィーク!
深夜とはいえ、これを生で聞かないわけにはいかないね。
私は
が火曜日のお気に入り。
どちらも最高の番組で今夜も深夜にも関わらず声出して笑っちゃうほど。
ご近所さん、ごめんなさい。今週だけは許して!!
アルコ&ピースのD.C.GARAGE
アルピーはもともとニッポン放送でANNを二部→一部→二部と昇格、降格を経て3年も担当した伝説的二人組。
生放送の強みを存分に活かして、めっちゃリスナー参加型ラジオで最終回には出待ちが300人を超えた大人気番組。惜しまれながらも(実際に私も終わった次の木曜深夜は「あ、もう聞けないのか」と切なかった)2015年3月に終了。
2016年10月にTBSラジオで復活。ただ、1時間の尺で録音とANN時代ほどめっちゃリスナー参加型ではなくなるものの、録音にリスナーを巻き込んだ番組でTBSでも大人気の地位を保持。
そんなアルピーのANN時代の名物といえばスペシャルウィークに必ずといいほどやっていたスピードスター。
普段のアドレスとは違う専用アドレスをわざわざ作ってテーマメールを募集。完全に内容ではなく、一番早く送信してきたリスナーが採用されるという前代未聞のリスナーの巻き込み方。
ここで問題になるのが、radikoの時差。ラジオ勢とradiko勢で熾烈な争いが繰り広げられるのもリスナーの楽しみの一つ。
過去のどんなラジオのコーナーにもない、アルピーが番組の展開の全てをリスナーからのテーマメールに委ねる完全なる信頼とそれに答えるサイコパスを極めるリスナーとが作る最高傑作がこのスピードスター。
今夜、TBSラジオの生放送でスピードスターが復活!
もうファンとしては感涙の極み。
ただ、TBSでは専用アドレスを作るまでは出来なかったようで、CMにいく直前で「件名はカタカナでイノシシで」と件名の変更。
それまでの件名「ブレイク」で送信してしまっていた私は、急いでコピペして「イノシシ」で再送信。
ちなみにこの時のテーマは「ジャンケンで3回連続で後出しされた面白くない空気(アイス)を打破(ブレイク)する方法」を募集するもの。
そして、採用されたのが、
スイカ食う!
というもの。
なんじゃそりゃってサイコ感。もう腹を抱えて笑っちゃうよ。
そしてその後25:00からは
爆笑問題カーボーイ
もうね、言わず知れた実力派大御所漫才師、爆笑問題が20年続ける番組。
フリートークの安定感は当然のこと、テレビの裏側やテレビじゃ語らない太田さんの深い話、最近幸せ続きの田中さんの私生活など楽しい話に合わせて、往年の常連リスナーから送られるネタはハズレなしのお墨付き。どこを取っても間違いなしのロングランラジオ。
普段は録音の番組がスペシャルウィークの今日は生放送。
ゲストにシンガーソングライターのIKURAちゃんと相席スタートの山崎ケイさんを迎えて「IKURAちゃんの格言」を送る。
いや待ち、大切なレイティング回にIKURAちゃんってサザエさんかよ。誰だよ。
って私世代なんかは思っちゃうんですが、太田さん世代は懐かしいみたいですね。
80年代終わりにTBSで人気だった番組「土曜深夜族 とんがり編」ってのに出てたらしいの。探してみたけど、当時の映像は見つからず。残念ね。
とにかく彼は下ネタがひどいのなんの。とてもここじゃ書けないようなことを公共の電波を使って言っちゃうんだもん。
それを格言にしてるらしい。ギリギリここでもいけるだろう一例を挙げると
- 自然をなめると命を落とすが自然になめると命が宿る
- いいところとチ◯コは伸ばしたほうがいい
などなど。
この辺はまだ可愛い方でリスナーが送るものはもっとえげつないものまであって大人の悪ふざけ感満載。
リミッターが外れた太田さんはまさに糸が切れた凧のように暴れまわって調子に乗ってIKURAちゃんに同調。それを止める田中さんのツッコミと本当に漫才そのもの。
CM前に一瞬冷静になった太田さんが一言。
「これ、今週で終わっちゃうんじゃないか」
50歳を過ぎたいい大人があんなに悪ふざけが出来るってかっこいいんだよね。
あんなにはしゃいでる大人いないもんね。23歳になる私だってあんなにはしゃげないのに、どこにあんな怒涛の体力の源泉があるんだろうね。素晴らしい。
私もあんな風に初心を忘れないというか、童心を手放したくないとか、まぁ、バカでいたね。
成長を微塵も感じさせないバカなまま生きいたな。
やっぱりラジオは最高だ!
聞く習慣がないって方は騙されたと思って一回でいいから、上の二つの番組聞いてみてほしいのよ。
1時間ないし3時間だけ耳を貸してみてほしいの。きっと後悔させないよ。
最近はradikoってアプリのタイムフリー機能で1週間以内なら聞けますんでよかったらぜひ!
ああ、いい夜だ!
最高に笑った夜だ!
では、こりゃまた(いつにないテンションの高さで)失礼いたしました。