本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

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茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

私の好きなもの100のルーツ #1「サザンオールスターズ」

 

どうもこんにちは。

 

今年は何か一貫したテーマを設けて書きたいと思う。そこで少しだけ考えて、思いついたのが、私が気付いたら好きだったもの、今当たり前のように好きだと公言しているものが、いつから、どうして好きだったのか思い出してみようと。どうせならキリがいいから100個くらい。

そういうわけで「私の好きなもの100のルーツ」と銘打って、100の私が好きなものとの思い出に浸る時間を巡ってみたい。

 

さて、私が好きなものを語るなら、やっぱり第一回は「サザンオールスターズ」しかない。どう考えたってサザンしかない。誰が何と言おうと。

 

大人になってから聞く音楽に与える影響で、一番大きいのは、こどもの頃、車の中で聞いた親の趣味だと思う。

それでいうと、我が家は、母親が英語の通訳をやっていたこともあってか、常に英会話教材の参考音源が流れていた。こんなところに影響されていたのだとしたら、今頃はカーペンターズビートルズか、中学の英語の授業で歌わせられそうな音楽を聴いているに違いない。

私の音楽趣味に大きな影響を及ぼしたのは、中学の頃の部活の同級生たちに違いない。

 

今もサザンを聞くと思い出す原風景がある。

 

夕方、といってももう夜に近くてあたりは薄暗い。相模大野に向かう大きな通りから路地を一本入った先にある小さな公園は「松が枝公園」と呼んでいたと思う。

吹奏楽部の部員が数人、ブランコに乗ったり、ベンチに座ったり、風変わりな形をした滑り台に跨ったりして、話し込んでいる。

指揮者への愚痴、当時裏で隠れて(と言っても周りはみんな知っていたが、面白がって知らないフリして泳がせていた)付き合っていた部長と副部長への悪口、塾に行きたくない、そんな他愛もないことばかりを飽きずに土日の練習が終わるとまっすぐ家に帰らず、公園に自然に集まってはダラダラと話していた。

陽が落ちて、外灯が灯り出す頃、誰が解散をいうわけでもないのに、バラバラの方向に家路に着く。また次の日、7時の朝練で顔合わすのだから、名残惜しくも何ともない。

この時間が、私はすごく好きだった。

 

松が枝公園で、トロンボーンを吹いていた男の子が、学校への持ち込みが校則で禁止されていたiPodを使って流していたのが、サザンオールスターズだった。

サビになるとCMやテレビで聞いたことある曲がずっと流れていた。ちょっと年配の、でも高い声がキレイなおじさんが流れていた。

 

土日の練習がたまに休みになると、午後からみんなで最寄駅界隈で一番安いカラオケに集まった。

みんなが初めに歌うのは当時はやっていたポップスだった。

私とトロンボーンの男の子、打楽器の男の子との三人で、それぞれ配役を決めて矢島美容室を歌ったりしたことがうっすらと思い出される。大したものに抑圧された生活を送っているわけでもない中学生が、何かに解放されたかのようにここぞとばかりに騒いでいた。

それでも、どこかでみんなが飽きてきた空気が部屋中に蔓延して、ドリンクバーに行くのも面倒になって、氷の溶けたグラスをズズッとストローですする音とDAMチャンネルのインタビューの声とで、何とか沈黙だけは避けているみたいな時間が生まれる。

 

そんな時に、思い出したように入る曲が決まってサザンだった。

いつのまにか体に馴染んだメロディ。改めて画面に映る歌詞を見て、その内容の卑猥さに驚いたり、切なさを歌う詞に感傷的になったりした。

時間終了の電話が受付方コールする頃には、みんなサザンが歌い足りなくて、決まって延長した。そして、だれていた時間を毎回、後悔する。

 

私たちが所属していた吹奏楽部は、私たちの学校の中では割と精力的に活動していた方の部活で、顧問も熱心な人だったので、楽な部活とは言えなかった。夏のコンクール前や人前で演奏する直前は根を詰めて合奏したし、部員の集中力も高かった。それゆえに、時に息苦しいような雰囲気が部内に漂うこともあった。

そういう日は、いつもより長く公園にいた。いつもより長くサザンを聞いていた。

今には無いような一生懸命な時間だったな、と感心してしまう今の私。

 

サザンを聞くと、今もあの頃の若さ、というほど今の私も歳をとったわけじゃないが、を思い出す。あの頃から今現在の出来事まで、何かある度にそこには必ずテーマ曲のようにサザンの曲が流れる。

 

この頃、ちょうど付き合っていた人がいた。

中学生が付き合うというくらいだから、一緒に帰ったり、放課後に会ったりするくらいだった。どこかに出かける度に妹を連れてきていたのは鮮明に覚えている。多分、2人きりを照れていたんだろうと思う。

3年生の秋口に理由も言わずに一方的に振られる形で別れることになった。小さなメモ紙に「ごめんなさい」って丸っこい文字で書いてあった字体まで、くだらないようだけど、覚えている。

急いで、松が枝公園まで自転車を走らせた。いつものようにみんながいるのを見て、私は今、自分が悲しいんだってことに気付いて、思いがけず涙が溢れた。

みんながキョトンとする中で、1人、ホルンを吹いていた察しの良い男の子が「別離したんだな」って賑わう周りを制した。

サザンの比較的新しいアルバムの「キラーストリート」の中に「別離(わかれ)」という曲があった。ちょっとマイナーな曲で、この失恋があるまで私もそんな聞いてこなかった曲だった。どうしてだか、彼はこの曲に掛けたような言い方をした。

それから、一生懸命、毎日何度もこの曲を聞いた。この曲を聞いているわずかな時間だけは、大好きな桑田さんが私の失恋の為だけに憂いて歌ってくれている時間だと、不思議と悲しみを少しだけ癒してくれたからだ。

 

この曲を聞くと、いつもあの日の松が枝公園に戻る。

今、これを書きながら久しぶりに聞いてみた。詞を読んでみた。

 

涙とめどなく溢れくる
ひとりすずかけの並木路
君と幸福になると信じてた
愛の灯火が嗚呼 消えてゆく Hum…

 

まるでどしゃ降りの雨のように
身も心もすべてずぶ濡れさ
あの日去り際に僕の手を撫でて
「ちゃんと食べてる?」と 嗚呼 囁いた Hum…

 

悲しい恋の終わりは
予期せぬ運命(さだめ)のReincarnation
もうこれ以上辛い仕打ちはやめて Oh, so sad.
儚い命捧げた
彼女に最後の Celebration
嗚呼 身体中が弾けて散り
闇に溶けてく

 

君は白い花に埋もれて
微笑むように瞳を閉じていた
こんなお別れは淋し過ぎるけど
君の横顔は 嗚呼 綺麗だなぁ Hum…

 

優しい愛の言葉に
すべて身を任せ Sweet surrender
終わりなき夏に燃え尽きたのは人生さ

 

互いに指をからめて
交わす口づけは Warm and tender
もう帰らないあの日のまま
時間(とき)を止めたよ

 

(セリフ)
涙とめどなく溢れくる
ひとりすずかけの並木路
まるでどしゃ降りの雨のように
身も心もすべてずぶ濡れさ

 

夢の中で出逢えたら
忘れがたきはその胸に抱かれ何を語ろう
永遠(とわ)の愛しい乙女

 

悲しい恋の終わりは
予期せぬ運命(さだめ)のReincarnation
もうこれ以上辛い仕打ちはやめて Oh, so sad.
儚い命捧げた
彼女に最後の Celebration
嗚呼 身体中が弾けて散り
闇に溶けてく

 

今よく読み返してみると、別れてしまった女性はその後、亡くなっているように解釈できる。

中学生の淡い失恋を癒すにはかなりヘビーな内容だった。

 

それでも、あの頃の私は「涙とめどなく溢れ」きていたし、「愛の灯火が消えて」いったし、「身体中が弾けて散り、闇に溶けて」行くようだったのは確かなのだ。

 

高校生になってから2年くらい付き合った人との初めての会話もサザンだった。

今思えばすごい負けず嫌いな人だった。

 

吹奏楽部に入りたくて、受験した高校では、迷うことなく当然、吹奏楽部に入部する。

4月の入部したての頃、パートが決まるまで、定期演奏会に向けての事務作業をすることになっていた私たち一年生。

確か、パンフレットに掲載されていた協賛の広告を訂正するシール貼りをしていた時だった思う。もしくは、アンケートで配布する鉛筆にクリップをつける作業をしていた。

いくつかの机を向かい合わせて、黙々と作業していた。

 

何かのきっかけで、私たちは好きな曲の話を雑談がてらしていた。私はもちろん、サザンが好きだということを 自信を持って明言した。

すると、端の方に座っていた女の子が、「私もサザン好き」と食いついてきた。

私が「何が好きなの?」と聞くと、その子は「『Mr.ブラック・ジャック』って知ってる?」と自信満々にちょっと挑発的にすら思える語尾の上げ方で聞いてきた。

私は内心、こいつ嫌なやつだなと思った。というのも、サザンの中でもマイナー中のマイナーで、ファンでも歌える人は少ないだろう曲を上げてきたのだ。こうなると、私の中の嫌なやつも顔を出して、対抗したくなる。

「あー『キラーストリート』のディスク2のトラック6だ」とアルバム名だけでなく、2枚組のうちのどちらのディスクか、また何番目かまで、私は言い当てた。

向こうは、私のちょっと聞くなんて程度では無い、結構ガチなサザン好きを確認して、少し悔しそうに、「そうそう、あの曲いいよね」と話を終わらせた。

それ以来、私は、その子の中で、アルバムの順番まで熟知したサザンファンということになり、交際が始まってから、サザンに関して私に挑発してくることはなかった。

 

白状すれば、私はこの曲を当然知ってはいたが、そんなに聞いてこなかった。まして、キラーストリートに入ってる曲くらいにしか認識していなかった。

ただ、前述の「別離」の2曲先がこの曲だったので、私は何とか思い出せたのだ。

そのことは交際が始まってからは、おろか、つゆぞ彼女に話すことはなかった。

 

よくも10年も昔のことをこんなに覚えている。

久しぶりに「Mr.ブラック・ジャック」を聞いてみると、長かったようで、あっという間だった高校生の頃が蘇る。

やはりあの頃も一生懸命だったのだ。

一生懸命に部活をしていたし、一生懸命に恋愛もしていたと思う。

今、手を抜いているわけでは無いが、あの頃の一生懸命さとはベクトルがどこか違う。前に進んでいるようで、そうやってもがいているようで、実はずっと同じところにいたんだって、今になってわかるような気がする。

 

私の人生に起こる出来事には必ずBGMにサザンや桑田さんが流れる。

 

自分が何をしているのか、わからなくなることがあった。何がしたくて、どこに行こうとしているのか。

そんな時期によく、高校の同級生と深夜にカラオケに行った。そいつは今、八王子にいるので、回数はめっきり減ったが、たまに相模線の端から端まで遥々と行くことがある。

 

あの時間は何かを解決して、どうやって抱えているものを解き放とうかと思案する時間だったのでは無い。ただ、どうしようもない不安を騒いで忘れてしまいたいだけの時間だったのだと思う。

その後、眠さと気怠さと枯れた声と一緒に、6時からチェーンのカフェで働いていた。体力的にも恐ろしく若かった。

 

どちらからそう決めたわけでもないが、3時を回る頃になると、サザンと桑田さんしか歌わなくなった。

毎度、涙が出そうになるようなバラードも、悪ふざけで作ったようなエロい曲も、何でもよかった。

最後の方には必ず『Bye  Bye  My  Love』を歌うのだ。もはやマイクも使わずに、張り裂けそうな程の目一杯の声で叫ぶように歌った。

私はこの曲が好きだが、そいつと叫びながら歌うこの曲が一番好きだ。どうしてそいつがサザンを知っていたのかはよく考えればわからない。カラオケに行くようになった頃から、ずっと歌っていた。

 

私の中で『Bye  Bye  My  Love』という曲は、20代の頭の私とそいつのテーマ曲のような愛着がある。

何を血迷ったのか、私もそいつも、同じような時期に大学を辞めて、同じような時期に実家を出ている。

お互いに今も10年後はおろか、5年後くらい先のことすら、未定にしている。何かあれば、その時に悩んめばいいと思っているのだ。何かに耐え難いものに襲われた時は、深夜に叫びながら、私たちのテーマ曲を歌えばいいのだ。そうすれば、いつのまにか、どうにかなっているものだ。

 

サザンが好きで、なんで好きになったか、思い当たる節を手帳に書き連ねたら、結構な量のエピソードが出てきて驚いた。

本当はもう2、3くらい書きたいものがあったのだが、もうすでにそこそこの量書いてしまった。

書くほうも疲れたが、読む方はもっとお疲れのことでしょう。

 

なんか書いてて楽しかった。

 

では、こりゃまた失礼いたいしました。