本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

ダウ90000第3回本公演「ずっと正月」

 

どうもこんにちは。

 

5年後のバカリズムを見つけたと思った。

もうすぐ連ドラの脚本を書いたり、映画を撮ったりするんだろうと思ってワクワクした。

 

少し前のこと。

Mー1の予選動画のサムネイルに色物的なものを見つけた。

一人の男性を四人の女性が囲んでいるのだ。

 

パッとみて、あーこういう突飛さだけの人たちって毎年いるよな、と思いながら、ネタを見始めた。

ただ、わちゃわちゃしているだけの女性四人を一人の男性がツッコんでいくのかな、と思ってみていたら、これが見事な構成で驚いた。

センスのあるワードでわちゃわちゃをツッコみ、上手いこと四人の交通整備がされていく。結構なわちゃわちゃなのに、すっきりしている。

しかも、そのわちゃわちゃが後半のコント部分にしっかり効いている。わちゃわちゃの中の小さいくすぐりまでもが、しっかりと後半のコントで回収されていて、最後まで心地いい緊張感のあるネタだった。

突飛さだけの色物のようで、しっかりと作り込まれたネタ、そして、女子特有のわちゃわちゃを、あるあるネタの域を超えたリアリティで見せる四人の女性陣の演技力。その両方が相乗的にネタのクオリティを高めていた。こりゃすごいのがいるな、と思った。

彼らは「ダウ90000」と名乗っていた。

ダウ90000 漫才(M 1 2021 準々決勝ネタ) - YouTube

 

これは面白い人たちを見つけたな、まださほど知られていないし、青田買いかしら、なんて思っていたら、すぐにTBSラジオの月替わりパーソナリティを務めていた。

それでもそんなに露出が多いわけではなかった。

 

しばらくYouTubeでネタを観あさっていると、本公演と銘打った彼らの芝居が新宿で幕を開けるとのこと。

当日券を目当てに、ダメなら映画でも観て帰って来ればいいか、程度の気持ちでシアタートップスに赴いた。

 

当日、並んでみると当日券の抽選待ち一番乗りだった。受付をするスタッフさんたちの、こいつ気合い入ってんな、って目線(まぁ、被害妄想でしょうね)を尻目に一昨日の「東京ポッド許可局」を聴きながら、井上ひさしさんの「十二人の手紙 (中公文庫)」を再読していた。

その直前に、宿野かほるさんの「ルビンの壺が割れた(新潮文庫)」を読了したばかりで、この作品がフェイスブックのダイレクトメールのやりとりだけで展開される現代版の書簡体小説だった。久しぶりに書簡体小説を読んだので、この手の傑作をもう一度読みたくて、書斎の本棚から探してきたものだった。

 

閑話休題

 

当日券をゲットしてから、開演まで、新宿に行く際に必ず立ち寄るジャズ喫茶「DUG」でコーヒーを飲む。期待が溢れる舞台を目前にしていたせいか、この日流れていた曲は荒々しいナンバーが多かったような気がする。

 

新宿角座から本多グループのシアタートップスになってから初めてのこの箱だった。

一番前の席に座って、ポップな客入れBGMを聞きながら、それはそれはワクワクしていた。

 

観終わってから、これは5年後のバカリズムを見つけたと思った。

もうすぐ連ドラの脚本を書いたり、映画を撮ったりするんだろうと思ってワクワクした。

 

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ワードセンスの面白いと、状況設定面白いとが組み合わされたハイブリッドな畳み掛け、それがテンポ良く展開されて、終始笑っていられる。

しかもその展開のさせ方にも、パワーワードをこぎみよく重ねたり、膨らませたり、溜めて溜めて一発で爆発させたりと、色んなやり口を披露してくる。

 

これでかなり面白い。

だが、これが続くのだと、演劇というよりはシーンごとに連作コントを見せられてる感じがして、ダレてくるなぁ、と思っていたら、ちゃんとそれを大きくひっくり返す演劇的な展開も用意されていて、そこから先は各々八人の演技力をありありと見せつけてくる始末。

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本もすごいが役者もすごい。

 

本公演が駅前劇場、スズナリ、そして、本多劇場となるのも時間の問題だ。

そうなれば、易々とチケットの取れる人たちじゃなくなるだろう。

これは本当に知名度があがる前に、今のうちだ。我が物顔でみんな教えて回ろうと思っていた。しかし、その帰り、早速、前作が岸田戯曲賞の候補作になっていた。

世に出るのが早い、早すぎる。

これでは私が青田買いを楽しむ暇もない。

 

とはいえ、白水社から発表された候補作の戯曲も読みものとして、とても面白かったのだから、仕方がない。電車で吹いてしまった。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

残さなくなったとて…

 

どうもこんにちは。

 

人と一緒に暮らすようになってから、Twitterもこのブログも手帳へのメモもめっきり減ってしまったような気がする。

留めておいて、後で深めてみようと言うよりも、すぐ隣にいる人にさっと話してしまった方が手軽に言語化出来るから、深める必要もないし、手軽だ。そういう手段をとっているのかもしれない。

無駄話に消費された私の小さな思索種は食卓の適当な相槌に流されてしまう。

 

それではよくないな、と帰りの電車でここに文章として書き残しておくも、書ききれないので、下書きへ下る。

吹けば消えるような小さな火種故、次に下書きを開くときには何について書こうとしていたのか、思い出せない。わからないのに無理やり話を深めてみても、書いた私でさえもなんだか分からない文章しか残っていない。

 

これを書いている今、もう鶴間駅に着いてしまった次の駅で降りなくては。

電車を降りて、改札を抜ける前にこの文章も下書きは行くのだろう。

そうすると、私が今感じている危機感を次に開いた時には思い出せない。

思い出せない危機感を無理やりこじつけ文字だけ重ねてみたところで、何になるわけでもない。

 

とりあえず、今日のところは、最近、何かを考えたり書いたりしなくなったな、という危機感が芽生えてきたことだけを残せれば、まずまずだろう。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

400字の文句

 

どうもこんにちは。

 

東京ポッド許可局の企画のために400字の無風コラムを帰りの電車で2本書いてみる。

意外に400字でものを書くのは難しい。

要らないかぁ、という4、5文字の形容詞なんかを省いていくと、なんとも素っ気ない文章になってしまう。言いたいことの事実だけが残って、のっぺらぼうだ。

ちなみにここまでで、128字らしい。もう1/4を超えている。

 

近く、セロニアスモンクのドキュメンタリー映画を見にいくことになった。

モンクといえば、言わずと知れたジャズピアニストだが、そんなに意識をして聞いたことがなかった。

いい機会だし、少し勉強してみようと思い、サブスクでモンクのアルバムを数枚聞いてみる。なるほど、確かに、面白い。茅ヶ崎のジャズバーに通ってドラムを叩いていた頃、モンクのスタンダードナンバーをいくらか叩いたこともあったが、自分のことに必死で、こんなに面白い曲であることを知らなかった。

もう少し調べてみると、なんと私が大好きなサックス奏者のチャーリーパーカーとトランペット奏者のディジーガレスピーの名アルバム「バード・アンド・ディズ +3(限定盤)(UHQ-CD)」でピアノ弾いてるのがモンクだった。

これは嬉しい。これを再生させる。溌剌としたトランペットに、鮮やかなサックス。思わず、指が机を叩きつける。次のおすすめにはバードのアルバム、ディズのアルバムが表示される。数珠繋ぎでバードを聴いていると、いつのまにか、モンクそっちのけになってしまっていた。

一応、何か書籍をとも思って、「セロニアス・モンク: モダン・ジャズの高僧 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)」も買っておく。

パッと開いて見たページのコラムのクレジットが「古今亭志ん朝」になっていて驚いた。一体、いつの出版なのか。どうも再掲らしい。

モンクは志ん生だという。分かるようなわからないような。

中でもモンクが彼の音楽を通して、全体主義へどう抗ったのか、という文章が面白かった。

ジャズが教養なぞと思っている人がいるが、とんでもない。

ジャズにしろ、ブルースにしろ、その時代のその人たちの血の滲むような経験がなぞられているのだ。それがどうして、教養なんて高飛車な言葉で片付けられよう。

そんな文章を読んだ後に聞き返す「ブリリアント・コーナーズ(SHM-CD)」。

このアルバムにも間違いなく、モンクの血の滲むような思いがこもっている。教養のために、自分の博識をひけらかすために、聴いている人間にはこれがどんなにいいアルバムか、本当のところはいつまで経っても分からないだろう。

 

何しろ、越してきてから、まだ落ち着く喫茶店が見つかっていない。

困ったのときのタリーズに駆け込んでみるも、自転車で10分くらいのところにある、2件のタリーズはどちらもしっくりこない。

しょうがないので、コメダ珈琲に入ってみる。まだ、他の2件のタリーズよりは幾分マシだ。ただ、周りのお喋りが大きい。

こういうことは失敗してもいいので、口コミを見て、決めないことにしている。最寄り駅近くの喫茶店にいくらか入ってみたが、こちらもあまりしっくりこない。

近所に早く落ち着いて本を読んだり、ものを書いたりできる喫茶店が欲しい。

いくらなんでもそのために茅ヶ崎までは行けないな。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

2022年 年頭言

 

どうも、あけましておめでとうございます。

 

って言っても街はもうバレンタインに傾いている。遅ればせながらもいいところ。

 

昨年末に環境が大きく変わって、年の瀬にようやっと慣れてきたようなところでした。

海から歩いて3分の茅ヶ崎は、ゴミの分別にやかまし大和市の住宅地へ。海岸沿いを自転車で走る通勤は、40分揺られる小田急通勤に。

味気がなくなったようにも思えるが、それでも、仕事帰りにご飯を食べて帰るのか気にかけてくれる人がいる生活を得る代償としては、ちっとも惜しくないような気もする。

変わっていく環境の中で、自分のやりたいことがまだあるのか。いよいよ問い詰めないと。

 

さて、今年はどんな年にしようか。

「しよう」という言い方、あたかも私の思い通りの一年になるかなような言い方だ。驕ってる。久しからず。

 

やるかやるのかわからないけど、その気になったものは声を大きくして周りに伝えた方がいい、と改めて学習した昨年だった。

自転車屋さんでギター買った話をしたら、そのまま自転車屋さんが先生になってくれたり、間借りでカフェをやっている人にコーヒー好きな話をしたら、私が焙煎したコーヒー豆を買ってもらえたり、と話してみるもんだと、転がることを経験した。

この前もなんの気無しにアルバイトの子に仏像を掘ってみたい、という話をしたら、おじいちゃんがやっているという。話を聞いてもらと、もう高齢でやっていないそうなので、道具から一式譲ってくれて、先生も紹介してもらえるという。やっぱり話してみるもんだ。

ラジオをやりたいという話をしていたら、どうしてこの子は放送局に勤めてないのかしら、ってくらい面白い子からラジオをやりましょうと言ってもらえて、企画が進んでいく。やっぱり話してみるもんだ。

 

別の人の影響でここのところ経済学についても興味が出てきた。

というよりも、今まで経済学がわたしの興味範囲の蚊帳の外に居たのに、彼と話をしている間に、わたしの興味範疇とどんどん繋がってくるのだ。どうも別物だと思っていたことが、経済学を学ぶ事で理解に繋がりそうだ。こうなると、勉強したいという思いが強くなる。早速いくつか小難しい本を買って読んでみる。

 

仕事とも直結しない、いくらになるわけでもない、こんな生産性のない勉強をいつまでやるのか。そんな趣旨の質問をよくされる。

何になりたいわけでも、何かをやりたいわけでもないと思う。ただ、自分がそれに変わっていくことに満たされているのだろう。

 

そういうことがまだまだたくさんある。わたしの知らない世界が恐ろしくたくさんある。

しかし、動くことが億劫になってきているのも感じている。自分が変わるのを面白がっている一方で、変わること自体が面倒でもあるのだ。どうしようか。つまり、誰に強制されるわけでもない変化なのだから、する必要もないのだ。もちろん、変化を怠ったからと言って、テメェ、この野郎、怠けてやがんな、と声を荒げる人もいない。じゃあ、しなきゃいいかというと、それはそれで、変化を楽しむ自分の中でフラストレーションが起こる。知りたいこと、やりたいことがまだまだあるじゃないか、好奇心が満たされないよ、と胸のうちから突き動かされる。

 

非常にややこしい二人の自分を抱えてしまっているものだ。

で、先の「どうしようか」はこの二人にどうやって折り合いをつけていこうか、という「どうしようか」だったわけだ。

 

そんなことをこれを読んでいる人に聞かれたって、知るわけもない。そんなことを私と一緒に考えるくらいなら、考えたほうがいいことは生きてれば、山ほどある。

 

今年はそんなことをぼちぼち考えようかと思う。

というよりも、結局、この一年、私が変わっていってみるのか、みないのか、過ごしていれば、自然と、あぁそういうことだったのね、と答えになっているもんでもありそうだ。

やりたいと思えばやるし、今日はやめだよってなればやらない、それで一年過ごして、どれだけやって、どれだけやらなかったのか、その結果私はどうれくらい今と変わってみたのか、その比率というか幅というか、それが「どうしようか」問答の答えなんじゃないだろうか。

 

今年はそういうつもりで色々やってみますよ。

例年に比べて消極的な年頭言な気もしますが、当人の私がそういうんだから、そういうことなんですよ。

いいね、それで今年は。そう言うこった。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

 

茅ヶ崎に背を向けて

 

どうもこんにちは。

 

この5年間を夢だったと思おう。

それは私が茅ヶ崎を離れる時と決めた時にまず思ったことだ。

さがみっぱらで生まれ育った私が、海から歩いて3分の潮風香る(厳密に潮風を感じたことはない)茅ヶ崎の海辺で生活をするなんて、夢だったのだ。これから、今のいままで、私の人生で迎えるとも思わなかった大和市民生活が始まる。

 

茅ヶ崎に越してきたのは、若さゆえの気まぐれと迂闊さのせいだった。

 

南海キャンディーズの山ちゃんの笑い声が響く水曜深夜。私は居候をしていた祖父母の家から出て、一人暮らしをすることを思い立った。なんと検索して部屋を探していいのか分からなかったので、「江ノ島 一人暮らし アパート」と入力する。中で2LDKで月3万円、しかも駅から徒歩3分という物件を見つけた。

空が白んできた頃、コンビニで夜勤のシフトを終えようとしていた友人を捕まえて、ガストの朝食へ直行した。引っ越しをしようと思う旨、それが江ノ島であることを話してみる。私の思いつきを彼は全部面白がって、肯定した。

所詮、他人の人生になんの責任もない。だから、互いが互いの人生を無責任に面白がることができる。奴は大層、面白がった。

10時になって、不動産屋が開店すると同時に、電話をして、当日のうちに内見の予約を取り付けた。

 

藤沢駅の不動産屋へ行くと、私と同い年くらいの男性が、適当に生きている私とは正反対のスーツに袖を通して立っている。営業マンの挨拶をしてくる。朝の電話の件を伝えると、すぐに話が通じたようで、席に案内される。緊張と4月下旬の暖かさのせいで、涼しげなグラスに氷を張った、夏によく合う麦茶が喉をながる頃には、その晩春の季節外れ感は薄らいでいく。

私が江ノ島で見つけた部屋と同じような条件の部屋を辻堂と茅ヶ崎にもそれぞれ2軒づつ見繕ってくれていた。さすがはスーツだけの仕事はこなしている。

 

結局、江ノ島は両脇の高い建物に日光を奪われていて、とても人間の住むところではない、もやし工場だと言うことになって却下。辻堂と茅ヶ崎を見てまわって、茅ヶ崎に落ち着いた。気がついた時には、私は当初の予定のおよそ倍の5万7千円、ロフト付き、バストイレ別、独立洗面所あり、南向き、二階角部屋、海まで3分の部屋にサインをしていた。引っ越しを決めてから、15時間後のことだった。

 

居候先の祖父母には帰ってからの事後報告だった。

軽トラックの手配、必要最低限の家具の購入、どれも意外にスムーズだった。こういう段取りを効率よくこなすのは不得手ではないらしかった。

 

こうして夢の5年間の茅ヶ崎生活を始めた。

 

この5年間、私はどんどん真人間になっていった。社会人になって、月給をもらって、生命保険に入って、家にウォーターサーバーを置いて、車を買って、免許を取って、どんどん普通の生活を送るようになっている。

それは生活が安定していることも悪ふざけから遠ざかってしまったことも孕んでいる。

いいのか、わるいのか。

つまらないような気もするし、それが大人になるということで当たり前のような気もする。

この退屈さに耐えられないような気もするし、若かった頃へのノスタルジーに酔ってるだけの思い上がりのような気もする。

 

どっちなんだろうかと思っている間にもこの生活が板についてくる。棺桶の中で、この人生をどう回想するのだろうか?

 

モラトリアムからの脱却期間の茅ヶ崎はもう終わってしまった。

真人間になりきったような私が南林間の改札を抜けていく。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

私の好きなもの100のルーツ #4「立ち食いそば」

 

どうもこんにちは。

 

私は出かけ先で、何を食べるか迷ったら、大抵立ち食いそばを食べることにしている。

早くて、安価で、それなりに腹も満たせる。それに季節を問うこともないし、日本全国どこに行っても立ち食いそば屋がないなんてことがない。食べることが好きな私だが、時と場合によっては、食事に時間をかけたくない時もあって、そんな時にはとても便利でいい。

 

立ち食いそばに行きつけるようになったのは学生の頃だったと思う。

私は世田谷の高級住宅地にキャンパスを構える大学の学生だった。駅の改札を抜けると、周りはリッチなマダムばかり、コーヒーが一杯220円で飲めるチェーンのカフェにいるのは学生ばかりで、マダムたちは560円のコーヒーを駅ビルの6階ですすっていたような街だった。コーヒーが560円もするんだから、当然、駅ビルのレストランでランチを食べようと思うと、1500円はくだらない。最低時給が900円にも満たないアルバイトをしていた、当時の私がそんな昼食にありつけるはずもない。

 

もちろん、大学のキャンパス内には学食があった。コストパフォーマンスに優れていて、価格と量の反比例が創りだす曲線美は素晴らしい。しかし、ここはいかんせん混む。キャンパス中の学生が目がけて押し寄せる昼時の学食において、席に着くだけで一苦労。ゆっくりと食事をしようなんて、夢のまた夢である。

第一、そんなに学生が押し寄せるんだから、いくら知り合いの少ない私でも、どうしたって知り合いに会ってしまう。知ってる顔と目があったら、最後、奴は必ず来る。必ず。奴らは私に会いに来るのではない。奴らの狙いは私の隣のポッカリと空いた一席だ。

大学の学食には2、3人で連れ立ってくる学生が多い。そんな学生たちが食事を済ませて、席を立つと、当然そこには2、3の空席ができるのだ。今、私はそこに一人で座ろうとしている。そして、私と同じく、席を探す奴。私と目が合う。私の隣の席が空いているのを見つける。

こうして、私は何の業か贖罪か。知り合いに隣を占拠され、落ち着いた昼食を取ることすら許されない。

 

昼食ぐらいゆっくり食べたい。

学生時代の私はどうしてもそれを譲れなかった。

そこで、私はとうとう大学の敷地を飛び出したのである。

前述の通り、学校から一歩出れば、そこは高級住宅街。道行く車は外車ばかり。日産のロゴを見つけたときに、どれだけ安心することか。そんな街で安価なお店が見つかるわけもなく、昼食にありつけない「昼食氷河期」に突入するのである。

そんな時に普段と反対の改札に見つけたのが、小田急線ならどこにでもある立ち食いそば屋だった。初めて入った時に、中に椅子があったのに偉く驚いた記憶がある。

駅構内の立ち食いそば屋に椅子がある。椅子に座ってしまってどこが立ち食いだ。さすがは高級住宅街。立ち食いそば屋でも座るのかと、偉く驚いた。

 

それ以来、時間をずらし、知り合いのいない時間の学食か改札の反対側の立ち食いそばに通うようになった。出先での手短な食事に立ち食いそば屋を利用する習慣は、大学を中退しても続いた。

 

大学を辞めて、しばらくしてから、私はある人のところに通うようになった。一日中、ある人について、身の回りの世話をしながら、仕事を覚える生活をしていた時期があったのだ。しばらく通っていると、後輩ができた。

 

ある冬の晩、ある人が何人かの知り合いと遅くまで飲んで帰ることがあった。当然、私と後輩もそれについて行く。お店を出て、ある人の家に着く頃には夜中の1時を回っていた。田園都市線の端にある我が家からほぼ端にある人のお宅まで通っていた私には、当然、帰りの手段がない時間だった。私たちは、ある人からタクシー代をもらい、帰ることになった。

 

深夜の大通りを赤い空車の文字を探しながらとぼとぼと車に追い抜かれる。目上の人が集まった飲みの席で、周りに気を遣い、ほとんど食べることの出来なかった私たちは小腹を空かせていた。赤い空車は反対車線は通るのに私たちの横は全く通らない。

反対車線に24時間の立ち食いそば屋があるのを思い出した私は、後輩に提案して、反対側に渡った。

深夜でも大通りは、街灯に、ヘッドライトに、信号に明るい。

それでも、蛍光灯が所狭しと天井に並ぶ立ち食いそば屋の店内の明るさはそれ以上だ。

券売機の前で、少し目が眩む。

 

券売機に千円札を挿入して、いつも通り、天玉そばの券を買う。520円。

 

出汁を吸ったかき揚げに卵の黄身を絡めるのをこやなく愛している。そして、出汁の熱さで白んだ白身と蕎麦を一緒に啜るのがこの世で一番美味しい蕎麦だ。

 

次に券を買おうと財布を出した後輩を私が制した。

いいよ、何食べる?、と聞く。

気を遣ったのか、同じものをお願いします、と答えた。

しかし、そのすぐ後で、いや、やっぱりかき揚げ蕎麦がいいです、という後輩。

 

私に天玉そばを売った券売機には残高が480円しか入っていない。

気を遣った後輩は60円安い卵を抜いたかき揚げそばのボタンを押した。

 

時々さ、私何してるんだろうって思わない?

私が聞いてみる。

 

いや、ならないですよ。楽しいですもん、今。

後輩の視線は蕎麦から離れなかった。

 

私はこの仕事合ってないのかな、と思った。

 

温かい天玉そばの食券が冷たいたぬきそばになった頃、私は仕事をやめた。

結局、私が後輩にしてあげた先輩らしいことといえば、この時の60円分の気を遣わせたかき揚げそばぐらいなものだった。

 

あの当時のことを消化しきれないまま、今でも寒い季節が来ると駅のホームの立ち食い蕎麦屋で天玉そばをすすっている。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。

評論家と選書

 

どうもこんにちは。

 

評論家を入店お断りにしたラーメン屋が話題になった。

面白そうだなと思って色々と読んだりしてみると、どちらも馬鹿馬鹿しくて考えるのを嫌になった。

 

まずもって、問題となっている「H氏」に評論家という肩書きを充てがうのが間違いなのだ。

批評するということは、そこからは主観的な好みを排除して、客観的な評価を、これまた客観的な根拠をもとにして価値づけを行う行為のことである。好き嫌いの話をしているのではない。

まるで評論家というレベルで話をしていない。こんな色々読んで、時間を無駄にした。

数多のラーメンを食べている人間だからと言って、客観的な価値づけができるわけではない。それはその人の文章を読めば、容易に判断できる。失敗せずにラーメン選びをしたい人と言うのは、そんな簡単なことも見抜けないのだろうか。生き急ぎすぎではないか。

 

結局、最近ずっと思っていることだが、短絡的に情報を得ることを良しとして、失敗するという非合理を排除することを前提とした考え方が蔓延っているんだな、と嫌気がさした。

失敗したり、間違えずに、自分の好みが見つかると本当に思っているのだろうか。その評論家が評価したものの中に、自分の好みが見つかるなんて、本当に思っているのか。そんな人間が語るお気に入りは見つけた気になったお気に入りだ。妥協して見つけたお気に入りだ。どこが好きで、何がいいのかなんて自分の言葉で語れるわけがない。そうなると結局「評論家の〇〇さんも評価していた」という、どうでもいい、もはや本人に帰属すらしていない理由が口から滑り落ちる。

自分の好みも見つけられない中途半端な人間たち。その中でも踊りの上手な人間をエセ評論家に仕立てて踊らせている。

 

じゃあ、評論家は要らないのか、というそんなことはない。

元来、評論家は一般に向けられたものではない。ラーメン評論家はラーメンファンのためにいるのではない。ラーメン屋のためにいるのだ。演劇評論家は演劇ファンのためにいるのではない。戯曲家、演出家、役者のためにいるのだ。

このことはもっと深く考えたいと思うのだが、今のところは荒削りでしか考えられていない。

考察することを考察すると 〜東京ポッド許可局を聞いて〜 - AM1:00-3:00

1ヶ月前に書いたものだけど、これがこのテーマを考える上で、今後の柱になるだろう考えだ。

 

で、こんなことはどうでもよろしい。

こんなことを考えるのは今に始まった話ではないし、私がこんなところでこんな字面を並べたところで、エセ評論家とそれに妥協する中途半端な人間が減るわけではない。

 

なんでこんなに今日は毒が強いんだろうか。

 

台風の金曜日。仕事があまりにも暇すぎて、休憩を2時間も取った。豪風と豪雨の中、近くのデニーズまで本を読みに出かけた。外山滋比古さんの「読みの整理学」を読了した。

その週末、SNS自己啓発本ばかりが挙げられた読書100選が話題になった。

どれも読んだことないものばかりだし、本屋で手に取ることもないだろう本たち。誰が何を読もうが関係ないが、あまりに偏りすぎて気色悪い。かく言う私が100冊選んだとしても、きっと偏ってしまう。みる人から見れば、気色悪いことだろう。

 

ただ、読書とは「読む」とはどう言うことか。

「読みの整理学」を読了後、自分の読書のあり方を考えていた私には、ちょうどいい足掛かりとなった。

外山滋比古さんがこの本で一貫して言うことは、「未知を読むこと」がいかに難しいか、しかし、それこそが読書の醍醐味であることを説いている。読んでいることの大半は「既知」であり、それを繰り返すことは足踏みをしているにすぎない。それだけ手を大きく振って、足を上げても足踏みではどこにも進めない。

じゃあ、どうやって「未知」を読むのか。どうしたら、読めるようになるのか。結局は昔ながらの「読書百遍」によるしかないという。

昔、四書五経を意味もわからずに、素読していたように、自分で咀嚼できない文章を何度も読むことである。そのうちに暗唱して、体に染み付いてくる。それをも通り越すと、メタ的理解の域に到達するのだ。そこへの到達こそが「未知」を読むことの本質的目標なのである。

 

タイトルを見て、内容が容易に想像でき、実用的な何かを習得することだけが目的の読書は、おそらく到達できないであろう境地である。時間も体力も使って100冊読んで、それでも足踏みでしかない100冊ならば、前には進めない。

どう考えても、私にはいっこうに悟らない滝修行にしか思えない。滝修行をするならば、悟りを開けるものがいい。つまり、未知を読むことへの挑戦だ。似たような自己啓発本を数多読んで、既知の再確認をしても仕方があるまい。

 

知らないものをもっと知りたい。

わからないものをわかりたい。

私は短い人生の中で、限られた冊数の本しか読めない時間の中なで、選書はゆめゆめあなどれまい、と既知のことを再確認した。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。