本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

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茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

小木さんとSOCIAL ACTIVEST CLUB、バックラッシュを誘発しかねない大きな失敗

 

どうもおはようございます。

 

朝から、というか私としては前の晩からなんだけど、久しぶりに頭の中をぐるぐる巡るような問題にぶつかったので、整理する意味でもこれを書いていこうと思います。

 

昨年から、私が企画した「読書会」なる集いがあって、前もって決めたテーマについてわらわらと話す会を小さいながらに主宰しています。

前回、ひょんな話の成り行きで参加者がジェンダーの問題について、認識が曖昧だったり、理解が不十分な部分があることが分かったので、それぞれ割り振られた参考図書を読んで、レジュメにまとめようという課題が決まりました。

ちなみに以下の3冊です。

知らないと恥ずかしい ジェンダー入門

炎上CMでよみとくジェンダー論 (光文社新書)

ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた――あなたがあなたらしくいられるための29問

 

どれもジェンダーの問題を一からわかりやすく、でも、しっかりとこの問題の核となる本質に導いてくれました。ジェンダーの一番の問題はそのことがまだ問題にすらなっていないという点です。私もまだまだ勉強途中の問題で、この問題に対して未熟という意味においてフェミニストとは言い難い立場ですが、それでも曲がりなりにも関心を持ってちょっとかじった人間として、社会が取り組むべき問題の最優先事項の一つであることは間違いないとする立場であることはまずはじめに明確にしておきます。

今、この問題への未熟さを明言しましたが、もし、このことに対して、「未熟な奴が語るな」という立場の人がいるなら、その人はこの問題の本質まで辿り着けていない私以上の未熟者であることを添えておきます。

だって、この問題って男女の隔たりなく、全員が自由に生きることへの妨げのない社会の実現を目指すものであるのだから。その実現に対して、知見の深さで二分してしまう行為は「男女の二分」を「知見の深さの二分」にただフォーマットに乗り換えただけの人ですから。何も実現されていない。

銀行からの借金を消費者金融で借りたお金で返済するのと同じことですから。

 

なんでこんなことを急に言い始めたのか。きっかけは最近急激に広まった新しいSNSツール「clubhouse」にある。

経緯を簡単にまとめるとこうなります。

まずは発端はラジオでの小木さんの発言にあります。その発言を問題視した人たちが「SOCIAL  ACTIVEST CLUB」というclubhouse内でのルームで取り上げました。その議題に当人の小木さんが参加したのですが、その内容や取り上げ方が問題視され、ラジオリスナーをはじめとする小木さん擁護派がTwitterで物議を醸しました。

 

この発言の良し悪しにはついては触れません。深夜ラジオという密封性が高く、パーソナリティとリスナーとの間をそれなりの信頼が取り持っている文化だということも加味する必要があるし、この発言を槍玉に挙げた人たちのどれだけがネットニュースでなく、ちゃんとラジオの音源を聴いたか、でも、やっぱりこれだけコンプライアンスが重視されている昨今の情勢に公共の電波を乗せるふさわしい内容だったのか、などいろんな判断材料が相まってこの発言に対する立場を決めると思うので、その立場に立つことの是非はここでは問いません。

SOCIAL  ACTIVISTという人たちがこの発言を問題視することにも一理あることは違いません。

ただ、その問題視した発言をどう取り上げて、どう発信していくのか、その方法が社会のフェミニストの方々に対する視線を決定づけるのだろうと思います。その意味で、あのルームで行われていたことは、社会のフェミニズムに対する、強いてはジェンダーの問題に対する見方を歪みかねない、というか、Twitterではすでに「バックラッシュ」を誘発しかねないような間違った意見が見られた時点で、この問題を好転させたとはまずもって言えないでしょう。SOCIAL  ACTIVISTの方々の意図とは関係なく、フェミニズムに対する間違った見解を生んでしまったという点であのトークジェンダーの問題をむしろ後退させたとも言えるでしょう。

なぜ、バックラッシュを誘発するような失敗だったのか。小木擁護派があのルームを受けてすべきことは、バックラッシュを誘発するような間違った意見を述べることではないはずです。では、本当にしなくてはいけないことがなんだったのか、考えてみたいと思います。

 

最初に述べたように、ジェンダーの問題は、まだ問題視されていないことが一番の問題だと思うのです。ですから、ジェンダーの問題を公で議論しようとするとき、まずは問題を共有することから始めないと議論にならないことは明白です。

SOCIAL  ACTIVISTの方々の最初の失敗はこの共有が行われていないことです。この共有はこれから議論を交える同士の最低限のマネーのようなものです。それを問題の定義がされる前から、認識していることを前提として、議論が進められていました。それどころか共有されていない問題について進められる話に困惑する小木さんに苦笑するかのような発言や口調も見られました。

これでは聴いているオーディエンス達は、SOCIAL  ACTIVISTの方々に対して、いきなり上から目線で不躾な人たちという印象を持ちかねません。

 

次にSOCIAL  ACTIVISTの方々の小木さんの意見を聞く姿勢です。

小木さんは終始、ネットニュースで活字にされた文章ではなく、実際のラジオを聴いてほしいということを主張していました。しかし、その主張は「活字にされた内容と音声の内容とではその違いはない」という乱暴な理由で耳が貸されることはないのです。

小木さんの意見を聞かない姿勢、というよりも聞くことが出来ない姿勢について考えてみると、その背景にはSOCIAL  ACTIVISTの方々に「フェミニズムに絶対的な正義」の意識があるのだと思います。多様性の尊重がジェンダーの出発点のはずです。その多様性の余白には間違いなくセクシャルマイノリティが含まれています。その多様性を出発点にしたジェンダージェンダーへの見識の浅さを攻撃しては、出発点であるはずの多様性そのものの否定になってしまいます。

つまり、SOCIAL  ACTIVISTの方々が自分たちの主張の絶対的な自信を振りかざして、他の意見に排斥的になるということは、自分たちの主張の出自を失ってしまう逆説的な姿勢であると言えます。

 

SOCIAL  ACTIVISTの方々のclubhouseでのトークの大きな失敗について、大きく二つ理由を挙げました。ジェンダーを扱う最低限の共有すら出来ていなかったことが一つ。それから、自分たちの主張の依拠するところをひっくり返す矛盾が見られる対話姿勢が一つ。

 

さて、次にこのトークを聴いた私たちオーディエンスが考えなくてはいけないことはなんでしょうか。

私が一番言いたいことはここにあります。

別に未熟で中途半端な議論とも呼べないようなネットリンチが行われた理由なんか大した興味はないんです。ただ、これから先を言いたいがための前口上として必要があるから、書いておいただけです。

 

一番やってはいけないことは、SOCIAL  ACTIVISTの方々をして、フェミニストがなんたるかを決めてはいけないということです。

本当に頭のいい人が書いた上のようなちゃんとした本を読めば、あのトークで行われたことがジェンダー問題の本質的な解決にならないことは一目瞭然です。あのトークを聴いて小木さんを擁護する姿勢に何か問題があるとは思いません。ただ、小木さんを擁護することとフェミニストについて間違ったレッテル貼りをすることは全く違う行為です。そして、あのトークからフェミニストのなんたるかを考えることは不可能です。本質まで全く掘り下げられていない議論をもってしてフェミニストについて語る行為は愚かと言わざる終えません。それはネットニュースの書き起こしだけを読んで、ラジオを聞かない姿勢と全く同じだからです。

だから、小木さん擁護派には少しでいいからジェンダーについて、フェミニストの主張について、本質に迫る文章を読むなりすることをお願いしたいんです。

小木さんを擁護することとフェミニストについて間違ったレッテルを貼ることをごっちゃにせず、本質よりうんと浅いところでフェミニストに対する決めつけをして、SOCIAL  ACTIVISTの方々と同じところまで堕ちることがないようにすることが何よりも肝要だと思う。

 

書きたいことの半分も書けたかはわからない。

ということは書きたかったことの半分以下しか伝わらないわけだ。

 

この騒動だけを取り上げると、clubhouseは恐ろしいように思えるが、そんなことばかりではない。

 

私がよく参加させてもらうルームはサザンについて語るだけのもので、すごく和やかで居心地のいいところだ。

サザン好きな人たちだけが集まって、ただその話をするだけで、そこにはつまらないマウントの取り合いもない。

居場所が見つかれば、いいツールだと思う。

 

朝が来てしまったね。

では、こりゃまた失礼いたしました。