本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

私の好きなものも100のルーツ #2「コカコーラ」

 

どうもこんにちは。

 

私の好きなものを100コあげ連ねて、なんで好きになったのかそのルーツを思い起こそうという企画の第2回はコカコーラ。

 

私のことを知る知人たちに、「私という人間から連想するものは?」と聞いて、「コーラ」と答える人は8割を超えるだろうと自負している。いらない自負だけど。そう答える人は、ものの道理が分かる人だ。きっとカツオのタタキを生姜醤油で食べる人だろう。それくらいにはものを知っている。

ただ、私を語るなら、それで満足してもらっては困る。もっと通はいるものだ。同じ質問をしたときに「『赤いコカ』コーラ」と答えらるかどうか、これが本当の通というものだ。脂の乗った寒鰤をリンゴと大根の合わせおろしとポン酢で食べるくらい、通を誇っていい。

 

昨年、「香水」という曲が流行った。

別に君を求めてないけど横にいられると思い出す
君のドルチェ&ガッバーナのその香水のせいだよ

五感に感化されて、過去のことを思い出すという経験は誰でも経験があると思う。

それでいうと、コカコーラのあの強く弾ける炭酸、口の中にくどいくらいに残る化学的な甘みで私のことを思い出す人は、男女問わず、少ないと自負している。これもいらない自負。

中には赤い自販機の中で売られているコカコーラを見るたびに、私がフラッシュバックする人もいることでしょう。

 

私ほどおいしそうにコカコーラを飲む人間もいない。いまだに私にところにCMのオファーが来ないことが不思議なくらいだ。

瑛人さんがコカコーラのCMソングを歌うそうだが、早熟極まりないと思う。ぜひ、彼にはドルガバで元カノを思い出す人間になる前に、コカコーラで元カノに思い出される人間になってほしいと思う。

 

そんな私の血管にコーラが流れるようになったのは、いつのことからか。思い出してみる。

 

幼少期、我が家ではコーラはおろか、基本的にジュースを飲むことがよしとされていなかった。

よしとされていなかった、というよりも冷蔵庫の中にジュースが入っていることがほとんどなかった。中学生になってお小遣いの配給が始まるまでは、家にあるものを食べるしかないわけで、自分で買うことも出来ない。たまに飲む機会があったとすれば、祖父母の家や友達の家にお邪魔したとき、それから、外食の時くらいだった。外食の時と言っても、食事中はお茶と決まっているので、食後に親がコーヒーを飲んでる隣でやっと飲めたのがジュースだった。それでも、高学年になるまでは炭酸も禁止されていたので、私がコーラと出会うのは、小学校の高学年になってからのことだ。今ではこんなにコーラで活躍している私も、実は随分遅咲きのデビューだった。

 

人間は大きな抑圧があると、大抵、それから解放された時のその反動は大きい。私のコーラも然りだった。

 

中学生になった私がコーラに向かって解放されたのには二つの大きな理由があった。

一つにはお小遣い制度の始まりがある。

使い道に制限がなく、誰かに管理されることもない自由なお金。それまでのコーラへの抑圧が強かった分だけ、それは羨望に変わり、憧れになって、お小遣いを食い荒らしていく。歯止めは効かないし、効かす必要もない。部活の帰りによく飲みながら帰った。

今でこそ、自販機で買うと500mlのペットボトルサイズで160円だ。それが当時はコンビニで500mlの缶というのが売っていて、それは100円で買えた。あの頃は、今よりも税金も大切に使われていたのか消費税も5%だったので、少ない中学生のお小遣いでもどうにかなった。コーラ一つで、税率の推移まで見えてくるのだから、コーラはやめられない。

もう一つ挙げられる理由に中学のお弁当制度だ。

小学生までの給食が終焉を迎え、中学生からはお弁当になる。普段は母親が作った弁当を持っていくのだか、幸か不幸かうちの母親は朝が弱かった。それに加えて、私の所蔵する吹奏楽部は毎朝朝練があり、しかも、我が家から中学まで徒歩で30分以上かかった。これらの要因がどうコーラにつながるのか。つまり、ただでさえ通学に時間がかかるのに、朝練で7時ごろには家を発つ私に朝の弱い母親のお弁当が間に合わないことが往々にしてあるわけである。そうなると、寝ぼけ眼の母親から昼食代として、500円支給される。

コンビニでおにぎりやパンが100円で買えた時代のことだ。パンを一つ惜しめば、コーラが買える。これが私にとってどれほど魅力的で妖艶な誘いだったことだろう。

チョコチップが練り込まれた細長いパンが5本入って150円のものを2袋とコーラを2本。これが私の500円の使い道だった。午前中に1本、午後に緩くなったコーラが1本と1日に2本も飲めたのだ。

 

この二つの理由が災いして、私の心臓はコーラを体に駆け巡らすポンプとなったのだ。おかげで、毎月我が家にはコーラが段ボールで届けられる。2階の角部屋まで運ぶ運送会社の方には本当にご足労かけている。

 

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地域限定デザインのコーラのボトルがある。

この写真は少し古いもので、今ではこの数倍あるが、私の部屋には飾りきらないのでしまってある。

私が買い集めたものもあるが、それ以上に貰い物が多い。知り合いが地方に出かけて、コーラのボトルを見ると、私を思い出すらしい。時々、「これもってる?」と写真を送ってくれさえする。そのことについてこの場を借りて言っておきたいことがある。そのデザインのコーラを持っているかどうかは問題ない。たとえ、デザインが被っていようが、中身はコーラなのである。それを私が飲まないわけがない。いただければ、飲むのだ。なので、私の持っているボトルのデザインと被るかどうかなど、気になされずにレジを通していただければと思う。いつもありがとうございます。

 

飲み物としてのコーラへの愛がいつのまにかブランドとしてのコカコーラへと変わっていった。

コーラのデザインのものを集め、部屋が赤く染まる。赤い部屋というと江戸川乱歩が思い出されるが、私の部屋で自殺があったりなんかはしない。

コカコーラなんかいくらでもグッズがあり、そのうちコカコーラデザインのものだけで、生活できるようになるのではないか。私はそれを強く望んでいる。贅沢を言えば、コカコーラで真っ赤な部屋とサザンのポスターが張り巡らされた部屋とがあるんて最高だと思う。

 

今日はこのあと歯医者だ。

歯科医には一目で甘党が見透かされ、コーラを止めるように指摘されたが、それだけはできない。

歯を守るためにコーラを飲まずして、鬱病になるくらいなら、私は喜んでコーラで歯を溶かす。

 

では、こりゃまた失礼いたいしました。