本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

改めて、私はなんで無意味な勉強をしているのだろう

 

どうもこんばんは。

 

世の中が20時を境に真っ暗になることに嫌気がさしている。

何も大人の作ったコロナ対策に正面切って反抗したいなんて、私の中の尾崎豊が疼いているわけではない。それだったら、とっくにバイクを盗んでいる。

仕事帰りに本を読んだり、勉強したりする場所だった喫茶店やファミレスは私が帰る頃には真っ暗なのだ。年末、私の狭い部屋に押し込めるように勉強机を買って組み立て置いてよかった。

 

20時になると街は真っ暗になる。名指しで感染の巣窟とされた飲食店は泣く泣く灯りを落とす。私が仕事の帰りにちょくちょく通うスーパー銭湯まで20時になると灯りを落とす始末だ。サウナにも自由に入れない世の中になった。

こうなると、感染を封じ込めたいのか、世間から向けられる飲食店のとばっちりを受けたくないだけのか、わからない。

店を閉めろと言うのは、憲法に示されている「経済活動の自由」を犯していないのか。不勉強の分野で大きな声で言えないから、誰か教えて欲しい。まず、初歩段階に何から勉強したらいいのだろうか。初めの一歩すら分からないくらい暗い分野で困った。

 

20時の街も私の法学分野の不勉強も真っ暗で嫌になる。

 

コロナ関係の疑問を調べてみると、どんな疑問の回答にも両極端の意見や見解があって、訳がわからなくなる。

どちらも科学的(らしい)明確な数字を証拠として並べているのに、言うことが全く正反対なんてことがあるものなのか。結局のところ、新型のコロナはやばいのかやばくないのか、コロナ対策と経済活動とどちらを優先させた方がいいものなのか、みんなが全くの正反対のことを言うから、私は調べれば調べるほど分からなくなる。

こうなると、緊急事態宣言下の自粛要請に応じるのが正しいのか、本当は正しくないのか、分からない。

分からないものだから、身動きが取れないのだ。

 

しかし、考えてみると、私を惑わすように正反対のことを言う人たちは、本当のことが分かっているからものを言っているのだろう。

冷静に考えれば、正反対の意見が対立している時点で、一方は本当のことを知っていて、他方は本当ではないことを本当のことのように知っているつもりになっている訳だ。

ワクチンの接種がやっと始まったばかりの未知のウイルスに対して、どちらかが本当で、どちらかが正しくないと言うことを見極めることが私にはできない。毎日毎日数字ばかりが並んで、真相が分からない言説だけが、さも私が本当だ、と言わんばかりの厚顔で、いくらスワイプしても絶えることなく現れる。目まぐるしい。気味が悪い。

 

分からないことに対しては、分からない、という当たり前の立場を見栄を張らずに取りたい。

分からない、と言うことを出発地点として、ものを考えたい。周りが当たり前のように知っていることも一から勉強しようと思う。

 

私が一緒におしゃべりしたらば、楽しかろうと思う人たちを集めて始めた読書会なる企画がある。

月に一度くらいのペースで、お題を決めて、食事をしながら、おしゃべりをする。私の知らないことに造詣が深い人から話を聞くのも面白いし、逆に私がよく知ることを全く知らない人に順を追って整理しながらしゃべるのも楽しい。

知らないことを知らないという立場を明確にするところから始めるおしゃべりは楽しい。

前回の集まりで、参加者の誰もが「ジェンダー」という問題に疎いことが分かった。そこで、次回に向けて、ジェンダーに関して入門的な3冊の参考図書を、どれか一冊担当して、読んで一枚にまとめて持ち寄ることになった。

自分の担当する本を読み切ったところで、全く知らなかった世界が広がって、当たり前のことが当たり前でなくなり、もっと疑問が膨らんだ。

勉強することはやっぱり楽しいことなのだ。

 

こうして考えると、改めて、ソクラテスという人が考えることは本当なんだな。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。