弾丸0泊深夜バス旅ー京都編ー第六部
どうもこんばんは。
いよいよこの旅記も6章まで来た。割りに時間が全然進んでいないのだ。それに何かエピソードがあるわけでもないから、ただ、見てきたものの事実の羅列に過ぎない。ユーモアのある文章、どこかに共鳴してしまう文章、そんなものが書けたらなと思いながら、程遠い駄文たち。
弾丸0泊深夜バス旅 ー京都編ー 第一部 - AM1:00-3:00
弾丸0泊深夜バス旅 ー京都編ー 第二部 - AM1:00-3:00
弾丸0泊深夜バス旅ー京都編ー 第三部 - AM1:00-3:00
弾丸0泊深夜バス旅 ー京都編ー 第四部 - AM1:00-3:00
弾丸0泊深夜バス旅 ー京都編ー第五部 - AM1:00-3:00
あまりにも長いと始まりが横浜発の深夜バスであったことを忘れてしまう。オンボロのサウナに入ったのなんかはるか昔のことのように思えてしまう。
清水寺を出て、次に向かうは四条河原のジャズ喫茶「ろくでなし」
それにしても「ろくでなし」一体、どんな由来でつけるの店名だろうか。私の記憶するところではジャズのスタンダードナンバーに「ろくでなし」なんて曲はなかったと思う。
先ほど来た坂を下って、大きな通りに出る。そのすぐ横には鴨川が流れていて、悠々とした水の流れは行きに見た鴨川そのものだった。しかし、この水は本の水にはあらず。そうだとして、見ている水は本の水ではないのだが、果たして見ている私はどうだろう。自分は数時間前の自分のままのような気がする。あれだけ川幅の広い鴨川のことだ、川上から河口まで、一度も割れない泡沫(うたかた)がよどみに浮かんでいるのではなかろうか。
四条河原駅の界隈は京都駅に負けない賑やかさを見せていた。京都駅の賑やかさは地元の人半分、観光客半分という輸入物の活気が混じっていて、よそ者の私も弾かれていない感じがした。四条河原にだって観光客もいるだろうが、私の気の持ちようなのだろうが、どこもかしこもネイティブ京都人だらけで、純京都産の熱気が渦巻いている気がした。神奈川県産の私はわっと押される。少し気を張っていないとすぐに自転車を漕ぐ足が重くなりそうである。見知らぬ土地であることも相まってか周りの熱気にやられ気味になっていた。
鴨川から一本外れると、これが京都でおわす、と言わんばかりの雰囲気をガンガンに演出した細い木屋町通りを歩いてみる。美味しそうなお店が並んでいるが、その雰囲気からも私には手が出ないことがわかる。贅沢がしたいわけではないのだが、せっかくなら、という気もしていたので残念。
さて、純度の高い京都の街をお邪魔したのち、お目当てのジャズ喫茶「ろくでなし」へ。
昼間の卑猥さを包み隠さずに看板に灯りを灯す風俗店とおしゃれなカフェと時代を感じる料理屋とが雑多になって、多種多様な人間の生活に多種多様に適応した結果にように多種多様な店が並んでいた。
きっと「ろくでなし」も多種多様の中の誰かの多種多様な欲求に適応するためにあるのだろう。地味なビルの2Fに静かにあった。
HPでも確認したし、お店の看板を見ても確かに営業している時間のはずなんだが、重たそうな扉をいくら叩いても空っぽの音が響くだけだった。
仕方がないので、向かいのおしゃれなカフェに入る。このカフェは多種多様への適応を目指したような感じがしなかった。なんだか、誰にでも受け入れられることが目的で、多様の中の小さな需要には見向きもしないような無個性さが電飾にもメニューにもコーヒーの味にもソファにも染み付いていた。
無個性な空間にいても、過ごし方まで個性を殺されてたまるかと思う。お供に連れてきた本を読む。
大きな展開を迎えてから、転がるように主人公の苦しみが肥大化していく。一行読むごとに抱えきれない苦しみがズシリと胸にのしかかる。私の中の人生で一番苦しかった失恋と重ねる。何で京都の地で私のナーバスなところを意味もなくえぐっているのだろうか。これだけ人間がたくさんいる地で、私は本当に孤独になっていた。その中で小説を通して、昔の記憶を久しぶりに汲み出して、吟味したのは、こんな時間に意味もなく京都に来ているからこそだろう。
茅ヶ崎のいつもの喫茶店や自分の部屋では絶対にない時間であっただろう。非現実的であるが故の孤独がもたらしてくれた。
カフェを出て、鴨川沿いを京都駅の方へ自転車を走らせる。
昼食がまだなのと、午後の照り返しが暑すぎるのと、深夜バスの仮眠だけでは足りなかった睡魔がここにやってきたので、適当なお店を探して入る。
鴨川に面して大きなテラス席をもつKAWA CAFE(http://kawa-cafe.com/)へ。
ピザというのは昼食にしかならないのではないか。そんなつまらない持論がある。
夕飯にピザというのは重量感が足りないというか、腹持ちが悪いというか。だから、近所にもラーメン屋、焼き鳥屋、寿司屋、中華料理屋、焼肉屋の行きつけはあってもイタリアンの行きつけというのだけがないのだ。そんなことを思いながら、食べた。
普段から食べつけないピザのこだわりなんか言われても私に分かるまい。
残り数ページとなったお供を読んでいる途中でうとうとしてしまって、気づいた時にはデザートのアイスがデロデロになってしまっていた。時間が経ったのか、京都が暑いのか。
最後に去年、上野でみた東寺の立体曼荼羅はみておきたいと思い、京都駅を超えた反対へと自転車を走らせた。
日が暮れて、やっと風が涼しくなってきた。雲の色も少し怪しくなってきた。
東寺が最後の見学地なので、次回が最後になるでしょう。
よくまあ、こんなに長々と書けたものだと自分でも思います。皆さんもよくまあ、長々と読めたものだと思ってください。
では、こりゃまた失礼いたしました。