本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

だから、考えることが面白い〜経済学必要不要合戦〜

 

どうもこんばんは。

 

今日は長くなりそうなので、本題から。

とにかく、私はやっぱり馬鹿なりにも、無駄であっても、ものを考えながら生きていきたい、と思った話です。

 

さかのぼれば、約一年前。

職場に新しい経済学部の学生が入って来た。休憩が被った私はほぼ初対面の彼にとんでもない質問を吹っかけた。

経済学部って何を勉強してるの?私さ、経済学って一番無意味な学問だと思ってるんだよね

というものだった。

不躾にも程がある。ほとんど会話もしたことない学生にこんなことを言ったのだ。

 

続けて、私は彼に経済学が不必要だと思う理由を述べた。

一つには、人間が日夜構築し過ぎて、複雑なシステムとなった経済。この複雑なシステムを解明しようとすることには意味がないだろう。なんせ人間が構築したシステムなのだ。それを他でもない構築した人間が解明するのだとしたら、意味がないじゃないか、というもの。

もう一つ。今でさえ、我々のような素人ではとてもじゃないが手に負えなくなってしまった、専門家の独占領域になってしまった経済システムをさらに構築していく学問なのだとしたら、それはそれで不要ではないか、と思うのだ。貧富の均衡を均すためのシステムが知識の有無で格差を拡大していくのでは、元も子もないではないか、と私は考えていたのだ。

 

いきなり、初めて喋る人間にこんなことを言われて、普通は引くだろうが、彼は何かを言おうといろんなを試論を繰り出した。もちろん、彼のいうことは試「論」と言えるほど立派なものではなかったが、それでも何かを言おうと思索しているその情熱は立派に試論と言ってよかった。結局、その日は回答が出ないままになった。

 

これをきっかけに私と彼は時々ご飯に行き、くだらないことに互いの脳味噌を稼働させて、思索を深め合った。意見の一致が見られる時も不一致の時も、互いの反駁を解決しようと、語らった。

 

今日も私と彼はだからなんだってことを語らっていた。片瀬江ノ島から鵠沼海岸までの一駅。海岸沿いから住宅街に一本入った道を歩きながら、喋った。夜道の街灯と潮風特有のベタつきが夏の夜を気持ちよく演出する。彼の車好きについて、その好きのあり方や起源について掘り下げたりしていた。

私も最近読み始めた筑摩の「世界哲学」シリーズについて、話したりしていた。

 

どんな流れだったか、重商主義からアダムスミスによるその批判、その結果として、アダムスミスが「経済学の父」と呼ばれている今までの史実に関して、疑問視する説があるという話の流れから、科学と経済学の共通点に話が及んだ。

科学の発展は、生活の中で「現象」が先立ち、それを対象として、「研究」がなされる。経済学も社会「科学」と言われるだけあって、同じ流れだということを感じているのだという。貧富のバランスを取るために、日々、試行錯誤されていく経済システム。いろいろ試す中で、ある時、なんとなくうまくいっている気がするというものを見つける。これが科学でいうところの「現象」である。ただ、それがなぜうまくいっているのかわからない。そもそも本当にうまくいっているのか。刹那的なものなのか、長期的なものなのか。社会のあり方が変われば、またうまいこと機能しなくなるのではないか。

たまたま見つけただけのシステムなのだから、それは未知のもので、浮かぶ「?」は山積みである。

その「?」を研究していくのが経済学の仕事なのだ。経済学も現象が先立ち、それに研究の必要性が伴っているのだ。

経済学は未知のものへの挑戦の学問だったのだ。


これは私が一年前に彼にした質問への見事な回答だった。

私は人間が意図して、経済システムの複雑化を続けて来たと思っていたのだが、どうやら、その前提が私の不勉強だったようである。今ある経済システムの複雑さは、偶然の賜物の塊だったのだ。その偶然を必然にするべく、経済学は日夜、果敢に挑んでいたのだ。

 

気持ちよかった。この話を聞きながら、ホウ!ホウ!ホウ!とワクワクが止まらなかった。脳味噌の全体が揺すぶられて、刺激が走る。これが気持ちいい。

彼は、1年間、ふとすると私の質問について考えていたそうだ。

一つの問題について、1年間飽きることなく、思索を続けた彼の見事な答えだった。その答えはもちろん、その姿勢にすら、惚れ惚れする。強い憧れを抱いてしまった。

 

鵠沼海岸から藤沢に向かう車中、頭の中で彼の発言をリフレインし、手帳に書き留める。ため息のように深い息を吐く。

 

物事を考えるって面白いことだ。その過程も、結果もワクワクさせてくれる。

彼の華麗な答えに敬意を込めて、改めて、私は馬鹿なりにも、無駄であっても、物事を考えていきたい、と思った。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。