本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

そういや、江ノ島に本屋がなかったなー天狼院書店、「古くてあたらしいしごと」、錦糸町へ向かう車窓でー

 

どうもこんばんは。

 

先月までの在宅無職が懐かしい。いまや、休業中の遅れを取り戻そうと、14時間労働が週に5日か6日も続く。こういう生活の中で、インプットに割く時間もアウトプットする時間も過酷な労働による疲労に飲み込まれてしまう。

何かしたい、何か動かなくては、という気持ちに疲れ切った体はなかなかついてこない。自粛中に買ったギターも練習時間が取れず、ドイツ語の勉強も滞ってしまう。

体力のなさを言い訳に楽な方に行ってしまう自分。でも、本当にやりたいことは、楽な方にはない。この疲労を物ともせず動くことがやりたいことを形にするのに。なんて、いつの間にかの落ちてしまった朝、出勤までのコーヒーを飲みながら、苦い気持ちが染みる。

 

江ノ島の国道沿いに新しく出来たスポット「ENOTOKI」が8日の月曜日にオープンした。

4月にオープン予定が延期になっての、この度のオープンだった。

毎日、灯りが灯ることのない建物の前を自転車で帰る。聞いたことのないカフェや焼肉屋。中で、私がずっと気になっていた看板が「天狼院書店」だった。天狼院書店「湘南天狼院」 |ENOTOKI(エノトキ)ショップ紹介

字面のせいか、なんだかうっすらと雲のかかった月明かりに遠吠える狼の影絵を思わせた。シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」のような。本当に字面だけのイメージで。とても本屋とは思えない。ちょっと魅惑的で怪しげな響き。どんな本を扱っているのだろう。毎度の家路で関心を寄せていた。帰る頃には怪しい本屋の記憶は雲隠れしてしまっているから、わざわざ検索してみることもなかった。だから、オープン当日の昼休み、14時間労働の1時間休憩で足を運ぶまで、概要は一切わからなかった。ただ、イメージの狼だけ。1時間の休憩時間を削ったのには、本屋に行くという気概より、疲労に押し切られている生活の中で、何か自分を説得できる行為のかけらが欲しかったからかもしれない。

 

今ではすっかりお馴染みになった入り口の消毒用アルコール。たまにジェルのように濃度が濃いのは一体何者なんだろうか。そんなものを手にすり込みながら、本棚をぐるりと見渡す。奥はカフェスペースになっているので、扱う本自体はさほど多くないが、並んだ本にびっくりした。

 

「これはうちの本棚か?」

 

大好きなラーメンズ小林賢太郎の本、井上ひさし老師や谷崎潤一郎の「文章読本」、うちの本棚の顔ぶれがドッペルゲンガーのように並んでいた。

その隣の棚は動画制作に関する本、自己啓発本、などが並んでいる。

 

入り口を挟むように壁に沿っている左右に背の高い本棚。入り口正面にも同じタッパの本棚が両面に本を抱えている。ここにある本棚はそれだけだった。本に囲まれて、本から声をかけれるには少ないが、その代わり、私が一度買おうか迷って手にした本が至る所に並んでいる。次あったら、買おうねって約束をした本たちだ。それがこんなにいっぺんに現れてはどうにも約束は果たせまい。私の不義理を許してほしい、約束の本たちよ。

面白いコンセプトで売られているガチャガチャのような中身のわからない本。書店にまつわることを書いた本だけが集まっているコーナーもある。

その中で、目と心に訴えきたのが「古くてあたらしい仕事」(島田潤一郎)だった。時々Twitterなんかで目にしていたので、なんとなく話題だという情報はキャッチしていたのだが、そこで止まってしまっていた本だった。元々、本をネットで買わない私は、口コミの評価をあてにしないし、書店で手にとって実物とのインスピレーション(恥ずかしいくらいカッコつけた言い方に当人もびっくりしている)で選びたかった。だから、SNSで話題でも、書店に並んだ実物でなければ、私にとって本と出会ったとは言わない。

この本も本当の意味で私とはまだ未邂逅だったのだ。

それが私の第二の書庫とも言えるこの書店でいよいよ巡り合った。これは買わないなんて不埒なことはできない。

再会した本を4冊、初のお目見えのこの本、計5冊を手にしてレジに向かう。

 

1時間の休憩はあっという間に終わって、仕事に戻る。

普段、ご飯と仮眠で終わってしまう1時間を本屋で本を買うという有意義な時間に変えられたことだけで、気持ちが前を向く。買った本のページは一枚もめくっていない。この本が私をどう変えてくれるか、読む時間を後悔しない本かどうかも分からない。ただ、本を買ったというだけで、何かに一歩前進した気になれた。

 

仕事が終わって、20時過ぎ。海沿いの大手のコーヒーチェーンで一番安いサイズのアイスコーヒーを買って、ページをめくる。

一人で、復刊する本の選書から、関係者への連絡、販売までする著者が出版業界に乗り出すまでのプロローグを読んで、ページをめくる手が止まる。今の私と、今進行している、この本のページをめくる私と同じ人間がそこにいたのだ。

 

陰鬱とした著者はその気分に耐えられず、古本屋に行く。そこで本を買う。そうすると、本を買ったという事実、家に本が一冊物理的に増えているということが、何か物事を進めた気にしてくれた、というのだ。

 

分かる。その気持ち。その本との出会いがもたらしてくれる変化ではない。本が増えた、ということだけで、私にとって大きな変化な時があるのだ。

それは世界になんの変化も与えない。一冊の本がある本棚からある本棚に数キロ移動したに過ぎない。この変化を知るのは買った私と売った店員さん、そして、パソコン上の売り上げデータだけ。小さい小さい変化だ。

それだけで満足する著者。その気持ちがよく分かる。

何を隠そう、私はその微塵の変化をこの本に求めたのだ。同じことをこの本に求めていた。

 

このエピソードだけで、私はこの本を買ってよかった。天狼院書店を覗いてよかった。

小さい変化のつもりが、私の気持ちを大きく前に進めてくれた。

 

まだ、しばらく、身動きの取れない、もどかしい14時間労働の日々は続く。

本当はもっとコーヒーに関わる仕事に動きたいな、なんて思っていたのだか、このご時世で生活の舵を大きく切るには、勇気がいる。その意味で、生活の半分を仕事に浪費している生活から身動きが取れない。

それでも、この本との出会いは身動きが取れないながらに、動ける範囲で歩き回る精神的体力を回復してくれた。それさえ、回復していしまえば身体的体力は多少無理が効く。

 

そんな体力で、今、1週間で唯一の休みを使って、コーヒーの焙煎の師匠のもとへ向かう。

今動ける一番遠い錦糸町へ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。