本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

コロナの後をちっとは楽しく生きたい

どうもこんにちは。


仕事のない「おうち時間」は退屈を極めるのだが、仕事が始まると、途端に休みたくなる。

仕事といっても、営業を再開したばかりの江ノ島のお店にはお客さんは多くない。ガランとした客席が平気で1、2時間続く。


お店の外に出て、気持ちの良い陽の光を浴びると、右手のずっと先に煌々と輝く海が見える。船宿が並んで、防波堤があって、その先に小さく海が見える。それでも小ささの割に実に眩しいくらいに海は光っている。三島由紀夫の「潮騒」の比喩が浮かんでくる。

今まで、店先から見える小さな海の水面がこんなに輝いているとは知らなかった。思えば、ついこの間まで、店の外に出るなんてのは長い行列のお客さんを案内する時で、店先で目にする水面といえばお客さんに配る紙コップの水くらいなものであった。

ちょっと先の輝く海の水面になど、目も暮れる余裕がなかったのだ。

私が入社してから、こんなに店の周りをゆっくり見渡せたことがなかった。海の水面に気付けたのは、こんなご時世だからだろう。

「コロナのせいで」と言いたいことは山ほどある。観にいくつもりで買った芝居のチケットが何枚無駄になったことだろう。何人の友人との約束が延期になったことだろう。

そんなどこにもぶつけようのない苛立ちを抱え込んでもしょうがない。そんなことよりも「コロナだから」と言える海の水面を見つけることの方が肝心ではないか。

店内のあちこちにある「コロナだから」見つけられた「海の水面」を大切にして、お客様をお待ちしていることが、お客様と我々とを繋ぎ合わせるために、我々にできることではないかと思う。


というのは、お店で発行する新聞用に書いた軽いエッセイです。

なんとも当たり障りのない平べったい文章で、自分の保身の卑しさが滲んでいる。


でも、内容はそんなに悪くないのではないかと思う。

コロナのせいで失われたものばかり追っていてもしょうがない。大きな代価は払ったものの得たものも少なからずあるのだ。今はその希有な希望で、次にいくしかないと思う。

これは、お店用に「お客様と我々」なんて言ったが、生活全般におけることだと思う。

コロナのせいで夏のボーナスは失ったが、ギターを買う機会を得た。新しい音楽の道を得たのだ。

コロナのせいで「桜の園」「欲望」と2作もケラ作品を見損なってしまったが、「12人の優しい日本人」の朗読版を、ほぼ初演キャストで見ることができた。

そういうことだ。

総理大臣の一挙手一投足が、我々の生活に直結することを改めて感じることができ、為政者の選び方について、思い直すきっかけになったではないか。


もう失ったものに苛立つのはやめて、得られたものについて考えたい。そうでなくては、次に行けないではないか。


では、こりゃまた失礼いたしました。