本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

書くしかないという結論

 

どうもこんばんは。

 

今日は土曜日だったらしい。毎日家にいるもんだから、つゆ知らなかった。

まあ、こんなに仕事もせず家にいれば、休みも何もない。何曜日だって同じことだ。どうして、古代のバビロニアの人たちは曜日を作り出したのか。ゴミ出しの日だって、スーパーの特売日だって決まってない、毎日同じような生活を送っていたであろう初期文明人たちになんの必要があったのか?

おそらく、神話的な由来なんだろうな。信仰ということは為政的な必要性からかな。

そんなことはどうでもいい。

 

今、小説を書いています。

一応、これに応募しようという公募はあるのですが、間に合うかしら。

 

今更なんだけども、小説ってどうやって書いたらいいものなのでしょうか。

 

これはドを超えて、レ、ミ、ファ、素素人の私の書き方です。

大抵は書きたいシュチュエーションか、感情があります。それは私の中でどっから来るのかな、と思案します。それを自分の経験の何かをベースに織り交ぜていきます。

ちょうどクロワッサンを作るみたいなものだと思います。

私の思い出せる経験という生地に、これから書きたい感情、状況を織り交ぜます。何度も何度も伸ばしては畳んで、伸ばしては畳んで、織り交ぜます。織り交ぜるという作業は執筆において、実際に経験した時の私の感情と作品内で私が書いている人物の感情との折衷点を探す作業だと思います。

私の感情を無理に登場人物に押しつけては、ただの日記になってしまいます。でも、登場人物の感情だけで書くことは私にはできません。私はその人ではないから。

 

うーん、プロットを考えて書く人とか、人物の履歴書を作れって人とか、何も考えずに書けって人もいるし、人によって書き方はまちまち。結局、小説には方法論なんてものでは太刀打ち出来ず、書く姿勢がいくらあるかどうかだけ。書いていくうちに自分で見つけなさいってことだろうか。

大体、ストーリーなんて大雑把に決めてからしか書けません。書く前にみっちり考えるのは難しいな。そういう書き方をして、短編を書いてみようかな。

そうか、同じテーマを書き方を変えて、いくつかの短編を書いてみようかしら。

 

とにかく、今、小説を書くということそのものよりも、方法論的なところに悩んでしまっている。なんだかこれって頭でっかちかしら。

そもそも、これって小説を書くための方法論があると言うイドラみたいものに囚われているのかもしれない。そんなものはないということにしておこうか。

方法論から入らずに、実践から導いていくべきではないのか。と、なるとまずは自分ための方法論なるものを見つけるまで、ひとまずっ書き続けるべきか。それを見つけるのっていつだろう。原稿用紙何枚書いたらだろう。そんなことを考えていると、これは方法論を作るための方法論の話をしていないだろうかと、思う。

 

やっぱり書くしかないか。というか、何を書いたらいいかわからない時は何を書こうか。そうか、書きたいことを書く方法も見つけなくてはいけないし、何を書いていいかわからない時に書く方法論も見つけなくてはいけない。これは相当書かないといけないことになる。

書くしかないのか。書くしかないんだな。

書けないとか言ってらんないな。

 

いや、それを書けるようになってどうするの?ってなるんだけど、それは書いていく中でもっと考えて、登場人物に考えさせて、見つけたい。それを見つける事が書くだと思っているんだけど、書いていく中で書いていく理由を見つけるのは、ちょっとパラドキシカルな批判だと思う。

 

とりあえず、まだ当分仕事はなさそうなので、書いてみたいと思います。

自分に一喝入れるための心の整理の吐露に過ぎませんね。それなら、小説内でしろって話だ。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。