本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。 コカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

ライナスとインプット

 

 

どうもこんにちは。

 

1ヶ月と少しの間、書かずにおりました。

まず一つには、キーボードの「G」と「H」が反応しなくなってしまったから。なんと言ってもこれが1番の理由でしょう。

こんな駄文しか書かずとも、やはり、使い慣れたキーボードが一番で、これでないと何か落ち着かない。

ネットで探したり、取り寄せたりで、時間がかかる。なんせ、先代はAmazonで見つけた一番安いものだったので、メーカーも何もわからない。

 

そんなキーボードを探しながら、「ライナスの毛布」と言う言葉を思い出す。

スヌーピーを見たり、読んだことはないのだが、「ぽっかぽか 」という漫画の何巻かの何話目かにこの言葉が出来てきたのを思い出したのだ。

たしか、あすかのお気に入りのぬいぐるみがなくなったのだ。時を同じくして、父の会社の部長が肩叩きで退職することに。部長の送別会の帰り道、あすかのぬいぐるみの一件を同僚の中村が父にいうのだ。「会社もライナスの毛布じゃダメだな」って。確か、そんな話。

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ずっと青い毛布に依存し、離れらない男の子。私たちは、いつでも結局何かに依存して、離れられなくなってしまっている。

あってもなくてもいいような何かに必死にしがみついている。一歩離れてみれば、どんなに滑稽な自分が映っていることだろう。

時々、私が自分の足で立っているのか不安になる。

 

本当はこんなことを書こうと思っていたのではないのですが、キーボードの話からまろびて、こうなりました。

 

あ、最近のインプットしたものをとりあえず、書き出すだけ、書き出します。

 

「パラサイト」

素晴らしい。ラジオで佐久間さんが「入口と出口が違う映画」と絶賛していたけど、コミカルでテンポ良く、スパイ映画のようなハラハラもあり、でも、言葉に出来ない人間の不条理な感情で犯してしまう殺人。途方もない夢にすがろうとするラストは夢か現か…。

 

「グットバイー嘘から始まる人生喜劇ー」

何もいう気になれない。原作のケラ戯曲の何が面白いのか分かっているのだろうか?改変されたキャラクター、ストーリー、設定のすべてが陳腐になり下がっている。

 

「新聞記者」

リアリズムの本質を見た気がする。なるほど、今の日本の国のあり方、マスコミのあり方、民主主義のあり方がある。ただ、「リアルだな」と私たちがそのリアリズムを楽しめるのは、物語に感情移入出来るのは、映画だと、つまり、虚構の世界だと認識しているからだ。虚構の中だからこそ、現実を模倣することができ、リアリズムを感じることが出来るのだ。現実が現実を模倣することがないのなら、現実にリアリズムは存在しない。

ならば、あの勇気に救われるラストの展開もやはり「虚構」でしかないのだ。それは現実に生きる私たちには、恐ろしい事実ではないか?

カメラワークと照明が素晴らしい。横から見るビルの屋上。キスをするのかと思わせるような西陽の当たり方。

 

伯山ティービー「畦倉重四郎」

YouTubeで講談をっていうから、もっと笑えたり、新作だったり、とっつきやすいものかと思ったら、いきなり重たい続き物だ。それでも、ひきつけてしまう。すごいじゃないか。演芸って瓢箪のようなものだと思っている。入り口は狭いが、ちょっと入ってみるとぐわっと間口が広がる。神田伯山、瓢箪の狭い入り口を姑息なことをすることなく、ただ、芸の腕のみで広げてしまった。

神田伯山ティービィー - YouTube

 

鬼滅の刃

アニメなんか本当にみやしないが、周りから絶賛の声しか聞こえないので、観るしかない。

面白い。主人公と鬼の間の感情の動きがいい。悪が悪のみでない、2面性見たいものが物語に推進力を持たせる。グラフィックがどうとかっていうことはわからないが、戦闘シーンの迫力がすごいことはわかる。

 

初恋温泉 (集英社文庫)

吉田修一氏の短編集。出掛けたら手持ち無沙汰だったので、ブックオフで買ってみる。サクッと読んだ記憶。

 

子どものための哲学対話 (講談社文庫)

私は全く世界のどこを見て生きているのだろうか、と自問自答する。「こどもの」とあるが、大人のための対話だ。いつのまにか当たり前だと思っていたことが、言われてみればわかっていない。なのに、なんで疑問にすら思わないのか。疑問に思うことから始めないと。哲学の一歩手前で私が止まっていた。

 

さて、新しいキーボードも来たことだし、これからまた駄文を書き続けます。

お時間がありましたら、お付き合いのほど、願っておきます。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。