本、映画、演劇、美術、テレビドラマにラジオといろんな文化に触れたい好奇心。茅ヶ崎の海辺からコカコーラ片手にぱーぱーお喋りしています。しばらくおつきあいのほど願ってまいります。

AM1:00-3:00

茅ヶ崎のゆとりがコカコーラ片手にラジオのような独り語り

一中通りの散歩録

 

どうもこんにちは。

 

私はわりと生活の中に読書というものがある方で、出かける時も必ずカバンに2冊は入れている。ちょっと難しい学術書と気楽に読める小説。最近は、「太宰治を全部読む(太宰治を全部読む)」と云う企画を始めたので、太宰の全集を入れていることもしばしば。

紙ベースの本が停滞し、電子書籍が幅を利かすこのご時世に、本を3冊もカバンに入れるなんて、時代錯誤も甚だしい。ましてや、情報としての価値が重んじられ、自己啓発の類が本屋の棚を侵略する今の時代に、学術書に小説だ。まして、太宰なんざ流行りもしない。

それでも、やっぱり本を開きたい時に、紙の手触りで開きたい。

 

自己啓発本は読まない。理由はいくつか。

まず、人に啓発されて動き出すくらいなら、動かなくてもいいと、思ってしまう。

自分が動きたいから動くのだ。なのに「すぐやる」とか「続ける」とか、人に言われないと上がらない腰なら、上げなくても良いではないか。

で、自分から動こうと思う。そう思った人が、方法を人様から教わろうなんて、本当に動く気あるのかい?と思ってしまう。動きたくなって、はじめにすることが本を読むと云うのはいかがなものかと。動きたくなったら動くだろう。街に出るなり、手にしてみるなり、書いてみるなり。じっと座って本なんか読んでたらもどかしくてしょうがない。なんせ、動きたいんだから。

方法なんて、動き出してはじめて考えるものだろう。そもそも、試行錯誤して自分のやり方を見つけていくことにこそ、動いていくことの一番大きな意味があるのに、動きもしないのに方法も何もなかろう。

 

そう云うわけで私は自己啓発本は読まない。

 

ただ、知り合いに面白い本と渡されたのが、この類だった。

効率よく勉強する方法を書いた本。どうして、あなたの方法が私にも効率がいいなど言って、1300円も取れるのだろうか? あなたと私では頭蓋骨の中の脳みそが違うのに、などと悪態をつきながら、ページをめくってみた。

目次に並んだ嘘くさい項目の中に「始める前に20分散歩する」というものがあった。他のものの嘘くささが際だったせいか、これだけは本当のことかもしれないと、なぜか思たのだ。もっとも、私が歩くのが好きなせいかもしれない。

 

まあ、信用もしていない本を眺めるのに5分も使ってしまった。その5分を取り返すつもりで、ひとつ散歩してみようと、始めて2年目に入るドイツ語の学習の前に実行してみることにした。

出勤の前に30分から40分の時間を使って習慣化した語学学習。その前に20分、散歩してみることに。もちろん、携帯など持たず、コートの右ポケットに財布、左ポケットに文庫本。身軽に歩く。

 

どうせ歩くなら、知らない道を歩いて、新しい景色を見ないともったいないという気がして、海沿いへ出て江ノ島方面へ。しばらく行くと左手にあるのが、一中通り。自転車で走り抜けたことはあるが、ゆっくり歩いたことはない。ちょうどいいので、一中通りを駅方面へ。茅ヶ崎でも高級と言われている住宅街にはレプリアかのような家が立ち並ぶ。オシャレなバルコニーでは今にもロミジュリが始まりそう。体がホカホカ暖かくなる。なるほど、勉強していて乗ってきた時と同じような感覚になる。

 

道すがら、初めて聞いたコーヒーのロースターを見つけた。「I don’t know coffee(i don't know coffee roaster)」さん。小さい店から漂う焼きたての珈琲の香り。これはここまで歩いてきた甲斐がある。早速、お店の中へ。大きな焙煎機も、店内の装飾も、瓶に並んだ数種類の豆もいい。

色々眺めて、深煎りのグアテマラを購入。早く帰って飲みたくて、そそくさと家路を急ぐ。これだけ収穫があれば、散歩した甲斐がある。いやはや、滅多に読まない自己啓発本もたまにはいいことを書くではないか。

 

帰って、豆を挽いて、珈琲を淹れる。刺激のないコクのある苦味の後に舌に残る甘み。美味しい。何よりも珈琲を淹れてる最中、特に蒸らして時の香りが気持ちいい。

淹れたての珈琲とともに机に向かって勉強を始める。今日は散歩もしたし、さぞ捗ることだろうと思って時計を見ると、もう家を出る15分前。20分のつもりの散歩が1時間近くも歩いてしまったのだ。

とんでもない。結局、今日やる予定だったことは半分も出来ないではないか。誰だ、勉強する前に散歩しろなんて言った奴は。

 

結局、自己啓発本を信じてしまったが故にこんなことに。

やっぱり私はこの手の本を信じない。

 

では、こりゃまた失礼いたしました。